10.13
2013年10月13日 ドングリ拾い
やって来ました、瑛汰に璃子。
到着時間は、11日夜11時半。
前回の日誌で書き忘れたが、璃子は、
「璃子たんねえ、ボスと寝るの」
と宣言していたので、我が寝室である6畳間に布団を敷き詰め、まず車中で寝込んでいた瑛汰と璃子をそこに運び込んだ。うっすらと目を開けて
「ボス!」
といった2人だが、なあに、意識は夢の中。布団に寝かされたまま、朝までぐっすり寝ていた。2人の寝たときの位置と起きたときの位置に大いなる齟齬があったことは、この際どうでもいいことである。
で、その夜は2人のパパと午前1時頃までビールを飲み(困ったことに、2人のパパは酒類はビールしか飲めない)、2人に遅れて布団に入り、2人と添い寝した。
昨12日は、朝から伊勢崎の華蔵寺公園に出かけた。出るのがやや遅く、
「このまま行ったら、公園内でお昼を食べることになる」
と2人のママ、私からすれば次女が指摘したため、それではとまず伊勢崎のスマークに向かい、本屋で2人の本を買う。瑛汰は9冊、璃子は3冊。合わせて1万2000円。
「えっ、俺の本、1万円もしなかったジャン。大丈夫だよ」
といった瑛汰。ボスに金がなくなったら、単位を一つあげてお前に本代を支払わせてやるからな。
スマークで昼食も済ませ、昼過ぎに華蔵寺公園へ。
2人のパパは1ヶ月ほど先に、歯科医院の開業を控えている。開業準備は追い込み段階で、この日は
「やっておきたいことがある」
と我が家に残り、従って華蔵寺公園に行ったのは、2人とママと私の4人である。私と璃子が組んだり、ママと璃子が組んだり、組み合わせを変えながら各種の遊具を渡り歩き、最後は華蔵寺公園が誇る
急流すべり
を楽しんだ。
「丸太ボートに乗って水しぶきをあげながら落差11mを滑り落ちる」(華蔵寺公園のホームページより)
ダイナミックな遊具である。乗り賃は1人280円、4人で1120円。
乗降基地を離れた丸太は急流に流され、小さな起伏に乗り上げた後滑り落ちる。
「何だ、この程度か」
と思う間もなく、丸太は高さ11メートルの急坂を上り始める。この坂のトッペンに到着すれば、あとは滑り落ちるのを待つだけだ。
まあ、瑛汰は男の子だ。小学1年生でもある。大丈夫だろう。でも、璃子はまだ3歳。耐えられるか?
キャー、とかワーとかいう声とともに滑り落ち、乗降基地に戻って丸太を降りると、璃子が言った。
「ねえ、ボス」
どうした?
「璃子さあ、もう一回乗りたい」
もう一回乗りたい? そんなに楽しかった?
「乗りたいの!」
はいはい、分かりました。さて、1枚70円のチケットは何枚残っている? 15枚? 4人は乗れないジャン。だったら、親子3人で行ってこいよ。おれ、ビデオカメラで撮ってやるから。
かくして母子3人は再び丸太船に乗り込み、11メートルの落差を歓声を上げながら滑り落ちたのであった。
「ボス」
と璃子。
「あのしゃ、お船に乗って楽しかったよね」
そうか、そうか。あの、落下のスリルが堪らないってか。
帰りに、マリー・ポールでケーキ。3人で風呂場で水遊びをした後自宅で夕食。その後、瑛汰と爆睡。
璃子は
「あのねえ、璃子は、夜はママと寝たいの」
だそうである。
今朝は2人のパパも加えた5人で、黒保根の道の駅へ。
日誌には書かなかったが、実は1週間前に長男夫妻が来た。
「お父さん」
と息子がいった。
「うちの女房に運転を教えてやってよ」
何でも、ペーパードライバーなのだという。さらに深く聞くと、結婚して以来、彼女はハンドルを握らせてもらっていないらしい。
「お前は下手である。俺は不安である。だから、俺が運転する。お前は黙って横に乗ればよろしい」
というのが息子の論理で、彼女の定席は助手席となった。
ところが、息子のアメリカ赴任が決まった。遅れて彼女もアメリカに行くはずである。アメリカでは、自分で運転できなくては暮らしが成り立たぬ。
「だから、頼むわ」
待て、息子。そもそも車の運転とは、習うより慣れるものである。それが分かっていながら、彼女にハンドルを握らせなかったお前は、とんでもない過保護体質である。愛する者に危険を冒させることは出来ない。リスクはすべて自分が引き受ける。
心意気や良し。しかし、その結果、彼女は運転が出来なくなった。
俺にもその気はある。しかし、お前は親に倍する過保護者体質のオヤジになってしまった。
その上に、だ。
そのようにされてしまった彼女のリハビリを自分でやるのならまだしも、父である俺に委ねようってか。いつ事故を起こすか分からない車の助手席に乗る役を、父である俺に押しつけようってか!
という経過があり、しかしながら断るわけにも行かず、こわごわ助手席に乗って向かった先が、この道の駅だった。まあ、ずっと片側1車線。起きるとしてもたいしたことは起きないだろう、と考えての選択だった。
あ、彼女の名誉のために一言。
運転し始めこそ心許なかったが、10分もすると私は全身の緊張を解くことが出来た。うん、下手じゃない。後は場数を踏むことだ、
この道の駅では、地元黒保根で取れた野菜が直売されている。新鮮で安い。
長男の嫁とは、野菜を買いあさった。まあ、ドライブを兼ねた買い出しのようなものである。買った中に、黒保根で取れたコシヒカリがあった。5キロ、確か2200円。
これが美味かった。炊きあがりに艶があり、一粒一粒に弾力と粘りがある。噛みしめると、何ともいえない甘みが口中に広がる。
「あの米をもう少し買っておこう」
まあ、その程度の動機によるドライブである。が、よくよく考えてみれば、ドライブに行こうなんていう心の奥底を探ると、その程度の動機しか見つからないのが人間の常である。あとは、
「この女を何とかしたい」
という純か不純か分からぬ動機程度である。
で、行った。残念なことにコシヒカリは品切れ。1週間ほどしたら再入荷するとのことだった。が、代わりにあったヒトメボレ、それに野菜や蜂蜜を、我が家だけでなく、瑛汰・璃子家族の分もしっかり買いだめしたことはいうまでもない。
戻って、鰻の「こんどう」で昼食。瑛汰も璃子も、気持ちよいほどパクパク食べる。終えると
「動物園に行こう」
と誰かが言い出して、桐生市の誇る無料動物園、桐生が岡動物園へ。ただである分、出会える動物は限られるが、
「璃子ねえ、ウサギさんと豚さんを見たいの」
程度の遊びだから、まあいいか。
世の中はアベノミクスで景気が回復過程にあるといわれる。まあ、あちこちでそれを示すと思われるデータが出始めているから、まんざら間違いではないのかも知れない。
しかし、ここはどうだ。無料の動物園と、その隣にある入場料無料の遊園地の駐車場は、我々が到着した午後2時過ぎには満杯であった。
ただである、とは、その程度のものである、ということである。なのに、連休の中日、駐車場が満杯になる。金をかけずに、それなりの時間を過ごそうという人々がこれだけいる。
子供が出来たばかりの若夫婦なら、暮らしに追われる中、出来るだけ節約しながら気晴らしをしよう、というのは理解できるところである。
が、だ。結構いるのだ、若い2人連れが。
おいおい、これからこの姉ちゃんを口説こうというんなら、多少なりとも見栄を張って、
「ねえ、ディズニーランドに行こうよ」
ぐらいのことはいえないものかね。桐生が岡動物園で口説こうなんて、成果が思い遣られるわ。うん、私が心配することではないのかも知れないが。
とはいえ、我々も、無料だから気軽に出かけた家族連れであることは間違いないのだが。
駐車場が満杯。このようなときに生きるのは、地元で暮らすことによって身につく土地勘である。
「少し離れるが、あそこなら空いてるだろう」
私は吾妻公園の駐車場に車を止め、瑛汰、璃子、次女と4人で動物園を目指した。結果的に、これが幸いした。
「あっ、ママ、ドングリが落ちてる!」
素っ頓狂な声を出したのは瑛汰であった。と同時に、地面に座ってドングリを拾い始めた。
「璃子たんも」
と璃子が続くのは理の当然である。
ドングリ? まあ、10個も拾えば満足するだろう。ドングリなんて食べられるわけでもないのだから。
ところが、いつまでたっても拾い続ける。
「おい、いい加減にして動物園に行くぞ」
私が声をかけると、次女がいった。
「なんか、学校で先生がドングリを拾ってきて、っていったんだって。授業とかに使うらしいのよね。でも、鶴見じゃなかなか見つからなくて」
ははあ、そういうわけか。だとしたら、いいときにいいところに来たもんだ。動物園に行く道すがら、瑛汰と璃子はドングリを拾い続けた。
「帰りにも拾えるから、いい加減にしとけ」
そう説得して動物園。ライオンの給餌(いつもは寝てばかりいるライオンが、今日はおりの中を歩き回っていた。餌とはすごいものだ)を見て、ゾウさんを鑑賞、猿山の周りを歩き、キリンの前で記念写真。そういえば、ファインディング・ニモのモデルになったカクレクマノミという魚にも出会った。
最後に、授乳するカンガルーを見て動物園にさようなら。
「ママ、瑛汰、ドングリをいっぱい拾うからね」
4人でドングリを拾い集め、数百個がたまったところで駐車場に到着。帰宅した。
瑛汰、璃子の一家は午後4時半頃去った。2泊2日の慌ただしい来訪だった。
この間、妻女殿は膀胱炎を再発。
私といえば、瑛汰、璃子がいる間から何とも腰が重苦しい。
が、である。
瑛汰が、璃子が、そして啓樹が、嵩悟とともに過ごす時間がなくなれば、人生の歓びは半減する。腰の重さがナンボのもんやねん!
さて、明日は3連休の最終日。
テープとディスクの整理に追われるに違いない。コピーしなければならないテープの残りは、約150本である。