2014
02.11

2014年2月11日 帰桐報告

らかす日誌

長のご無沙汰でありました。
ひょっとしたら

「大道、今年もインフルエンザ? それも、一人暮らしの時に??」

とご心配いただいた方もいらっしゃるかもしれない。まあ、昨年初め、鬼の霍乱の如くインフルエンザを患ってしまった私としては、お心遣いに感謝するしかない。
が、今年は今のところ、すこぶる健康なのです。
先日届いた健康診断の結果によると、血圧に関しては「要治療」とあったが、そんなものは気にしない。早く降圧剤を飲めというのは製薬会社の陰謀に過ぎず、たかだか150ぐらいの血圧でオタオタする私ではない。

ま、オタオタはしないが、久しくやめていた自宅での血圧測定を再開した。朝起きて排尿を済ませ、血圧を測る。そうすると、ときおり140台の数値が出ることもあるが、おおむね135以下、時には120台の数値である。全く気にすることはない数値なので、全く気にしないことにする。

γGTPの数値も、基準値を突破した。すぐに対策を講じなければならないほど高くはないが、確かにアルコール飲料で肝臓を虐める毎日を送っている身としては

「うーん、休肝日を新設した方がいいかな?」

と思案中である。
知るところによると、肝臓とは実に健気(けなげ)な臓器で、酷使し尽くしても、しばらく労ってやればすぐに健康になる。週2日の休刊日を設ければ、半年後には正常に働いているはずである。
といいながら、本日も晩酌をしてしまった。ただいまは、ウイスキーの水割りをちびちびやりながらこいつを書いている私である。
休肝日、いつから始めよう?

おっと、インフルエンザの話から私の健康診断の話にスライドしてしまった。本筋に戻そう。

今日、横浜から戻ってきた。
ご承知のとおり、我が妻女殿は2月3日に入院された。よって私は一人暮らしを謳歌することになったのだが、

「だったら、お父さん、週末は横浜に来たら」

といったのは、瑛汰、璃子の母である次女である。

「うーん、飯を食うだけのために往復300km走る?」

といったんは躊躇したが、

「瑛汰と璃子も待ってるし」

といわれれば、否応はない。8日早朝に出ようと思っていたところ、7日深夜から大雪の予報が出た。

「土曜日だと来れなくなるよ」

といわれ、7日午後6時、早めに仕事を切り上げて桐生を出たのであった。

7日は温かかった。首都高の渋滞に巻き込まれ、夜9時頃到着したが、車から出てもセーター1枚で十分なほど温かい。

「雪なんて、ほんとに降るのかよ」

といいながら、その日は瑛汰と寝た。

ところが、一夜明けると一面の銀世界である。しかも首都圏には珍しく、ぼた雪ではない細かな雪が日中もしんしんと降り続いた。タイヤチェーンかスタッドレスタイヤがなければ、車は動かせない。あいにく私は、そのどちらも持ち合わせていない。
だから、普通なら自宅で過ごすのだが。その日、どうしても外出、というか、買い物に行かねばならない事情があった。
着替えのシャツを忘れてきたのである。7日朝から着ていたシャツしかないということは、8日はとりあえず2日目となるそのシャツを着るしかないとしても、3日目となる9日は取り替えたい、というか、取り替えねばならないのが宿命である。

というわけで、瑛汰、璃子、次女、私の4人で、朝から川崎・ラゾーナにバスで買い物に行った。行けば2人は本を欲しがり、私は鎌倉シャツでカッターシャツを3枚購入した。そしてもうひとつ、買い物があった。
璃子の本棚を作るための木材である。

瑛汰用の本棚は、確か1年ほど前に作った。部屋に合わせ、高さは230cm、奥行きは22.5cm。その横の、窓の下にピッタリあった璃子用の本棚を作る。
集成材で作った瑛汰の本棚にかかった費用は、確か1万円ほどだった。新たに作る璃子用は、窓の下端までの高さだから高さ90cm。とすれば、5000円程度でできて当たり前である。

「7980円になります」

レジでそういわれたとき、普通なら購入をやめる。だって、ラゾーナを出て他の店に行けばもっと安く買えるに決まっているからだ。が、外は降りしきる雪。別の店に行く手段はない。ここで買う以外の選択肢はなかった。

ラゾーナで昼食を済ませ、帰りは木材を抱えてタクシーを利用した。雪は降り続いている。

「ねえ、ママ。かまくらつくりたい!」

「璃子もやりたい!」

瑛汰も璃子も、雪を見ては、喜んで庭を駆け回る犬である。横浜の我が家には庭がないので、敷地外に出て駆け回ろうとする。まあ、首都圏では20年ぶりといわれる大雪だ。興奮するのも理解できないではない。

二人は、母親を引き連れて降りしきる雪の中に飛び出した。本棚を作るための持ち帰った木材など見向きもしない。

「あっ、そ」

というしかない私は、ソファーにひっくり返って読書にふけった。
横浜に来れば瑛汰と璃子の相手をし続けるという習慣が、この日途切れた。

翌9日日曜日。前日夜まで降り続いた雪は、恐らく20㎝以上積もった。真っ白な窓外の景色を見れば、瑛汰と璃子の血は、前日の興奮を引きずって沸き立たざるを得ない。

「ねえ、今日はかまくらを完成させるから」

我が家から30メートルほど離れた売却用地にあちこちの雪が集められていた。その雪でかまくらを仕上げるのが瑛汰の夢なのである。静止など聞くはずもない。璃子も同じである。

仕方なく私は、一人で本棚の組み立てに入った。

「あんたねえ、あんたが作ってっていうから、ボスが作ってくれてるんじゃない。本棚づくり、手伝いなさいよ」

ママに叱られて、瑛汰は一時、自宅に戻って本棚づくりの手伝いにかかった。が、心ここにあらず。

「ね、ボス、もう出来たよね。瑛汰、行っていいよね」

木ねじを5、6本止めると、飛び出していく瑛汰であった。
で、本棚を仕上げると、私は再び読書。横浜がこれほど過ごしやすい場所であったことはかつてない。
出来上がった璃子用の本棚を所定の位置に治めようとしたら、横幅が5mmほど広すぎ、せっかく仕上げた本棚を一度ばらし、棚板を切り縮めて組み立て直すというハプニングなどは、小さな話であった。

10日月曜日。本来なら桐生で仕事をしているはずだが、

「ねえ、ボス、俺のサッカー、見て」

という瑛汰の懇願に屈して休みを取り、横浜に居残った。
この日、瑛汰は学校である。瑛汰が登校したあとは、璃子との1対1の勝負の時間となった。

「ねえ、ボス、点つなぎ、やろ」

点つなぎとは、土曜日にラゾーナで買ってきたドリルである。点に数字が振ってあり、それを順番につないでいくと絵が出来上がる。恐らく、数字になれさせること、点と点を真っ直ぐつなぐ筆運びに習熟させることを狙いとしたものであろう。ちなみに、璃子は5歳用に挑んだ。

飽きると

「ねえ、ボス、チョキチョキチョッキン、やりたい」

これもラゾーナで購入したドリルである。指示に従って紙を切り抜き、のりで貼り合わせると様々なオブジェが出来る。5、6,7歳用。さすがに璃子には、最終的にオブジェを組み上げるまではできないが、切り抜き、ノリをつけ、ボスのいうとおりに貼り合わせるぐらいは出来る。
しかも、この子、私にこれだけ甘えながら、私の助力は拒む。何とか自分でやり遂げようとする。真っ直ぐ切れない璃子を見て私が手を出そうものなら、

「だめ、璃子がやるの!」

と激しく拒絶される。自立心旺盛といおうか、男は使いたいときだけ使えばいいものとわきまえているというか、璃子はなかなかの女である。

午後2時半、学校から戻った瑛汰が宿題を済ませるのを待って、車で川崎へ。瑛汰はここのフットサルスクールの生徒である。

約2時間付き合った。一度だけの見学だから細かなことまでは分からないが、瑛汰は意外に強いキックが出来、遠くまでボールを蹴ることが出来る。しかも、遠くにいる自軍の選手がノーマークだと見ると、そこに正確にボールを届けるコントロールがあった。
まあ、サッカー選手などになるはずもないが、瑛汰がいいプレーをするのを見るのは快感でないこともない。

で、本日戻ってきた。
戻って、洗濯機を廻し、留守にした間に録画された映画や音楽番組、リーガエスパニョーラ、プレミアリーグ、セリエAのサッカー(これ、すべて瑛汰用)を整理してディスクに落とし始め、夕食をどうしようと考えて、刺身を買いに外出。戻って風呂を沸かして入り、刺身の付け合わせにモヤシとニンジン、玉ねぎで野菜炒めをつくり、夕食。
再び日常である。


というわけで、日誌をサボっている間にソチ五輪が始まり、東京都知事選に結論が出た。
私の関心が五輪などに向くはずはなく、一方の都知事選も、結果は見え見えだったから、あえて付け加えることもない。細川・小泉連合を足蹴にした東京都民に、

「今回はだまされなかったのね」

とメッセージを送る程度である。
それにしても、舛添ね。それしかなかった都知事選って、何か空しいなあ。

明日は、同業者の送別会。桐生に来て何度も送別会に出たが、今回は初めての「ご栄転」を祝う会である。何でも、私のギターで「今日の日はさようなら」を合唱するのだそうだ。

弾く私も、歌う皆さんも、ご苦労様なことである。