2014
02.16

2014年2月16日 そして、雪

らかす日誌

かねてからの妻女殿との約束に従い、私は今朝、愛車BMW320i-touringを翔って、一路前橋日赤に向かった。

というほど簡単には物事は進まないのは、この世の約束事である。

愛車を翔るという。いうのは簡単だが、現実は簡単ではない。何しろ、駐車場に入った我が愛車の前には降り積んだ雪の小山があり、駐車場から出るのを阻んでいる。まず、こいつを何とかせねば、愛車は走り出してくれない。

雪をどかす。皆様は、どのような器具を思い浮かべられるだろうか。
除雪機があればいうことはない。が、滅多に雪など降らぬ桐生の地に、除雪機を所有している家庭は稀であろう。次なる手段は、恐らくシャベルである。うん、こいつがあれば何とかなる。
ところが、だ。我が家にはシャベルを使わねば出来ない仕事が、これまでなかった。元々借家である。シャベルで庭を掘ったら、恐らくクレームがつく。加えて、私は腰痛持ちだ。シャベルで作業をすれば、1時間もしないうちに腰を抱えてうずくまるのは必定である。
というわけで、我が家にはシャベルがない

では、何を使う?
何かないかと屋敷内を見回した。どこかに、雪かきに使える道具はないか?
1つだけあった。

プラスチックのちり取り

である。そう、庭を掃いて、集まったゴミをすくい取る道具、ちり取り。
これしかない。なさけないが、これしか使えるものがない。だから私は、このちり取りで、えっさかほっさか、雪かきを始めた。手がかじかむ。腰が悲鳴をあげそうになる……。

かれこれ1時間も作業をしただろうか、何とか駐車場から車を出せる態勢にはなった。では、と車に乗り込む。目指すは、わずか5mほど先の、車通りの多い道である。そこまで出れば何とかなる。
まず、ハンドルを左に切っていえの前の道に出る。これは無事に果たせた。次は、車の通る道にうまく乗り入れることが出来るかどうかだ。脇道から出るのだから、車が来ないことを確認したうえで、勢いをつけてよっこらしょと出なければならない。

よし、いまだ!

アクセルを踏み、愛車が車通りの多い道に鼻面を突っ込んだところでハンドルを左に切った。行け!

行かなかった。ズルッという音がしたかと思うと、駆動輪である後輪が空回りし始めた。通常、これをスリップという。そうなのである。車通りの多い道に出るところに、まだ雪がかなり残っているのだ。後輪はそこでスリップしてしまったのである。
もっと勢いをつけてでなければならない。

まず後退した。その上でギヤを前進に切り替え、アクセルを踏んだ。行け!

行かなかった。またまたスリップした。であれば仕方がない。もう一度バックして……。
えっ、この車、後ろにも走らないぞ!

前に進めず、後退も出来ぬ。立ち往生、とはこのようなことをいう。事情を察した近所の奥さんが寄ってきた。

「ちょっと押せば出られるんじゃないかねえ」

いや、そうかもしれないが、周りを見渡せば、押し要員はこの奥さん、決して若くないおばちゃんだけである。他には誰もいない。私が運転席に座り、このおばちゃんに車を押させる? まさか!

「いや、それよりシャベルをお持ちではありませんか? 後輪のところの雪をどければ動くと思うんですが」

「それが、うちにはシャベルはないのよねえ」

シャベルへの需要がないのは我が家だけではなかった。

「これならあるけど」

奥さんが差し出したのは、ああ、そうなのだ、

ちり取り

だったののである。我が家との相違点は、これ、ブリキ製だったことだけだ。
が、これしかなければ、これを使うしかないのは世の約束事である。私はありがたくちり取りを押し頂くと、必死に後輪の動きを阻んでいる雪をかきだし始めた……。

というわけで、何とか車の通る道には出た。よし、この勢いで前橋日赤病院まで走る。私は慎重にアクセル操作をし、ハンドルを握りしめて走り出した。

いやはや、市内は雪の山である。片側2車線の道路が、1車線しか使えない。それでも、ノーマルタイヤで走れるだけありがたい。
国道50号線に出た。右折して前橋を目指す。50号は車通りの多い幹線である。雪はおおむね融けているはず。前橋まで一直線に走れるはず……。

すぐに車が動かなくなった。前を見ると、延々と渋滞している模様だ。信号が青に変わっても、車はほとんど前進しない。これはいかん。

「という訳なんだが、これじゃ前橋にいつ到着するか分からない。そっちで、JRは動いてないか、タクシーは使えないか、調べてくれ。どっちか使えるようだったら、それを使わないと、この状態では退院できないぞ」

前橋日赤で専属運転手である私を待つ妻女殿に電話をした。やがて返事が来た。

「JRは動いてないんだって。タクシーは3つ電話したんだけど、今日は営業してないって。バスも走ってない」

何のことはない。前橋の市内交通は全滅しているのである。そんなところに、桐生からノーマルタイヤの車で乗り込むのは、命知らずのアホでしかない。

「分かった。俺、とりあえず引き返すわ。様子を見て、そっちに行けそうなら、午後でも迎えに行く」

結局、行ける状態にはならなかった。妻女殿は、今日もまた前橋日赤病院に缶詰である。


ま、それは仕方ないとして、戻った私は途方に暮れた。
ということは、今日もまた一人暮らしである。それがイヤなわけではないが、私のスケジュールはすべて、今日午後に妻女殿が戻られることを前提に組み立てられていた。
つまり、一言で言えば、食材が切れた。妻女殿を迎え、帰りにどこかで買い物をする予定だったのである。ということは、夕食は妻女殿がお作りになるから、私は夕食の献立も考えていない。

「仕方ない。戻るついでに買い物していくか。でも、夕食、何にしよう?」

いつも使うヤオコーに向かった。ところが、広大なヤオコーの駐車場は雪に覆われ、車はまばら。それに、どうやら店内の電気も消えている。

「えっ、休業?」

駐車場に車を乗り入れ、確かめることも考えた。が、雪がたっぷり残った駐車場に車を乗り入れるということは、動けなくなる危険を冒すことでもある。何しろ、我が愛車はノーマルタイヤなのである。

ヤオコーを素通りし、自宅に向かった。はあ、今晩は食うものがないぞ。アジの干物と目刺しを焼いてビールを飲み、茶漬けでも食うか。他に選択肢はないもんなあ。まあ、わずか1日のことだから、それで栄養失調になることもないだろう。味気ない晩飯になるのは情けないけど。

「えっ!」

自宅直前まで来て、我が目を疑った。我が家から100mほどしか離れてないスーパー、ベイシアにのぼりが立ってる! 昨日、雪を押して買い物に行ったら無情にも店を閉じてたのに、今日は開いてる?!

何だか、世の中の流通の仕組みがよくわからなくなった。ヤオコーが閉じて、ベイシアが開く。何故だ?

まあいい。昼過ぎ買い物に行き、夕食の食材を仕入れた。
本日の夕食はステーキとカリフラワーのクミン炒めであった。久しぶりに作ったためか、クミン炒めは余り美味しくなかった。ちゃんとスープでゆがき、クミンとニンニクをたっぷり入れた油で炒め、ターメリックで色をつけてガラムマサラとチリペッパーを振りかけた。これで美味しくならないはずはないのだが……。
修練不足か。


夕食に至るまでの午後は、自宅周りの雪と格闘した。何しろ、門から玄関まで雪で覆われている。妻女殿が明日退院してこられるとしたら、お転びなさることは必定である。
と殊勝に考えたわけでもないが、何となく門から玄関まで、路面が見えるようにしたくなった。
が、スコップもシャベルもない。あるのは

ちり取り

だけである。
そこで、水を使った。水で雪を溶かす。とにかく、いま使える武器はこれしかない。
が、こんな気候だ。水道水だって結構冷たい。ために、なかなか雪は溶けてくれない。30㎝進んでは家に貼って体を温め、1.5mに達しては

「もうだめだ」

と諦めかけ、だが、とうとう最後までやり抜いた。雪の中、幅20㎝ほどの煉瓦が見える道が通ったのである。

ん? 水の無駄遣い? いいではないか、いまは非常事態なのである。
それに、水は使ってもなくならない。私が雪を溶かすのに使った水はやがて川に入り、海に流れ着いて空の雲となり、再び地上に降り注ぐ。
使えばなくなる石油やガストは違うのである。水道代がややかさむだけのことだ。いいではないか。

終えると、再びちり取りを取り出して車を取り囲む雪をかいた。明日の車の出入りをしやすくするためだ。

「ま、こんなものか」

と家に入ったのはいいが、何と右の人差し指から血がしたたり落ちている。寒さのためか痛みも感じないまま、どこかで傷つけたらしい。
加えて、

ああ、腰、腰、腰……。

無理を重ねすぎたか?
それとも齢を重ねすぎたためか?

明日の伊香保温泉雪はキャンセルした。
とにかく、明日は妻女殿を迎え入れるのが最重要課題である。車で行けるか? 電車で行った方がいいか? タクシーで帰って来いということになるか?

雪と格闘するのはオリンピックのスキーの選手たちだけではない。私の格闘は明日も続きそうである。