2014
03.01

2014年3月1日 芸術

らかす日誌

先頃、

偶然の科学」(ダンカン・ワッツ著、ハヤカワ文庫)

を読んだ。
いや、私の乱読ぶりをご披露するのが目的ではない。この中にあった面白い下りを紹介したいのだ。

ほとんどの人が世界最高の名画と認める(認めない人もいる。「ダ・ヴィンチ封印《タヴォラ・ドーリア》の500年」を書いた秋山敏郎氏は、《タヴォラ・ドーリア》こそがダ・ヴィンチの最高傑作とおっしゃっている)、かの「モナ・リザ」。しかし、そう認められたのは、わずかここ100年ばかりのことでしかない、という。

かの名画は、描かれてから数百年、国王の私邸に放置されていた。フランス革命後はルーヴルに移されたが、ちっとも注目されず、ダ・ヴィンチそのものがティツィアーノ、ラファエロなどには及ばない二流の画家としか見られていなかった。

その「モナ・リザ」を救ったのは、一人の犯罪者であった。イタリア人、ヴィンチェンツォ・ペルッジャはルーヴルの職員だった。1911年、彼は「モナ・リザ」を上着の下に隠して盗み出す。そして2年後、祖国イタリアはフィレンツェのウフィツイ美術館に売却しようとして逮捕された。
この愛国的盗みがきっかけで、やっと「モナ・リザ」は多くの注目を集め始めた。フランス人は盗み出された絵画が戻ることに喜び、イタリア人はイタリアの才能が脚光を浴びたことに驚喜したのである。

世に出た「モナ・リザ」はいじられやすい素材であった。マルセル・デュシャンは「モナ・リザ」に口ひげとあごひげ、卑猥な題字を付け加えて風刺し、ダリやアンディ・ウォーホールも自らの画材とした。広告に登場することも多く、ナット・キング・コールの曲をご記憶の方も多いはずだ(あの曲では、モナ・リサ、と聞こえる)。
いじられ倒して人々の記憶に焼き付き、「モナ・リザ」は最も有名な絵画となり、「モナ・リザ」抜きの絵画史は書けなくなった。

だが、果たして「モナ・リザ」は名画なのか?

という趣旨の下りである。
この本を読むまで、「モナ・リザ」の歴史なんてトンと知らなかった私は、まさに目からウロコが落ちた。なるほど、であれば、私が「モナ・リザ」を見て

「なんで、こんな風采のあがらない女の絵が名画なの?」

と思ってしまうのも無理はない。これまでは、そんなことをいったら馬鹿にされると恐れて口にしなかったが、これからは堂々と口にしよう。

「モナ・リザ? どうでもいいよ、あんな絵」

てなことを書こうと思ったのは、今日の朝日新聞群馬版を見たからである。見開きの右のページに

「芸術に『売り』が必要か」

という見出しが躍っていた。私としては珍しく関心を持ち、読んでみた。
筆者は、群馬交響楽団でコンサートマスターを務める女性バイオリニストである。

あの佐村河内守の事件を取り上げていた。ま、あのオッサンのやったことは詐欺である。音楽評論家、芸術担当の記者など、

「我こそ専門家。音楽の善し悪しを見分ける有識者であるゾよ」

と威張りくさっていた俗物どもをまんまとちょろまかし、ばれるまでは現代のベートーベンを任じていた人物である。

私なんぞには、いまの世にはびこる薄っぺらな知性を笑いものにした快挙、とも見えるのだが、このバイオリニスト、流石に専門家である。

「しかし、本当に芸術性を備えたものに『売り』が必要なのだろうか? たとえ仮にベートーベンが健常者であったとしても、彼の残した音楽は、芸術性の高い不滅の名曲ではないだろうか」

とお書きになった。私、ここにカチンと来た。む、この女性バイオリニスト、あんた、分かってないなあ。

というわけで、冒頭のご紹介につながるのである。

何が芸術で、どれが芸術ではないか、なんて、ちょっとしたきっかけで変わる。
劇的な変身を遂げたのは「モナ・リザ」だけではない。
朝鮮半島で普通の人が、普通に飯を食うのに使ってていた陶器が土から掘り出され、縁あって日本に運ばれた。それを利休が

「これは素晴らしい!」

と賞賛すると、名だたる茶器になった、なんてのも、スケールはやや小さいがその一例である。芸術として認められるか、認められないか、なんて、その程度のものではないか。いいものを作ったから必ず認められるという決まり事は世に存在しないのだ。

だから、誰しもが

「認められたい!」

と焦る。

無名時代のビートルズは、便座を首にかけて演奏した。少しでも話題になりたかったからである。
モーツアルトは目隠しをしても逆さまに吊されてもピアノが弾けた(ここは、映画「アマデウス」からの知識です。真実かどうかは分かりませんが……)。いかに天才とはいえ、練習せねばそんな芸当は出来ない。では、なぜ練習したのか。曲芸のできるピアニストそして少しでも名を売りたいがためである。そして、それだけの努力をしながらも、生きていたモーツアルトは、サリエリの風下に立つ音楽家としか見なされなかった。

いいものを作れば世は認める、というのは、これまでの歴史を見るかぎり、真っ赤な嘘だ。だとしたら、いいものを多くの人に知らせていいものと認めさせるためにも、芸術に「売り」は必要ではないか?
と私は愚考する。

佐村河内の作品、この方は頭から否定されているが、ソチ五輪にでたアイスダンスの日本人男子選手が使った。自分の技量を最高に発揮できる曲として選んだのである。
佐村河内の行為は詐欺である。しかし、ひょっとしたら、彼のゴーストライターを務めていた音楽家の才能は傑出しており、長く愛される曲を生み出していたのかもしれない。
「モナ・リザ」が、一犯罪者の犯罪をきっかけに世に出たように、佐村河内の犯罪が、ゴーストライター氏の才能、その名曲を世に送り出すきっかけになることだってあり得る。

佐村河内の犯罪で、できた曲が正当な評価を妨げられることがあってはならない。
これも、私の愚考である。