2014
03.05

2014年3月5日 古典

らかす日誌

ここ数日、古典に浸っている。
「どっぷりと」という形容詞を使わないのは、浸り方がそこそこだからである。古典と呼ばれる本を1冊読み、古典といわれる本を原作にした映画を見ているだけだからだ。まあ、浸るのも足首まで、程度である。

福田恆存訳「ジュリアス・シーザー」(新潮文庫)

を読んだ。何故か。読んだことがなかったからである。
いわずとしれたシェイクスピアの書いた戯曲。シェイクスピアといえば、誰もが知る英国の大文豪だ。「ハムレット」「ロミオとジュリエット」「リア王」……。彼の手になる作品群は、人類の偉大な文化資産として、夜空で位置を変えることなく輝き続ける北極星の如く輝き続けている。といわれる。

程度のことは知っており、作品名ももっともっと挙げることはできる。「ヘンリー五世」「マクベス」「ヴェニスの商人」……。
ところが、だ。ふと気がつくと、私、この歳になったというのにシェイクスピアの作品をひとつも読んだことがない!
で、書店で買い求めたわけである。何故これを選んだか。
たまたま目についたのがひとつ。
手に取ってみて、

「あ、薄いわ」

と思ったのがひとつ。
ま、シェイクスピアの作品、1冊ぐらい読んでおかなきゃ、程度の動機であった。

ためにこの本、1年以上も「積ん読」状態で放置され続けておった。それを、やっと手にしたのである。

本文148ページ。全文会話体だから、まあはかどるはかどる。ほぼ1日で読み終えた。
で?

…………。

ほぼ時を同じくして、ソ連の映画

戦争と平和

を見始めた。1968年、アカデミー賞の外国語映画賞を受賞した作品である。
いや、これを見たいと思って見始めたのではない。以前書いたが、現在私は、現代からさかのぼりながらアカデミー賞受賞作を見続けている。我が家には520本を超えるアカデミー賞受賞作品がストックされており、この作品はその、前から数えて172番目の作品である。たまたま、そこにさしかかったに過ぎない。

原作はトルストイ。そう、露西亜の文豪トルストイに「戦争と平和」という本があることは、当然のことながら知っている。なのに、これも読んだことがない。それが、アカデミー賞を見続けてたまたま

「戦争と平和」

の番になり、

「本を読んだつもりで映画を見るか。本を読む手間が省けるし」

という程度の鑑賞である。

1部から4部までに別れており、全部で424分、ということは7時間を超す大作である。昨夜までに第3部まで見終えた。今日はこの日誌を書き終えたら第4部を見て決着をつける。
で?

…………。

ともに古典と呼ばれる作品だ。
でも、古典って、こんなに退屈なものか?

ジュリアス・シーザーといいながら、実はシーザーさんは余り出てこない。権力を笠に着たいけ好かない男として描かれ、塩野七生さんが描く、モテモテで人妻でも何でもとにかくやりまくったシーザー、は何処にも出てこない。
もっぱら主役を務めるのは、

「ブルータス、お前もか」

のブルータスである。
では、ブルータスは師とも仰いだシーザーを何故暗殺したのか?
ルビコン川を渡ってローマの全権力を手中にしたシーザーに思い上がりが目立ったからである。

「私はシーザーを愛する以上にローマを愛する」

そんなことをつぶやきながらシーザーを殺し、オクタビアヌスとアントニウスに追討され、戦闘に敗れて自分で死を選ぶ。それだけである。
で、何でこれが歴史に残る古典、名作なんだ? となると、読み終えても一向に理解が届かぬ。だって、ちっとも感情移入できないし、そもそも読んでいて面白くないんだもん!


一方の「戦争と平和」。
この映画、わけがわからん。
全編で描かれるのは、ただれきった露西亜の貴族どもである。なんてったって舞踏会で優雅な時を過ごすし、数十人が集う食事会、パーティと言い換えてもいいが、もしょっちゅう開かれる。そんなものに律儀に顔を出しながら

「生きる意味とは何か。ここで踊りに時を費やす人々は、人生を無駄にしているのだ」

などという大時代的な台詞をはく文民のおじちゃんが、この映画の主役の1人である。
この人、女房に浮気をされて、浮気相手と決闘するのだが、まあ、どうでもいい。

もう一人の主役は、惚れて一緒になったはずの妻に飽きたらず、妻が最初の出産で死ぬと、多分この映画のヒロインであるナターシャに言い寄る軍人である。
ま、それは男心としてわからぬわけではない。しかし、求婚されたナターシャが全身で喜びを表すと、このオッちゃん、急に覚めてしまう。そして、自分で言い出したにもかかわらず、1年間の休戦期間を申し出、自分は旅に出てしまうのだ。

残されたナターシャさん、露西亜貴族のプレイボーイに言い寄られ、コロリとだまされて、多分身も心も許し、熱を上げてしまうのだ。
周りが必死で

「あんな男はだめよ!」

と引き離すのだが、夢から覚めたナターシャさんを、今度は、そのもう一人の主役、つまりナターシャに求婚した軍人が、冷たく突き放すのである。

何なんだ、それ?

ナポレオンが露西亜に攻め入る。国を挙げての悲惨な戦争に突入するのだが、戦場の悲惨さは何処吹く風、首都では相変わらず舞踏会が開催される。
しかし、着飾って踊るフォークダンスが、それほど楽しいのかねえ? と私なんぞは思ってしまうのである。

あ、それは別として、戦闘場面は沢山のエキストラが動員されて賑やかだ。10万人と10万人の兵士がぶつかり合った戦闘だから賑やかなのはいいとして、ちっとも迫力がない。やたらと大砲をぶっ放し、鉄砲を撃ち、馬が走る。それだけである。
両軍ともに、この戦闘に勝つために様々な仕掛けをしたはずだ。10万人の兵士を、ただただ敵軍に突っ込ませるだけなら私でもできる。
軍事の天才といわれるナポレオンは、そのような仕掛けで露西亜軍を打ち破ろうとしたのか? 守る露西亜軍は、天才の攻撃からどのように国土を守ろうとしたのか?
そんな初歩的なことが、映画の何処にも出てこない。トルストイも、この映画の監督も、孫子の兵法を読まなかったのだろうか?
つまらん


2作を見て思う。
古典は面白くない。つまらん。

というのは、私に教養がないせいか?
うん、そうかもしれんなあ……。


本日、税の確定申告に行ってきた。
高額所得者でもないのに、年金、会社と複数から所得があるためである。
で、結果、税金を6万円弱取り戻すことができた。嬉しいと思いつつ、でも、取り戻せたのは、昨年1年で40万円を超す医療費を支払ったためであると分析すると、喜びも半減する。

が、まあ、我が家は老老世帯である。長年酷使した体は、当然故障箇所が増える。医療費がかさむのは避けられないことである。今年はどれほどの医療費がかかるのか、と懸念するより、6万円取り返したと喜ぶ方が精神衛生上よろしい。恐らく今年の医療費は少なくなる。
ということにしておこう。

横浜の瑛汰が、足首を剥離骨折。
学校でサッカーをしている際、クラスメートともつれたのだという。FaceTimeで瑛汰と会話。足首のギブスも見たが、本人は

「学校に行ったらさ、みんな優しくしてくれたよ」

とまんざらでもない様子であった。
この分なら、全快までそれほど時間はかかるまい。

璃子はFaceTimeに出なかった。最近、自立心が目立つ璃子である。