2014
03.30

2014年3月30日 買い物サンデー

らかす日誌

なのだそうだ。
消費税率引き上げ前、最後の日曜日。NHKのニュースでは

「今日は一日買い物に追われています」

というオッちゃんが移った。
オッちゃん、ご苦労さん!

それに引き替え、我が家は怠惰である。昨日は絶不調だった妻女殿が

「今日は少し調子がいいわ」

とおっしゃったにもかかわらず、何処にも出かけなかった。従って、お金は1円も使わず、ということは買い物なんて一切していない。

いや、我が家も購入を計画している商品はある。
まず、電気釜。現用のものは、もう5、6年使っている。そろそろ耐用年限(かつて親交のあった城南電気=これを知っている人は、それなりの年齢です=の社長によると、電気釜の寿命は6ヶ月。それを過ぎると、お米が美味しく炊けなくなるとのことであった)で、妻女殿が

「そろそろ新しいものを」

とおっしゃったのは1ヶ月ほど前であった。

充電式の掃除機。もう2、3ヶ月前から考えているのだが、踏ん切りがつかないままズルズルと買わずに済ませている。

電気釜が2万円前後、掃除機が3万円弱。まあ、高額商品の類にはいるのかも知れない。
私のような状況に置かれ、

「だったら、消費税率引き上げ前に買わなくっちゃ」

と危機感に駆られた方々が、買い物サンデーを作り出された。

だけど、と私は思う。
いまや、一部の商品を除けば、ほとんどが相場商品になった。需要と供給の関係で価格が決まる。同じ商品を買いたい人がどっと増えると価格が上がり、

「そんなに売れるのなら増産せねば。在庫を増やさねば」

と供給が増えると、次には価格が落ち着く。いや、増産のしすぎで、むしろ価格が下がる。
まったく、資本主義の原理を絵に描いたような価格決定システムが、インターネットの普及で現実のものとなった。
需要と供給が追いかけごっこする社会には膨大な無駄が生じる。それがこうじると恐慌になる。これも資本主義の罪のひとつで、だから革命を起こさねばならないのだ、とかのカール・マルクスが言ったかどうかは不確かだが、マルクスの真似をして革命を煽っていた人々の中には、そんなことを書いた人もいたと記憶する。
それがいいか悪いかは別として、いまの世の中、そんな仕組みで価格が決まる。

「電気釜も掃除機も、今月中に買っておいた方がいいんじゃないかしら」

と妻女殿がおっしゃったので、ネットを見てみた。
これがいいか、と思う電気釜はいま、2万3800円である。履歴を見ると、昨年夏までは1万8000円を切っていた。今年も3月半ばまでは2万円以下で、ということは、この機種に消費税率引き上げ前の駆け込み需要が集まっていると見なければならない。

「おい、少し待とう。これ、4月を過ぎたら需要が急減して価格が下落するはずだ。消費税込みでも、そちらの方が絶対に安い」

何があっても価格が変動しない人気商品、人気が持続し続けている枯れた商品、それに車や住宅などの高額商品の価格が需要と供給で激しく上下するとは思いにくいが、そこまで行かない高額商品の価格は乱高下する。3%なんて、あってもなくても同じようなものなのだ。むしろ、4月以降に買い時が来るはずである。
買い物サンデーに動き回る必要はない。

税率引き上げが確実に効いてくるのは、食品や雑貨など、日常的に消費するものである。
となると、税率が上がる前に買いだめしたくなるが、

食品は腐る。
トイレットペーパーやティッシュなどは膨大な保管場所を必要とする。
さて、他のものは?

「タバコは吸っちゃうし、酒は飲んじゃうし」

いずれにしても、買いだめしたってたいした節税などできるはずもない。

「消費税率は引き上げない」

と公約した政党に寄せた期待がアホ菅とドジョウに裏切られた。それなのに、次の選挙ではよりにもよって、消費税率を引き上げますという政党に絶対多数に迫る議席を与えてしまったのは我々有権者である。
代議制民主主義の制度を信頼するわけではないが、ここは、ドンと腰を落ち着けて、

「なるようにしかならんわな」

とうそぶくしかないではないか。
買い物サンデーなんて、もってのほかである。


「ねえ、税率が上がる前に缶ビール買っといて」

と妻女殿にいわれ、

「あのさあ、500ml缶24個入りで、6000千円前後なんだわ。税率が3%あがって増える税金は200円弱。24缶とは晩酌のおおむね1ヶ月分だから、1ヶ月の節税分はたった200円だぞ。それでも事前に買っておくのか?」

といいながら、ついつい2ケース、48缶も買いだめ手しまった私のいうことだから、あまり当てにはならないが。


昨夜、

大通りの店

を見た。1965年、チェコスロバキアの映画で、アカデミー賞外国語映画賞、カンヌ国際映画祭特別表彰を受けた秀作である。

ナチスがチェコスロバキアを蹂躙した、確か1942年(1943年だったか?)の出来事である。国内では、ナチスに尻尾を振った連中が大手を張って経済利権を独占している。大工である主人公はナチスになじめず、だから利権にもありつけなくて貧しい暮らしをしているが、妻の姉の旦那、義理の兄がナチスの尻馬にに乗るげす野郎で我が世の春を謳歌していた。だから、仲が悪い。
ある日、その姉夫婦が突然尋ねてくる。

「おい、お前にいい話をもってきてやった。お前を大通りにあるユダヤ人の店の管理人にしてやる。こらこら、少しは感謝したらどうだ? これでお前も金持ちになれるんだぞ!」

アホウな女房は喜んだ。素直に喜べなかった主人公も、嫌いな義兄としこたま杯を交わすうちに

「そうか、俺も金持ちになれるんだ!」

とその気になる。
そして翌日、その気になったまま一張羅のスーツを着込んで、自分が管理人に任命された店舗に出かけてみると……。

描かれるのはナチスの暴虐ではない。ナチスのものとで生きざるを得なくなり、だから人間性をさらけ出してしまった人のの弱さと、だからこその醜さと美しさである。

機会があればご覧になっていただきたい作品だ。

さて、まだ9時。今日は何を鑑賞しよう?