2014
04.13

2014年4月13日 ウクライナ

らかす日誌

まずもってお断りしておく。
私は、ウクライナに行ったことはない。友も知人もいない。ほとんど何も知らない国で、最近のニュースもたいして読んではいない。
という、全くもって発言権がないオヤジの戯言と読み飛ばしていただきたい。
以上が、前もってのお断りである。

この国のクリミア自治共和国というところは、露西亜系の住民が多いらしい。ここで国民投票をしたら、

「ロシアの一部になりたい。入れてちょうだい」

という人が過半数を超えた。これを受けてロシアは、欧米の強い反対を無視して、ここをロシアの一部にしてしまった。

おおざっぱに言えば、最近のクリミア問題というのは、こんなものである。

これに対し、ウクライナはもちろん、欧米諸国も強く反発した。ウクライナからすれば、領土の一部を持っていっちゃったロシアは泥棒である。欧米諸国も、国際秩序と自分の国の国情を考えると様々な点で懸念を持つ。
だから、

「戦争をしたわけでもないのに、国境線を引き直すとは何たる暴挙」

とロシアを責めた。なるほど、確かに、歴史的には、国境線の引き直しは、ほとんどが武力紛争の結果であった。
で、ロシアに反省を迫り、元に戻せと圧力をかけるため、経済制裁を発動した。ロシアやクリミア共和国の要人が、こっち(つまり、ロシアを責める側の国)に持つ資産も凍結した。
武力発動に至らぬあらゆる手段で、ロシアとクリミア供養和国を攻めあげようというのである。

だけど、である。
国境線というのは武力でしか変えられないものなのか。変えてはいけないものなのか。

まあ、この自治共和国の国民投票が公正に行われたかどうかは知らない。投票率は80%を超え、そのうち95%以上がロシア連邦に入りたいとの意向を示した。見ただけでうさんくさい感じがする数字だが、人口の6割ほどをロシア系が占めているから

「やっぱり、ロシア国民でありたい」

という人が過半数を超えても不思議ではない。ある種の胡散臭さ、きな臭さを感じるが、それは横に置こう。

問題はここからである。
住民の多数が、いまの政府の下ではなく、他の政府の下に所属したいと考えたとき、現実にはどのような手立てがあるのだろうか?

例えば、である。日本で国民投票をしたら、半数以上の人が

「日本をカタールに入れてもらおう。だって、カタールには所得税はないし消費税もない。おまけに医療費はただだ。カタール国民になりたい」

という意思を示したとする。
その時、どうすればいいのか?

民主主義とは、国民の意志に基づいて国を動かすことである。であれば、国民の過半数が

「カタール国民になりたい」

といえば、日本をカタールの一部にするのが民主主義である。問題は、カタールが、この国土と1億2000万人を超す人間を、自国のものとして受け入れるかどうかだけだ。
このようなとき、

「平和時に国境線を動かすのはまかりならん」

という論理が有効なのだろうか。カタールは、武力で日本を制圧しなければ、日本を己の国土、国民に加えることはできないのか?

クリミア自治共和国を巡る騒ぎに何となく違和感を覚えるのは、そんな思いがあるからだ。
この共和国が、ロシアにしてといってきた。よし、分かった。そこまでいうのなら、仲間にしてやろうじゃないか、と決めちゃったプーチンは、そんなに悪者なのか?

無論、現実は遥かに複雑である。ロシアはクリミア半島の先っぽに海軍基地を持つ。軍事的にも力を持ち続けたいロシアとしては、この基地を持ち続ける必要がある。先っぽだけでなく、クリミア半島全体を自国領土にできれば、こんなにいいことはない。だから、恐らくクリミア自治共和国に対して様々な形で

「一緒になろうよ」

と、飴と鞭を使い分けながら誘い続けてきたはずである。国民投票は、それが結実したものであろう。

欧米からしてみたら、ロシアが軍事的に強くなることは、いまの国際的な勢力バランスを壊すことになる、と見える。せっかくウクライナを西側の仲間にしてロシアを封じ込めようとしたのに、その一角が破られてしまった。
それに、こんなことを放っておいたのでは、他でも

「民意であるぞ」

を理由にした国境線の変更が起きかねない。そうなると、

「お前たちが勝手に出ていくのは許さん」

という政府(独立、あるいは他の国に編入する人々からすれば、元政府)が、武力で押さえつけにかかるだろう。つまり、ただでさえ不安定な国際情勢が、さらに不安定になる。

「そんなになったら、あんた、軍事費がいくらかかると思ってんの。勘弁してよ」

という本音が裏に隠されていても不思議ではない。

日本は海で国境線が決まっている。国境線を接する国はない。カタールに編入してもらおうと思っても、飛び地合併になってしまう。経済や政治、行政の効率性から考えて、現実的ではない。
しかし、大陸の国は、隣の国と国境線を接している。アメリカはメキシコ、カナダと国境を接する。元々移民で出来上がったアメリカで、メキシコ系国民が過半数を占めるようになり、国民投票で、アメリカのメキシコへの編入を決めてしまったらアメリカ政府はどうするか。ヨーロッパの国々の政府も、恐らく同じ恐怖感をもって、クリミアの事件を見ているのだ。

だが、それでも、だ。そんな国民が多数になったとき、国境は変えてはいけないのか? 国境線の変更に、民主主義の原理を使ってはいけないのか?


いや、私はクリミア自治共和国とロシアのやりかたがまっとうだと考えているわけではない。ロシア編入派にも違和感はあるし、きな臭さも感じる。欧米諸国の危機感にも同意したくなる自分もある。ロシアに編入されたが故に不幸になる多くの人もいるであろうと想像する。

それでも、だ。国境線とは何なのか。どうやって決めたらいいのか。住民の多数の意思でも変えられない国境線とは何なのか。そんな思いから抜け出せないのである。

うん、井上ひさしの

吉里吉里人

もう一回読むか? あれ、東北に、日本から独立した国を作る話だったよな。

国とは、国境線とは、民主主義の元での意思決定とは。なんか、今日はまとまらないな。頭の中で沢山の鼠が運動会をしているみたい。