2014
05.20

2014年5月20日 四面楚歌

らかす日誌

という状況が続いて、とても日誌謎書いているゆとりはなかった。
いや、ただいま現在も、状況は少しも改善しておらぬ。四面楚歌の中で書く日誌。ひょっとしたら、当面、これが書き納めになるかも知れない、と覚悟しつつの執筆である。

まず。
愛機、iMacが絶不調である。
不具合が現れたのは、先の日曜日であった。作業をしていて、ふと気がつくと作業速度が極端に落ちている。しかも、触ると熱い!

その時、私は横浜から持ち来たクラシックのCDをせっせとリッピング、iMacのハードディスクにため込んでいた。

「何でパソコンが熱くなる?」

当初疑ったのは、ディスクドライブである。考えてみれば、土曜日からリッピングのために回しっぱなし。ひょっとしたら回しすぎて熱を持つに至ったか。

熱を持ったものは冷やすしかない。
まず、ビニール袋入りの冷却剤を持ち出した。しかし、これはiMacを冷やすには取り扱いが難しい。とりあえず上部に乗せたが、熱いのは一部だけではない。そこだけ冷やしても間に合わない。
では、と濡れタオルを持ち来たった。これでiMacの背部を多い、熱を吸い取ってやろう。
まるでインフルエンザ患者の看病である。

しばらくはその状態で作業を続けた。だが、突然、リッピングの読み込み速度が落ちた。何故だ?

ここまで来て、やっと思い当たった。

「ひょっとしたら、CPUが過熱してないか?」

熱を持ちすぎたCPUは処理速度を落として仕事を減らす。そうやって熱を冷まそうとする。
ま、人間だって、熱が出れば仕事を休んでひたすら熱が下がるのを待つ。それと同じである。

で、本日、急遽、CPUの温度を表示するソフトをネットで見つけ、インストールした。それをにらみながらの作業である。現在、CPU温度、は華氏116度。そろそろ危険水域である。

なぜCPUが過熱するようになったのか。原因はまるで思いつかない。熱を取る方法があるのかどうかも不確かだ。

「寿命か」

人間だって、古くなればちょっとしたことで死に至る。年寄りの風邪は死に結びつきかねない重病である。

「死ぬのかなあ、iMac」

それが、当面の書き納めになるかも知れないと書いた理由である。


私を見舞う不具合は、それだけではない。
いまや、生活必需品になったネットワークオーディオが、またまた具合が悪いのである。

横浜かから持ち来たったCDをリッピングした音楽ファイルは、合計で40ギガほどになった。iMacに蓄積したこの40ギガを、有線でNASにコピーした。だから、この時点で、ネットワークプレーヤーとの接続は一時断った。

まる1昼夜かかって、40ギガは無事NASにコピーされた。やれ嬉しやとプレーヤーと再接続したのはいうまでもない。
ところが、なのだ。

iPadに入れた操作アプリから、操作ができないのである。というか、操作アプリが、自分が操作すべきプレーヤーを認識できない。だから電源のオン・オフすらできない。

「いつの間にかプレーヤーが壊れたか?」

最初に疑うのは、そこである。
確かめるためにやってみるのは、付属のリモコンでプレーヤーが動くかどうか試すことだ。

やってみた。立派に動いた。新しく入れたクラシック曲も、実にみずみずしい音で再生した。
なのに、iPadからは、どうやっても操作出来ない。このようなとき、あなたは何を疑います?

私は、無線LANを疑った。プレーヤーもNASも立派に稼働しているのである。そして、iPadからの操作指令は、無線LANを通じてプレーヤーに送られる。であれば、中継機能を担当する無線LANがおかしいのではないか? そもそも、頻繁に接続が切れる器具である。この際、もっとちゃんとした機能を持つものに買い換えるか。

ネットで調べ、これがいいだろうというものにたどり着いた。約2万5000円。それなりに高い。高いので、躊躇している間に、ふと思いついた。

「無線LANがおかしいのなら、わがiPadはネットに接続できないはずである」

すぐに試した。すると、不思議なことに、ネットには立派にアクセスできるのだ。

「だったら、何がおかしい?」

ここに来て、私は何が何だか分からなくなった。無線LANの機器を買い換えれば、本当に不具合は治るのか?

それに加えて、ブルーレイレコーダーの具合が悪い。録画したものは不要な部分を消去して編集するのだが、私がリモコンで出す指令に対する反応が、ずいぶん鈍くなっているのだ。時には、1秒ほど遅れて反応することもある。
使いすぎが原因か。

確かに、身のまわりには暮らしを便利にする機器が溢れるようになった。25年前には、最先端の情報機器であったパソコンも、いまではなければ日々の暮らしに困る生活必需品となった。
それで暮らしの質が高まったかどうかは難しいところだが、はっきりしているのは悩みの種が増えたことである。アナログの機器なら、調子が悪くなっても、何処が悪いのかは何となく見当がついた。場合によってはドライバー片手に中を覗いてみれば、修理できるものもあった。

ところが、最近の機器は、調子が悪くなったら何ともならない。メーカーに修理の人を寄越してもらっても、基盤などをごそっと取り替えるだけである。これは修理ではない。単なる作業である。
専門家でもその程度のことしかできない。ましてや、素人の私に手が出せる分野はほとんどない。

だから、パソコンの調子が悪い、家庭内のネットワークがおかしい、どうしてこれが操作出来ない? などといらついても、手も足も出ない。ストレスがたまる。
現代人の仏頂面は、こうした最先端機器が暮らしの必需品になったことにも一因があるのではないか?


そのようなことに忙殺されている間、Paulの日本公演がすべて中止になった。まさか、この日誌における批判を気にしたわけでもあるまいが。

初日の公演が中止となったとき、私は我が妻女殿に

「このまま日本で死んだらPaulは伝説になるなあ」

と感想を述べた。それを知ったか知らずか、次々に公演が中止となり、とうとう10万円コンサートまで取りやめとなった。
大変なのは、呼び屋のキョードー東京か、あるいは保険を受け付けた保険会社か。だって、チケットは原則払い戻しだし、チケットを売るための広告宣伝費、人件費は回収不能だし、会場費だって、あるいは会場用のガードマン費用だって、中止になったから払わないというわけには行くまい。収入はゼロで、支出だけが膨大である。

Paulさん、これにこりずに、あるいはこれのお詫びとして、病が癒えたら近々再来日するという話もある。さて、かつてマリファナで日本警察に逮捕された前歴もあるPaul。よほど日本とは相性が悪いらしい。

明治大学が、100円朝食を始めたとの話をNHKが報じていた。それも、明るい話題としての報じ方だった。見ながら、日本の最高学府もここまで落ちぶれたか、と嘆息した。

そもそも、相手は大学生である。いい大人である。幼稚園児や小学校の新入生ではない。
それに対し、何故に

「朝御飯を食べた方が体にも頭にもいいのです。皆さん、朝御飯を食べましょう」

なんて親切めかしたお説教をしなければならないのか。
相手は大学生である。自分の暮らしには自分で責任を持たねば大学生の肩書きが泣く。ここまで馬鹿にされたら、

「お節介もいい加減にせんかい!」

と怒ってこそ、独り立ちした人間である。
それを何だ?

「100円でこんなご飯を食べられるのなら、毎日でも食べたいです」

だと!
君には大学生の資格はない。みそ汁で顔を洗って、入試を受け直すべきである。
だってさあ、あんたみたいな馬鹿が大卒の資格を振り回して世の中を闊歩してもらったら、日本の先行きは真っ暗なんだよ!

で、明治大学当局へ。
キャラメルママが登場したのは、1970年前後の東大闘争だった。今となれば、あれが走りだったかと分かる。その後日本の親どもは堕落の限りを尽くし、高校の入学式、大学の入学式どころか、企業の入社式にまで参列し始めた。
子供の成長を認めず、いつまでもペット扱いする馬鹿親
その馬鹿親に反旗を翻ることもできず、唯々諾々といわれるがママになる馬鹿なガキども。
それに今度は、大学当局までが加わろうってっか?

優れたアドバイスを差し上げる。
大学名を変えた方がいい。

「明治大学幼稚園」

入園資格は、高校卒。入園テストは、大学入試並みの難度とします。

真面目に検討されてはいかがか?


では、パソコンの調子が良くなるまで、あるいはパソコンを買い換えるまで、しばらく執筆はできないと思います。ご寛恕をいただきたい。
現在のCPU温度、華氏138度なり。