2014
06.21

2014年6月21日 TSUTAYA

らかす日誌

のネット宅配レンタル、なるものに入会した。毎月定額を支払えば、DV、ブルーレイ、CDが借り放題、という代物だ。

御存知のように、我が家のオーディオはネットワークが主体となった。こいつ、音の良さもさることながら、もうひとつの利点は、CDを持つ必要がないことである。正確に表現すれば、必要なのはCDに入っているデジタルデータで、CDそのものは手元に置く必要がないことである。

であれば、もうCDを買う必要はない。借りてリッピングをすればわが家の音楽資産は、さしたる費用をかけずにリッチになる。それが宅配レンタルに入会した最大の理由である。

考えてみれば、私の音楽の趣味はかなり偏っている。The Beatles、Eric Claptonが半ばを占め、恐らく持つ人の数がかなり限られる珍しい音源まで揃っている。次に来るのはBob Dylan。この3者を除けば、他のミュージシャンは数枚ずつある程度だ。Led Zeppelinは2枚しかなく、The Rolling Stonesは3枚。Queenは1枚のみ。

別に幅広く聞いて教養を広め、深めようなどという野心があるわけではない。だが、私が聞いたことがない音楽に酔いしれる人もたくさんいるのが世の現実である。といっても、AKB48などにまで手を出す気はないが、名盤としていまだに聞き続けられている洋楽は幅広くあった方がいいのではないか、私も触れてみてもいいのではないか。たいして金もかからないのだから、というのが理由のすべてである。

会員になると、聴きたいアルバムをホームページ上で選ぶだけでよい。聴きたいアルバムはどんどん追加すればよく、あとは自動的に2枚ずつ送られてくる。そのリッピングを済ませ、送り返す。その到着を確認して次の2枚が送り出される、というシステムらしい。

なるほど、このシステムの肝は

「1度に2枚ずつ」

にあるのだなあ。1ヶ月に利用できる新作が最大8枚まで、旧作は借り放題とあるが、発送に1日、リッピングに1日、返送に1日かかると計算すれば、1度にに2枚しか送られてこないのだから、このシステムで利用できるのは月に20枚。これで1865円である(最初の1ヶ月は無料お試し期間)。つまり、1枚あたり90円強。高いか安いかの判断は微妙なところだが、買うに比べれば遥かに安くつく。

最初は、そんな仕組みは知らないから、

「とにかく目につくものは20枚、30枚単位で借りてリッピングしよう。そうすれば、2、3ヶ月で借りるものはなくなるはず。そうしたら退会する」

つまり、総費用を5、6000円と踏んでいた。が、月20枚なら、もうしばらく時間がかかりそうである。ま、それでも、1年もあれば大丈夫だと思うが。

ついでに、妻女殿が

「見たいけど、家にない」

とお騒ぎになった映画のDVD、ブルーレイも発注した。

・バグダッド・カフェ
・八月の鯨
・ジョニーは戦場に行った
・西部戦線異状なし
・旅芸人の記録

である。
第1便はすでに発送された。明日には届くだろう。しばらくはまた、忙しくなりそうだ。


桐生の友、O氏が欲しがっていたクリスキットMark8が、明日わが家に届く。先日わが家に遊びに来たI君からメールが来た。O氏に

「なんだけど、取りに来る?」

と電話をしたら、

「うーん、でも、自分で配線した方が大道さんも安心なんじゃない? エアコンかけて部屋は涼しくしておくから」

だと!
やむなく、明日はクリスキットをO氏宅に配送する。

クリスキットと一緒に、HDDも送られてくる。こいつには、I君がリッピングした音楽データがてんこ盛りのはずである。さて、どのような曲が入っているのか。
それを我が方にコピーした後は、私の音楽データをこのHDDにコピーして送り返す。

私をネットワークオーディオの世界に誘った東京のS氏は、このような行為を

「バックアップを取る、といいます」

とおっしゃる。
NASにあって楽曲を記憶するのはHDDである。高速で回転を続けるHDDは、いつかは必ず壊れる。壊れると、中に入っていた音楽データも、高い確率で壊れる。

「自分でほかのメディアにバックアップを取るという手もあります。でも、仲のいい友だちとお互いに融通しあっておけば、いざというとき、その友だちのHDDからコピーし戻すことができ、安全度が高まります」

ネットワークオーディオ時代の新しい常識である。
しかし、音楽産業は大変だろうな……。


ワールドカップ。日本はギリシャと引き分けで、決勝進出がほぼ絶望となった。

「絶対勝つ!」

と言わんばかりに煽りまくったメディアって、この結果にどう責任を取るのか?

この間、新聞もテレビも、ブラジルで開催中の国際的玉蹴りゲームに血道を上げている。だが、自分たちの報道姿勢が、戦争をあおりに煽った戦前のメディアと強く似通っていることに自覚的な社は1つもない。観念左翼的な言葉を振りまくことに生き甲斐を感じているような東京新聞にしてからが、その点では全く変わりない。

太平洋戦争の中で、メディアは大本営発表を垂れ流し、清国日本が鬼畜米英を粉砕し続けているとの嘘を、これでもかとばかりに垂れ流し、国民の戦意を煽った。

「軍部の締め付けで」

という言い訳もあろう。それは認めぬでもない。だが、日本が戦争に勝っていると書かねば読者に毛嫌いされる、という計算も働いたはずである。

「読者が読みたいのは、日本軍の苦戦じゃない。栄光の日本軍の活躍ぶりを読者は待ち望んでいるのだ」

そんな蛮声が、あちこちのメディアの中で飛び交っていたのではないか。

さてワールドカップ。1次予選リーグでグループCに入った日本は、グループ4チーム中、国際ランキングは最低であった。様々なデータから見て、4チーム中最弱のチームなのである。従っていま、1敗1分けの成績は、予想外の大健闘である、というのが客観的な事実である。
無論、ランキングが下のチームが、上のチームに一泡吹かせるダイナミズムは、スポーツの醍醐味である。その番狂わせを心待ちにするのは、ファン心理であろう。それを否定するものではない。

さて、事前の報道はどうであったか。
私はたいして関心を持たないので、ざっと目を通した程度である。だから、印象批評にしかならないが、その印象では、日本が決勝トーナメントに進むのは当然で、目指すはベスト4、あわよくば頂点に立つ、というものであった。
皆さんの印象はどうだったろう?

「えっ、日本の実力が一番下? そんなこと、俺も知ってるよ。でもなあ、いま日本中が、日本代表が勝つことを願ってるんだよ。それなのに、そんな冷や水を浴びせるようなことを書いてどうする? えっ、本田が『優勝を目指す』っていったって? それだよそれ。それこそが読者、視聴者が待ってるニュースなんだよ。見出し、派手につくってよ」

そんな蛮声が沢山飛んでいたのではないか。

客観的事実を冷静に、淡々と伝えてこそのメディアである。読者と一緒に、わけのわからぬ熱狂の中に飛びこんで、一緒に踊っていたのでは、ジャーナリズムなんてどこかにすっ飛んで行ってしまう。

という自覚を持ったメディアが1社でもあったか?

きな臭さを漂わせている安倍政権に、国民の視線はいま甘い。隣にある大国中国の、無法者国家への成り上がりぶりがあまりにも目に余るからであろう。

それでも、多くのメディアはいまのところ、安部政権の右より路線に批判的な論調をはっている。だから、戦前のメディアに先祖返りする危険は小さいという向きもある。

「大道さん、心配のしすぎとちゃいまっか?」

という人もいそうだ。
だが、私は心配だ。絶対にあって欲しくないことだが、中国が武力に訴える動きに出たとき、恐らく日本の世論は沸騰する。

「政府は何をしている! 直ちに応戦して中国をたたきのめせ!!」

という勇ましい声がわき起こり、それが多くの国民の声になったとき、メディアは冷静さを保てるのか?
たかが玉蹴りでも、国民の盛り上がり(それも本当なのかどうか。NHKのニュースを見ていても、盛り上がっているところだけ映像化され、私のような無関心筋の映像は出てこない。ああ、NHKは盛り上げたいのだな、新聞も盛り上げたいのだな、としか見えない)に押されて、まるで願いごとに溢れた客観性のない話を垂れ流すのが、いまのメディアである。
彼らは、日中関係がホットになったとき、国民から離れて冷静さを保つことができるのか?

「この期に及んでつまらぬ平和論を垂れ流す売国奴、○○新聞を糾弾する!」(○○にはお好きな新聞名を)

「中国の手先△△新聞の不買運動を広めよう!」(同上)

となったとき、冷静でいられるか?

たかが玉蹴り競技。だったら、一緒に踊ればよい。それと国の行く末がかかる話を同じに扱うことはありえない、のかもしれない。
だが、たかが玉蹴り競技でも、報道は冷静であるべきではないのか。あれだから、これだからとあれこれ理屈をつけて、読者と一緒に踊ることを正当化し、やがて習慣として身につけてしまえば、いざというときに、踊らない選択がどのようなものであるかの判断に困ることにならないか?

無論、メディアも商売である。新聞は売れてくれなければ、テレビは見てもらえなければおまんまの食い上げだ。無闇に読者、視聴者を敵に回すことはできまい。
だからといって読者、視聴者と一緒に浮かれているだけでは、もはやメディアの役割は果たせない。

甘さもあるが、苦い薬も一緒にきちんと届ける。それがメディアが存続するための絶対条件だと思うのだが、国際的玉蹴り競技の報道に苦い薬はあったか。熱狂的サッカーファンが、思わずムッとするような客観的データの提示があったか。

サッカー日本代表より、日本メディアの明日が気にかかる私である。