2014
07.16

2014年7月16日 安息日

らかす日誌

本日は、自主的に安息日とした。昨日まで、3連休で野外のイベントに駆り出されたが故である。

起床は午前6時半。7時過ぎには朝食を済ませ、必要な道具、資料などを持って車に乗り込む。こうして自宅を離れると、あとはほぼ終日イベント会場に詰める。

まあ、そりゃあ、日がな一日陽光の下にいるわけではない。ほとんどは屋内で、しかも空調のある部屋での仕事である。それも肉体労働をするわけではない。いってみれば、ほぼ終日、イベントを監視してるようなものだ。必要があればカメラを抱えて撮影ポイントに移動し、時が来れば短いレポートをまとめる。そして、時間を盗んでは屋外に出てタバコを吸う。

その程度の仕事なのだ。なのに、体は何となく疲労を訴える。目の奥が痛み始める。

初日の13日、自宅に戻ったのは午後5時を回っていた。家に入ると何もする気が起きず、ボーッとしたまま風呂に入り、晩酌を済ませて食事をし、寝るには早すぎるから映画を見る。
そして、寝た。いや、これで体が持つのかな? と疑問を抱きつつ、だけど、持たなかったらイベントが台無しになるよな、などと考えていたら眠っていた。

翌14日、そして昨日15日は、不思議なことに体は楽になった。慣れたのか。それでも、ずっと屋外を監視し続ける目は、やっぱり疲れる。念のために目薬を持参して時折差したが、まあ、蛙の面にションベン程度の効果しかなかった。65年も使った体は、無理が利かない。

という3日間を過ごしたのである。今日は日曜日ではないが、自主的に安息日を設けて、何処が悪い?

「今日は休む!」

という大げさな宣言などせず、何もいわずに、実質的に安息日を設けるのは、中枢機関から1人離れて仕事をするリモートオフィスの特権なのである。

イベントは、次の土日にも開かれる。俺の体、もつかな?


それでも、だ。自宅にいればいたで、仕事は降ってくる。

朝食を終えると、妻女殿がメモを取り始められた。ちらっと覗くだけで

「おお、仕事ができた」

と分かる。書き連ねられているのは、野菜と魚と牛乳。私に、買い物に行ってこい、との指令書である。いつもの如く、いわれて動くより、自主的に動く。

「おい、これ、何だ? かしき3枚、って。日本語はな、濁点のあるなしで、全く変わってくるんだ。正確な日本語を書け!」

かしき、とはカジキのことである。妻女殿にかかると、ピーマンがひーまん、となり、アジがあし、となる。点や丸をつけるのが面倒なのか。ずっと日本で暮らしてきた私には、この日本語表現感覚が理解できない。

ニンジンが妊娠になり、牛肉が旧肉に、ゴマが駒に、あげがあけになる世界。

妻女殿はきっと、私とは言語体系が違う国の住民であるのに違いない。

で、朝からスーパーに行き、魚屋に行き、正午前に自宅に戻る。

戻ると、CDが16枚届いていた。ネットレンタルショップからで、いつものごとくリッピングを始める。盤面に傷があるようで結構時間がかかり、終わったのはもう夕方。すぐに返送用の封筒に入れ、投函する。


そういえば、人間ドックの結果が届いた。成績はあまり良くない。

BMI値が高い。評価はC。あれれ、って先を見ると、数値は25.2。あらら、この程度のBMI値が一番長生きするって知らないのか?

呼吸器系も評価C。肺機能が低下しているとか。明日から、朝の深呼吸を心がけよう。

循環器系、C。高血圧傾向にあるとのこと。そんなに心配するほどか?

脂質代謝、C。トータルコレステロールが222。だけど、いま読んでる本によると、疫学調査でもっとも生存率が高かったのは、この数値が220-249のグループだったと書いてあるぞ(もっとも、これは女性の話だが。まあ、男だってそんなに違うことはあるまい)。

腹部超音波検査、C。肝右葉石灰化、両腎のう胞。えっ、と驚いてネットを見たが、「心配ない」とあった。

血清学検査がD2、つまり精密検査を要す、とある。これはHCV抗体が見つかったためである。HCVとは、いわゆるC型肝炎のことで、これにかかると体内にこの抗体ができる。

C型肝炎! と驚いてはいけない。これ、10年ほど前にも宣告されたのである。
きっかけは、東京の本社内で通っていた歯科医であった。

「大道さん、申し訳ありませんが、HCVのテストを受けてくれませんか?」

あるときそういわれたのだ。なんでも、歯根を洗浄する、スポイトの親玉みたいな器具を、一度使ったものを廃棄せず、数人の患者に使い回していた。ために、感染症にかかった恐れがある、というのである。否も応もなく、とりあえず血液検査を受けた。

その結果が

HCV抗体陽性

であった。つまり、抗体が体内にある。ということは、C型肝炎にかかっている、あるいは発症はしていないがウイルスを持ち歩いているキャリアで、いずれ発症するか、他人に移す危険がある、ということになる。

「なので、申し訳ありませんが、精密検査を受けて下さい」

だけど、俺、ずっと酒は美味かったし、体がだるくて仕事ができない、ってこともなかった。つまり、C型肝炎の自覚を持ったことは一度もないのだが、それでも受けろってか?

「お願いします」

わかった。受診はしよう。でも、精密検査の結果、私がC型肝炎ウイルスの保菌者であると判明した場合、あなた方は賠償してくれるのか?

「えっ?!」

だって、この歯科で治療したことが原因で保菌者になったったとしたら、その補償を求めるのは当然だろう。

「といわれましても、他での感染もあり得ますし」

だから、これまで自覚症状はないんだって。だから、この歯科を疑うのは当然で、ここで感染したことは証明できないとしても、第1番に疑わしいところであるわけだから、応分の補償は必要でしょ?

てな嫌みを言いながら精密検査をしたら、ウイルスは見つからず、なぜか抗体だけが我が血液中にあるという報告を受けた。

「どういうこと?」

と聞くと、

「あなた体はいずれかの時点でC型肝炎に感染しました。で、それが完全に治癒し、体内に入ったウイルスは全滅しました。その時にできた抗体だけがいまだに残っているということです」

とのことだった。
つまり、私の身体は、C型肝炎ウイルスの侵入を許してしまったことをご主人様である私に秘したまま、ウイルスと闘い、打ち負かした。

「ま、敵の侵入は完全に阻止できたわけだから、ご主人様にご報告することもなかろう」

と判断していたわけである。
C型肝炎ウイルスは、悪くすると肝臓ガンをひきこすともいわれる強敵である。それを、戦闘を目撃されることもなく全滅させる。凄い体もあったものだ。

その時、ウイルスを撲滅した勇者である抗体が、またまた検査で見つかった。

さて、これ、一度はやった精密検査を、またしなきゃいけないものだろうか?

明日、会社の専門家に相談してみよう。


そういえば今日、瑛汰、璃子、彼らのママである次女はすでに、サンフランシスコにいる。
昨夜11時過ぎ、瑛汰は羽田から電話を寄越した。

「いまから行ってくるからね」

「お土産、楽しみにしてるからね」

帰国は28日とのこと。ずいぶんゆっくりしてくるものだ。
瑛汰と璃子、少しは英語が話せるようになって帰ってくるのかな。