2014
08.11

2014年8月11日 ジャイアンツ

らかす日誌

昨日、啓樹、嵩悟の一家が去った。
四日市から横浜(瑛汰、璃子の家)、高崎(パパの実家)を経て8日、我が家にたどり着いた。嵩悟が

「ボス! 来たよ」

と駆け込んできたのは、午前10時過ぎのことだった。

昼食は嵩悟のリクエストで蕎麦。久々に「高橋」まで出かけた。
食べて、啓樹・嵩悟の一家と5人連れで伊勢崎・華蔵寺公園。あいにくの雨模様で、時折雨に濡れながら、これも嵩悟のリクエストでパンタさんに乗る。

なんでも、嵩悟は車が大好きだそうで、

「分かった! 嵩悟がパンタに乗りたがるのは、あれ、バックするからだわ。公園で車に乗っても、バックする車ってないもんね」

とは2人のママ、私の長女の言である。
なるほど、そのような事もあるか。
嵩悟は、パンタさんとキリンさんに乗り、それぞれ50円だから計100円。ついでに自分で運転できる車、バイクにも乗ってご機嫌。

終えて、華蔵寺公園の呼び物である急流滑りに呪うと思ったが、雨脚が強まり運転休止。やむなく、ショッピングモール・スマークに立ち寄り、啓樹、嵩悟に本を買う。

9日は朝から、太田のトイザらスに行った。
昨夏、啓樹・瑛汰と九州旅行したとき、2人に電動式の水鉄砲を買い与えた。それが我が家に保管されていたらしい。啓樹はそれを記憶していて、8日夜、風呂に入ろうとしたら

「ボス、去年買ってくれた水鉄砲は?」

と聞いてきた。聞かれたって、こちら、全く記憶がない。

「何、それ?」

と屋敷を探し回って発見したが、電池を入れっぱなしで保管していたため、2挺の水鉄砲はどちらも電気トラブルを起こして使用不能。

「しょうがない。明日買いに行こう」

という会話がトイザらスにつながった。

ところが、である。そのトイザらス、適当なサイズの電動式水鉄砲を置いてない。ために断念し、ずいぶん前から嵩悟が欲しがっていた、トミカのカーキャリアカーを買う。

出しなにママから

「買うのは水鉄砲だけだからね。ほかものを買ってもらったら許さないからね」

と強くいわれた嵩悟であったが、なーに、そんなもの、どうにでもなるとばかりに、握って離さない。啓樹とパパに説得されて一度は断念したが(ママの怖さを思い出したか?)、その姿がいじらしく、水鉄砲がなかったこともあって私が買った。

ところが、である。
帰宅途中で、

「そうか、メガドンキにもオモチャ屋があったわ」

と思い出した私は、車をメガドンキに回し、電動式水鉄砲も買ってしまったのである。

というわけで、午後は水鉄砲遊び、屋内遊び。夜は鰻の「こんどう」。

と時間を過ごして昨日昼過ぎ、桐生を去った。


たったそれだけのことなのに、一家が去ると、何となく疲労感に襲われる。
腰痛を抱え、しかも夏。最近はほとんど歩いていない。その私が華蔵寺公園で子供たちと一緒に歩き、翌日はトイザらス、メガドンキと歩き回り、いつもの3倍ほど歩いたからか?

すべての問いかけ、命令に、まず

「いや!」

と答えることから始める嵩悟のとの心理戦に精力を使ったからか?
いずれにしても、4人が去った後は何となくけだるく、何をする気も起きなかったので、夜は映画を見た。

ジャイアンツ

1956年のアカデミー賞・脚本賞を得た3時間21分の大作である。上映時間の長い映画は、早めに見始めないと睡眠時間を削ることになる。何もする気になれない日は、このような長編を見るのにうってつけなのだ。

午後8時過ぎにはテレビの前に座った。見終えたのは11時半。
一言で言えば、駄作である。このような下らぬ映画が、何故アカデミー賞を受賞するのか?

ワシントンに素晴らしい馬がいる。そんな情報を仕入れたテキサスの若い農場主が馬を買いに来た。この男に、馬の持ち主の娘が一目惚れをする。無事に馬を買い付けたテキサスの男は、馬だけでなく、新妻まで連れて故郷に帰る。

ま、ここは大目に見てもいい。確かに、世には一目惚れという現象が存在する。男女双方が相手に一目惚れしてしまう確率はかなり小さいと思うが、まあ、そうだったんでしょう。
とにかく、馬場の柵の前で初めて目と目を見つめ合った2人は、次のシーンではテキサスに向かう寝台列車のベッドから窓外を覗いている。かなり安易な結婚であるとは思うが、なにしろろくに話しもしないうちに一目惚れしてしまった同士だから、それもやむを得まい。

東部で育った娘は、だが、テキサスにちっとも戸惑わない。

「テキサスって、メキシコ人から奪い取った土地なのよね」

と旦那をからかい、強い民族差別感情の残る現地では、従業員であるメキシコ系住民に対し

「やめろ!」

という旦那を無視して、博愛を惜しげなく注ぎ込む。

何これ? この女、テキサスに舞い降りた天使? という役を務めるのはエリザベス・テーラーである。

でも、ワシントンの女ってみんなこうなのかな? このエリザベス、彼女の旦那と一緒に牧場を経営している義理の姉に向かって

「私もあなたの暮らしに干渉しませんから、あなたもわたしたちに干渉しないでください」

と、確か2日目にして宣戦布告するのである。
いやあ、このお姉ちゃんも、都会からテキサスという田舎に来た新妻に気を使って、言葉は荒いが気を使っているように見えたのだが。

という展開だから、ああ、そうか、これは嫁と小姑の闘いか、と思って見ていると、その直後、このお姉ちゃんは、弟がワシントンから勝ってきた馬に振り落とされて死んじゃうのだ。この馬、ワシントンではエリザベスが乗り回していた愛馬だったのだが……。

このあたりまで見てきて。なんともメリハリのない脚本にイライラしてきた。
ねえちゃんがあっさり死んじゃうんだったら、どうして女ふたりがいかにも対立しているかのように描くわけ? 必要ないでしょ。

このあとは、テキサスで育ち、テキサスの男っぽさと民族差別感情をいっぱい身につけた旦那が、いつしかワシントン育ちのインテリ女に飼い慣らされ、民族差別と闘う男に変身する。

まあ、それもよかろうよ。レイシズムとは醜いものであるから、改心する男が一人でも出るのは好ましいことなのだが、この旦那、いったい何故、あれほど信じていた民族差別を憎むようになったのだろう? それがちっとも伝わってこないのである。

そうそう、あのジェームス・ディーンも登場して、最初は旦那の牧場で働きながら、運に恵まれて石油を掘り当ててにわか成金になる。ジェームスはエリザベスが牧場に来た瞬間から強い憧れを持ち続けるのだが、所詮人妻。また、雇用主の妻とあっては手を出せない。
成金になると、エリザベスの娘といい仲になりかける。それはエリザベスへの執着に裏打ちされた不純な愛なのだが、いったいどう展開するのか、期待を抱かせもする。

が、これもあっさりとだめになるのだ。稼ぎに稼いだ金で空港をつくり、そのオープニングパーティで2人の婚約を公表しようということにまでなるのに、なぜかジェームスは一番大事なスピーチの席で、酒を飲みすぎてぶっつつぶれ、醜態をさらす。婚約なんてどっかにすっ飛んじまうのだ。

本当に執着しているエリザベスに手が届かず、その娘を手に入れることで自分をだまそうとしている自分に嫌気が差したのか?
とにかく、この展開も、ミズの上を油が流れていく如く引っかかりが全くなく、

「何で?」

と叫ばすにはおられない。
こんなことで終わらせるのなら、なんでジェームスに石油を掘り当てさせ、にわか成金にしちゃうのかね。意味ないジャンか。

しかも、だ。婚約がつぶれて泣き叫んでいた娘は、パーティ会場から故郷に帰る車で、隣を走る車の兄ちゃんから粉をかけられると、最初はぶすっとしているものの、やがてさも嬉しそうにニコッと笑うではないか。

おいおい、ねえちゃん、ついさっきまで愛してるのどうのって泣き叫んでいたのはどうしたの?

この後旦那は、民族差別主義者と壮烈な殴り合いをする。これもフワフワフワフワ描かれるから、なんでレイシズムの撲滅のために痛い思いまでするのかが、伝わってこないのだ。

この作品には原作がある。原作のある映画はおおむね、

「なるほど」

と思わせる作品に仕上がるものである。
なのに、この体たらく。

3時間21分もかけた駄作が、何故に監督賞に値するのか?

繰り返す。ジャイアンツは、同名の日本のプロ野球球団と同じく駄作である。3時間21分も無駄な時間を過ごすのは願い下げにしたい、という方は、絶対に手にとってはならない作品である。