2014
08.15

2014年8月5日 いじめ

らかす日誌

いまの桐生を一言で表現せよといわれれば、

ヒェーッ!

であろう。とにかく、暑い。

大雨による水害や山崩れで被害に遭われた方々からは、その程度のことで悲鳴をあげるな、と叱られるかも知れぬ。が、実感としては

ヒェーッ!

なのである。
とにかく、熱気で、動くに動けない。

昨日、午前中は自宅ですることがあった。
高齢者夫婦の住む自宅である。ここまで生きてきたら、暑い日は金に糸目をつけずにエアコンを使う。下手にやせ我慢していたら、それでなくても若いころに比べれば基礎体力が劣化している身の上だ。屋内で熱中症、なんてことになりかねない。それで必要となる医療費、心労に比べれば、電気代をけちるのは割に合わない。

そんな我が家に、正午過ぎに福島から桃が届いた。
誰かが贈ってくれたのではない。息子の友人の実家で、果樹園を経営するところに我が妻殿が注文されていたのが届いたののである。ここの桃、リンゴ、とにかく美味い。

「Oさんのところにおすそ分けしたいんだけど、持っていってくれない?」

言葉は優しいが、中身は命令である。そうか、O氏宅まで車でひとっ走りしなければならないか。
思いながら、玄関から外に出た。

暑っつ!!!

これ、並大抵の気温ではない。出た瞬間に、頭の先から足の先まで、ジリジリと焼かれる熱さである(これ、漢字の間違いではありません)。肌がもろに出ている顔、首筋、腕など、10分もすれば火傷を死そうな熱さである。

「今日は、外出やめるわ。こんなだと、外に出るのは朝方しかない。桃は明日の朝持っていく。買い物があるのなら、それも明日の朝する。メモしておけ」

かくして、私は1日引きこもった。

が、かくなる時は、波乱要因が出来(しゅったい)するのが世の習いでもある。
うん、出来したのだ。TSUTAYAからレンタルCDが届いたのである。

届いたら、直ちにflac形式でリッピングし、終わり次第返送するのが、レンタルCDを利用するノウハウだ。何しろ、一度に2枚しか送られてこないし、返送したものが向こうに届かない限り、次のCDは送ってくれない。毎月2000円弱の定額制であれば。できるだけコストを抑えるには、ノウハウを実行せざるを得ない。

「郵便局まで行ってくるわ」

意を決して外出したのは、午後3時過ぎであった。こともあろうに、1日中で1番気温が高くなる時間帯である。外に出るのがいやでぐずぐずしていたのが原因である。
郵便局までは100m前後。その距離を歩く。投函して、ついでにすぐそばのコンビニでビッグコミックを購入し、戻る。そう、時間にしたら10分足らずであろう。歩数にして300歩ほどか。

汗が出た。止めどなく汗が出た。エアコンを効かせた屋内に入っても、汗はなかなか止まらなかった。冷気が直接当たる場所で、タオル片手に汗をぬぐうこと約20分。やっとのことで汗が止まった。


という具合に、エアコンに保護されて過ごした。それが昨日だ。
今日は朝から、桃の配達に出た。午前10時過ぎに車に乗り込む。エンジンをかけると、すでにして、車載の外気温計は33℃を示してる。

「おいおい、まだ10時だぜ」

O氏宅に桃を届け、

「大道さんところのは、いつも美味しいものばかりで」

という奥さんに、

「いや、これは私が育てたのではなく、私は買っただけで、その褒め方はないでしょ?」

とジャブを出し、ついでに

「お孫さんは?」

と聞くと、

「来てるわよ」

だったら、

「じゃあ、僕ちゃんに食べさせて」

これだけの会話で、もう私は汗だらけになった。
それでも、まだ仕事がある。妻殿に命じられたスーパーでの買い物だ。車をヤオコーに向ける。
車のエアコンは、もちろんマックス運転である。が、車内はちっとも冷えない。チンチンに熱された鉄板に囲まれた車内は、まあ、地獄である。我が家からO氏宅程度の距離では、鉄板の熱気は取り切れないのである。

ヤオコーではまず、スポーツ用品店に向かった。リストバンドを買うためだ。
このところ、左の手首の具合が変だ。痛むのである。

「大道さん、45歳を過ぎて、どこも痛くない人なんていないんだから」

とは、我がかかりつけの整形外科医の話だが、腰に爆弾を抱え、頸椎の変形から肩こりが去らず、ギター練習のしすぎから右肩の痛みに悩まされ、そのすべてが同時進行してなかなか改善しないのに、もうひとつ、手首が加わるのは、できれば願い下げにしたい。と願っても襲ってくるのなら、

「できるだけソフトにね」

歌でいえば、

Killing Me Softly With His Song

みたいな方がいい。ちょっと例えが違うか?
と思って、手首をできるだけ冷やさないための工夫としての買い物である。

終えて、妻女殿のメモを化片手に、食品を次々と籠に放り込み、会計。1万5000円強なり。

で、自宅に戻った。戻る途中の車の外気温は37℃。午前中からこれである。これじゃ午後は、今日も出られないよなあ。

ということで、午後はエアコンの効いた部屋で高校入試数学を解き、ラ・サール高校の立体の問題がすんなり解けて気をよくしたが、続いてギターを抱えて

「俺、ギターの才能、ないのか? ないんだな、きっと」

と意気消沈した今日であった。

ん、仕事?
こんな日は、熱中症にならないのが会社への最大貢献である、と私は考えるものである。


にしても、だ。
理化学研究の笹井さんが自殺しちゃった。小保方ねえちゃんの上司として、STAP細胞で世間を騒がせた方である。

世の多くの方がどう受け止めていらっしゃるのか分からないが、私ははなはだ心外である。
新聞、週刊誌にさんざん叩かれた笹井氏。だが、彼はこれほど世の非難を浴びねばならないことをしでかしたのか?

最も肝心なSTAP細胞について、彼は

「STAP細胞を必ず再現してください」

と小保方ねえちゃんに遺書を残していたそうだ。

人のまさに死なんとする、その言や善し

ともいう。まさか、これから自殺する男が、残していく弟子のために大嘘をつくとは思えない。STAP細胞が存在するのかしないのか、いまの時点でははっきりしていないのである。彼は、あると信じていたから、このような遺書をしたためたのであろう。

それを前提とするならば、メディアの報じ方はひどかった。
STAP細胞の研究発表で小保方ねえちゃんと一緒に祭り上げ、それに疑問が出て来ると、一転して足蹴にするように叩いた。

格下だった山中教授に先を越されて焦っていた。
そりゃあ、焦りもするだろう。自分の方が遥かに先を歩いていると思ったのに、突然、iPS細胞というとてつもないものを発見し、ノーベル賞を受けた。笹井氏の立場にいて、焦らない方がどうかしている。
だが、いくら焦ったからといって、世界を相手に詐欺を働くか? 彼らの世界とは、最先端で競い合う専門家の集まりである。一瞬はごまかせたとしても、長い間ごまかすことは不可能である。その程度のことは知り尽くしているはずの彼である。
それでも彼は、詐欺犯の道を選んだのか?

小保方ねえちゃんんとの関係をかぎ回るメディアもあった。
そりゃまあ、小保方ねえちゃんは、この私ですら

「こんな見目よい女性が画期的な業績をあげたのか」

と嬉しくなったほど、女性としての魅力を持った女性である。まあ、最近はやつれて魅力の大半が失われたが、全盛期の小保方ねえちゃんの直属の上司として、ひょっとしたら小保方ねえちゃんの色香に迷ったことはあったかも知れない。
ベッドに裸形の2人が横たわり、

「だから、STAP細胞は……」

などというピロートークを交わしたことがあったかも知れない。
だが、それがどうした?
男と女がなるようになることと、その2人が生み出す科学的成果は全く別のことである。世の中は生み出した成果だけが評価の対象になるのであって、そのために、あるいはその過程で何があったかはどうでもいいことなのだ。

研究費を不正流用したのか?
小保方ねえちゃんと2人で、研究費を使って贅沢三昧した、という趣旨の報道もあった。本当か? いや、それが本当だとしても、だからどうした?
要は、成果がすべてである。研究費で贅をこらしたから成果が生まれることだってあるではないか。
暴論と呼びたければ呼ぶがいい。だが、ルールを墨守する人間にはたいしたことはできない。歴史を先に進める人間には、ルールなどどうでもいいのである。

で、このような条件の下で、彼は何故あれほどまで貶められたのか。
メディアに救う連中の嫉妬である。あるいは、それを読む読者という連中の焼き餅に、メディアがすり寄ったのである。

笹井氏ほど才能に恵まれ、仕事にも恵まれ、しかも、小保方ねえちゃんという魅力的な女性にも恵まれたとすれば、才能にも、仕事にも、女にも恵まれない大多数は、彼の躓きを

「ほれ、見たことか」

とあざ笑って己の卑小さを正当化しようとする。今回のようなケースでは、自分の劣等感を、「社会正義」という仮面で覆って見えなくできるから、みな遠慮会釈なく笹井氏を叩いて悪者に仕立て上げてしまった。

これは、社会的ないじめである。優れたものを自分のレベルまで引きずり下ろしたいという卑劣な心情が作り出したいじめである。
それに耐えられなくなって、笹井氏は死を選んだ。

なあ、笹井さんよ、死んで花実が咲くか?
小保方ねえちゃんだけでSTAP細胞を証明できるか?
あることないことを言い立ててあなたを引きずり下ろそうとした世間のバカどもを見返してやろうとは思わなかったのか?

山中教授に先を越されてもいいじゃないか。あなたは、あなたのやりかたで世界の貢献できたはずだ。なのに、なぜ死んだ?
生きてこそ、とは考えなかったのか?

市井に隠れる殺人者は、メディアに巣くう殺人者は、彼の死をどう受け止めたのだろう?
彼の死を受け止めるほどの感性を持ち合わせれば、間接的殺人者の立場に立つことはないかも知れないが。

私は笹井氏の死を悼む。惜しむ。
だから、冥福は祈らない。彼の心の弱さを罵倒するものである。