2014
11.21

2014年11月21日 高倉健

らかす日誌

やや遅ればせだが、やっぱりここで書いておこう。高倉健である。

享年83歳。タフガイで売った割には早かった。それは個々人の寿命の問題だからいってみても仕方ない。安らかな眠りであったことを祈るばかりである。

名高い俳優さんである。マスメディアがこぞってその死を取り上げるのは当然だろう。
が、だ。健さん、死亡が新聞の1面に載る役者だったのか? 社会面を全部つぶして特集するような男優だったか?

追悼記事には、名優、という表現が何回も出てきた。
が、だ。高倉健とは、名優であったか?

高倉健ときて、直ちに記憶に浮かび出る絵がある。

「とめてくれるなおっかさん 背中の銀杏が泣いている 男東大どこへ行く」

1968年の東大駒場祭。背中から肩にかけて東大の徽章と銀杏を刺青した男がひとり。そのポスターに書かれたキャッチコピーである。1970年前後の学生運動の象徴としてご記憶の方も多かろう。イラストレーターを経て文筆業に転じた橋本治の作であるらしい。

東大から招かれなかった私は、そのポスターを直接目にしたことはない。が、週刊誌(恐らく朝日ジャーナル)や闘争関連の書籍で、何度も目にした。誰もが思った。このポスターのモデルは高倉健であるべきだ、と。

このポスターに共感する友人は多かった。一方でマルクスを語り、毛沢東を論じ、レーニンの政治を断じながら、他方で彼らは映画館にヤクザ映画を見に行った。映画館を出た彼らには、高倉健さんが乗り移っていた。

「義理と人情を秤にかけりゃ、義理が重たいこの世界。ああ、俺の将来なんてないも同然だよなあ」

と独りごちながら、でも4年生になると長髪をばっさり切り落とし、大企業に買われてゆく友人も沢山いた。

高倉健とは、そのような役者さんである。不条理に耐え続け、だが臨界点を越えると追いすがる女を置き去りにしてドスをひっつかみ、単身殴り込みをかけて復讐を果たす。その姿が、色とりどりのヘルメットをかぶり、タオルで頬かむりをして機動隊の盾に突っ込んでいく学生たちのヒーローであった。

ん? 革命とヤクザ? どうにも結びつかない2つのイメージを結びつけて、己のヒロイズムに浸っている友人は、だが、私には異邦人だった。

革命って、そんなもんじゃないんじゃない?!

と考えた私は当時、一度もヤクザ映画を見に行かなかった。

背中に銀杏の刺青を入れた男が何故高倉健なのか? 恐らく、高倉健とは、人間のひとつのタイプしか演じられない俳優さんだった。だからこそ、はまり役を演じれば、実に存在感があった。そのひとつが任侠の世界に生きるアウトローである。その重すぎる存在感が、背なの銀杏=高倉健を作り上げたのではなかったか。

だが、ひとつの役柄しか演じられない役者を名優とは呼ばない。アイドルでデビューした女優が、成長して悪女を演じ、やがて意地悪姑の役をこなす。役者とは、己と無縁の人格を演じるものであって、己そのものを見せる仕事ではない。いつも同じ人柄しかできなければ、徐々にお呼びはかからなくなるだろう。だが、それでも高倉健は銀幕のスターであり続けた。実に珍しい役者さんである。

こういったらどうか。高倉健は名優ではない。人並み外れた存在感を持つ俳優さんであった、と。


それが、何故にメディアによると名優になるのだろう?
ひょっとしたら、メディアの中枢には、1970年前後の学生運動を体験した世代の価値観が色濃く残っているのではないか? 盲目的に自己犠牲とヒロイズムを賞賛する気風が生き続けているのではないか?
彼らが勝手に己と一体化してしまっている銀杏の刺青の健さんが逝った! これは最大級のニュースである。であるが故に、最大級の敬意を持って悼まねばならぬ。書け、もっと書け、じゃんじゃん書け! 健さんの偉大さを読者に届けろ!
という価値判断ではなかったのかなあ。

「我々はあらゆる権力と戦うのだ!」

という中身不明のヒロイズムを身に纏った連中がメディアを牛耳ってないか?


いや、高倉健が、どうにも持ち上げられ過ぎている気がして、ついつい余計なことを書いてしまった。
でも、人間って、自分の身に丈に合わない評価を受けてしまうと、どうにも全身がむずがゆくなって居心地が悪くなるものではないですか、健さん?