2014
12.13

2014年12月13日 そば打ち

らかす日誌

いまや、Amazonは最強の買い物ツールである。
品揃えが凄い。決済システムが簡単。配送が早い。それに、ほとんどの場合。安い。

昨日、LEDのシーリングライトと、直立式のコートハンガーを注文した。それが、早くも今日届いた。昼過ぎから、そのセッティングにかかったのはいうまでもない。

シーリングライトは、事務室の照明を改善するためである。
半年ほど前、会社の健康管理人を務める女性が我が家に来た。遺憾なことに私に会いに来たのではない。会社の設備である我が家=事務所の状況を視察に来たのである。
事務室に入った彼女は何やら器具を取り出し、部屋の中の照度を測定した。その結果、

「大道さん、少し暗いよね。目が疲れたりしない?」

などと診断を下した。そのあと、我が家を来訪する人への最大級の歓迎である、鰻の「こんどう」にお連れした。無論、私が勘定を受け持ったのであるが、その後、東京に戻った彼女が、

「桐生は照明が良くない。直ちに改善を」

と会社に迫った形跡は見えない。つまり、会社からは何もいってこない。鰻は無駄であったか?

当初は、私はそれほど気にもとめていなかった。だから、会社から何もいってこなくても何ということはなかった。
ところが、である。この数ヶ月、事務所に入るたびに

「暗いよな」

と思うようになった。ひょっとしたら、齢を重ねたせいで、老眼に加えて光を取り込む能力も衰え始めたか。

「というわけで、シーリングライトを取り替えたいんだけど、会社の金で落としていいかな?」

担当部署にお伺いを立てたのが昨日である。それで構わないというので、昨日発注した次第だ。

その数日前、近くの家電量販店に視察に行った。その時点で天井にくっついていたのは、40wと32wのサークル菅をつけた蛍光灯である。それより明るいシーリングライトはあるのか?

まず驚いたのは、シーリングライトのコーナーに、蛍光灯が皆無であったことである。シーリングライトはすべてLEDであった。世はLEDの天下になったらしい。
だが、ネットで検索すれば、蛍光灯のシーリングライトもまだ手に入るだろう。ところで、居間より明るい蛍光灯のシーリングライトは存在するのか? それを知るために蛍光管の売り場に行った。40w+32wより大きなサークル菅はなかった。ということは、今以上に明るい蛍光灯のシーリングライトはないということである。

調べ終えて自宅に戻り、それしか選択肢がなくなったLEDのシーリングライトを検索した。一番明るいのは18畳用である。それも、メーカーによって使用電力、明るさが微妙に違い、より少ない電力で、より明るい光を発してくれるのは、何と、日立製であった。

「へーっ、日立にもいい製品はあるんだ」

と意外感に囚われたことを正直に告白する。

これだけの下調べのあと、昨日は最後の詰めとして、日立のカスタマーセンターに電話を掛け、設置方法を確認した。聞くと、この事務室にそのまま取り付けられそうである。
直ちにAmazonに発注した。LEC-AHS1810C、3万5164円。

本日届いてシーリングライトを取り替えた。スイッチを入れたとたん、思わず

「明るくなった!」

と声を漏らした。ふむ、LEDもこの価格でここまで来たか。充分に納得できる水準である。思わず考えた。

「この家を出ていくときは、これ、取り外して横浜に持っていき、使おうか? なーに、これを買ったなんて会社の記録に残るはずはないし、大丈夫さ」

私は小者だ。

いまひとつ、コートハンガー。

冬場になると、どうしてもジャケットやコート、それにマフラーと、身につけるものが増える。外に出るときは使用中なので問題はないが、自宅に戻り、事務室に入ると無用のものとなる。で、コートを脱ぎ、マフラーを解き、ジャケットを取り去るのだが、そうして無用になったものの仕舞い場所が、事務所にはない。仕方なく、余っている椅子に放り投げておくのだが、調子が悪いと椅子からずり落ち、何となく締まりがない。
とはいえ、コートやジャケットの収納場所まで行くのも面倒である。

「よし、今年こそ事務所用のコートハンガーを買おう」

そして昨日、発注した。本日、到着した。組み立てた。
わずか2191円の代物である。まあ、役に立ちそうになければ処分すればいい。軽い気分で発注したのだが、出来上がってみるとなかなかしっかりしている。仕上げの粗雑さから見て国産ではないが、それでも組み立て説明書に従ってネジを締めてしまえば、がっちりとして緩みがない。

「粗雑にしか作れなくても、組み立てたらしっかりしたものになる」

設計をしたチームの勝利である。
いま、コートハンガーは事務室の片隅にあり、コート、ジャケット、マフラーだけでなく、肩掛け鞄、それに腰痛対策運動用のマットまでがひっかけられ、微動もせずに立っている。


このような重要な備品に関する作業が午後になった原因のひとつは、届いたのが昼前だったことだ。
もうひとつの原因は、昼過ぎまで外出していたことだ。

土曜日の外出。普段の私にはあまりないことだが、今日は朝から

そば打ち教室

に行ってきた。
ある年齢になると、

「俺もそろそろそば打ちでもやるか」

という連中が増えている。よほど趣味がなくて時間が余っているのか、あるいは、それまでの人生で何ものをも創り出すことができず、

「せめてそばぐらい」

と思うのか、私にその心理は理解できない。挙げ句、すっかりのめり込んで脱サラ、そばの店を開いたりする輩も後を絶たない。そのような店に、ろくなそばを出すところがないのは、私の経験知である。趣味は趣味のままでとどめておけば他人様に不快な思いをさせずにすむのになあ。

「ん、だったら、お前は何をしにそば打ち教室に?」

まっとうな疑問である。
そう、正確に表現しよう。私はそば打ち教室に行ったのではない。招かれて、やむなく出かけたのである。
招いたのは、桐生市のO氏である。この人、私をいろいろなところに引っ張り出したがる。私の何処に、それほど惚れたのだろう? 俺、そっちの趣味は全くないのだが。

いずれ劣らぬ中年、というより老年の8人が集まっていた。遅れていったので、すでにそば粉は水を加えてこねられ、丸められる寸前であった。
あとは平たく四角に延ばし、切りそろえるだけ。

まあ、呼ばれたから行った私は、そば打ちにたいした関心があるわけではない。でも、見ていると、面白くないこともない。上手な人、先生が延ばせば、そばはほぼ四角に、しかもほとんど均等に薄くなっていく。腕前がいま一歩の人は、延ばし始めたとたん、

「おいおい、その延ばし方で本当に四角になるの? しかも、波打ってるよ」

と声を掛けたくなる。
切り始めても同じである。太い、細いの見分けがつかないほど均等の幅で切りそろえる人もあれば、太かったり、細かったり、たまには

「あんた、うどんとちゃうで」

と声を掛けたくなるぶっといそばが生まれる人。

「くっ、下手くそ!」

口には出さぬが、心の内で快哉を叫んでいたら、

「大道さん、あんたも切ってみたら?」

えっ、俺が? 俺、自分で切るより、他人の不細工を笑っている方が好きなんだけど……。

やむを得ず、包丁を握る。でも、このでっかい包丁で、どうやったら均等にそばを切っていくことができるんだ?

考えていると、先生がやってきた。

「はい、左手は開いて、そう、このガイド板のこのあたりに置きます。それで、包丁は引いてはいけません。押して切ります。はい、ガイド板に沿って包丁を押す。ほら、切れたでしょう。そしたら、包丁を少し左に傾けて、はい、ガイド板が少し左に寄ったよね。それで、切る」

なるほど、包丁のガイドになる板は、左手でずらすんじゃないんだ。包丁を傾けることでガイド板を動かす。やっぱりプロはうまいこと考えるな。
で、俺は、そばは細い方が好きである。できるだけ細く切るには、包丁を傾ける角度を小さくすればいいんだよな……。

こうして、多分6人前ほどのそばを切った。見た目は、好み通り、かなり細く切れていた、と思う。

終えて、昼飯にできたてのそばが供された。見ると、ぶっとく切れ、太さが様々に切れた「失敗作」である。で、それを食べて……。

これ以上書くと、今日の参加者にぶん殴られそうである。

ぶん殴られないように、一言だけ添えておこう。

「問題ないって。食べられたんだから」

ではまた。