2015
01.06

2015年1月6日 宿題

らかす日誌

まずもって皆様、あけましておめでとうございます。
齢を重ねると、12月31日から1月1日になるだけで何がめでたいのか、理解に苦しむようになりますが、とりあえず、年が変わったらおめでとうと挨拶を交わすのが世の習い。まあ、今年も波風を立てずに過ごしたいと思いますので、ご挨拶します。

同時に、皆様によき1年であることを祈念します。私にとっては……、そう、できることなら、10年目を迎える我が愛車が、故障知らずで私の指示に従うことを願っておきます。

さて、毎年恒例ではあるが、年末から年始にかけて、子供たちの家族のどれかがやってくる。今回は四日市から啓樹、嵩悟の世帯が31日にやってきて、途中でパパも加わり、5日に戻った。

その間、アニメ「ベイマックス」を見に行ったり、啓樹の勉強を見たり、嵩悟を桐生が岡遊園地に連れて行ったり、果ては全員で佐野のアウトレットに散歩に行ったり、いつも通りの年末年始であった。
違いといえば私の風邪で、一時症状は治まったのだが、アウトレットに行くという4日の朝にぶり返し、恐らく熱が出た。

「どうしようかな?」

と瞬時考えたが、

「えーい、ままよ! 何とかなるだろう」

と私の運転する車で出かけ、何故か無事に帰還した。戻ったころには熱も治まったようだが、念のためにドラッグストアに走り、「パブロンSゴールド」を買い求めて服用を始め、今日に至った。症状はほぼ治まったが、鼻水だけは止まらないという情けない状態にある。

にしても、だ。
最近の小学校の先生は、無謀なことをする。なんと、啓樹の祖父である私に宿題を出したのである。

「お父さん」

と長女が語りかけたのは、やって来た31日だった。

「啓樹の先生がさあ、宿題を出したのよ」

啓樹は冬休みである。宿題が出るのは当然であろう。

「それがさ、啓樹たちはほとんどの子が10歳になったのよね」

それは、まあ当然だ。

「で、先生は、10歳とは、20歳の半分だというの。つまり、大人の半分よ」

確かに、計算上はそうなる。

「だから、半分の大人になった啓樹へのメッセージを、パパやママ、おじいちゃんやおばあちゃんに書いてもらいなさいっていうの」

我が家には啓樹のおばあちゃんはいるが、啓樹のおじいちゃんはいない。いるのは啓樹のボスである。

「ん?! で、俺が何か書くの?」

これはクラスの権力者である学級担任の横暴である。そもそも私は、その学級の生徒ではない。従って、学級担任の支配下にはない。命令を受ける立場ではない。それを、子どもを人質にとっていることをいいことに、支配権を俺にまで及ぼそう、ってか!
と憤っても、ここで拒絶すれば啓樹が可愛そうである。家族を人質に取られれば、誰しも弱くなる。

うーん、半分の大人、ってか。その啓樹へのメッセージってか……。

と私は考え始めた。
思い起こせば、私は子どものころ、夏休みや冬休みの宿題を予定通りやったことがない。休みなると、まず頭に浮かぶのは遊ぶこと。宿題なんて頭の片隅にもない。今日はセミ採り、明日はプールと遊んで、遊んで、休みが残り3、4日になって真っ青になった。

「日記があったな。でも、覚えてないよ。そもそも、あの日の天気は何だった?」

いまならネットですぐに出て来る情報も、当時はまず手に入らなかった。自宅には電話もない時代のことである。
長期休暇の終わりは、地獄だった。

子どもだったから、地獄の責め苦に耐え抜く体力もあった。だが、この歳になったらどうか? 恐らく、体力は残り少ない。となれば、宿題は早いうちにすませた方がいい。
一家が去った昨日午後から、パソコンとにらめっこで作文した。


本を読め。啓樹が読みたい本は必ず買ってやるから、沢山読め。啓樹、ボスはいつもそういう。でも啓樹。ボスはなぜ、本を読めというのだろう? 不思議に思ったことはないか?
本は楽しい。怪盗ルパンも、ヒックとドラゴンも、読み始めたら止まらなくなる。だけど、なぜ面白いのか? 啓樹が見ているのは文字だけ。登場人物が目の前に現れるわけでもない。声も聞こえない。でも、読み始めると、まるで自分が物語の中にいるようにワクワクする。どうしてだろう?
その秘密は、啓樹の「想像力」だ。目で読んだ文字から、自分が見ても聞いてもいないことを頭の中で創り出す力だ。
この力があると、地球の裏側でのできごとも身近に思い浮かべることができる。人の喜び、悲しみ、痛みを、自分のことのように感じることができる。本を沢山読むと、「想像力」はどんどん強くなる。
本は知識の宝庫でもある。自動車の仕組み、世界の国々の様子、人間の歴史、地球や宇宙の成り立ち。「インターネットで調べた方が早い」という人もいるが、インターネットは、「これを調べよう」と思い着かないと使えない。何を調べるかが分かるには、沢山の知識がいる。これを「裾野を広げる」という。裾野を広げる早道は本を読むことだ。
想像力と知識は、なぜ大切なのか? 「自分で考える」ためだとボスは思う。できるだけ多くのことを知り、ほかの人の思いを想像し、自分の考えを組み立てる。そして、やっていいこと、悪いことを判断し、自分の進む道を決める。
啓樹、それができる人を「大人」という。
いまの日本では、20歳になると大人になる。だが、「本当に大人か?」といいたくなる人を見たことはないか? 自分勝手なことばかりいう人、知識がないのに「俺はこう思う」と言い張る人、人をだましてもお金を儲けた方がいいという人、他人を傷つけても平気な人、人真似ばかりする人。
啓樹、本当の「大人」になろう。だからボスは、本を沢山読めという。本を読んで、自分の頭で考えろ、という。
ボスが啓樹のころ、ボスの家は貧しくてあまり本は読めなかった。それでも、読書で知った言葉を使ったら「そんな言葉も知ってるのか!」と先生に褒められた。あのころからもっと沢山本を読んでいたら、いまより素敵なボスになっていたかも知れない。だから啓樹。本を読んで考えろ。
啓樹が大人になるまであと10年。失敗はいくらしてもいい。もう一度勉強して挑戦すればいい。失敗した数だけ啓樹は強くなる。
そして啓樹。啓樹が立派な大人になったら、二人でお酒を飲みに行こう。ボスはその日が待ち遠しい。


今日の午後、メールに添付して四日市に送った。
夕刻、啓樹から電話があった。

「ボス、お手紙ありがとう。読んだよ」

啓樹のメッセージはそれだけだった。
電話を替わった長女が言った。

「啓樹、涙ぐんでたよ」

何で泣く? 涙ぐんだ啓樹に、私のメッセージは真っ直ぐ届いたのだろうか?

嵩悟が電話に出た。

「ボス、嵩悟はさあ、ボスにお手紙書いたから、ボスもお手紙ちょうだい」

嵩悟、4歳にして割にすらすらと文章を読む。

「分かった。嵩悟のお手紙を読んでから、ボスも書くからね。待ってろ」

お兄ちゃんにボスから手紙が来たのが羨ましかったらしい。
さて、4歳の嵩悟にはどんなメッセージだったら心に届くのだろう?


原油価格が急落している。今日の新聞では1バレル50ドルを割り込んだとあった。シェール・オイルが登場して原油生産が増え、挙げ句だぶつき始めた。だが、アラブの産油国はシェアを奪われることを恐れて減産しない。シェール・オイルを掘る企業は投下資本を回遊するためにも減産できない。こうして原油が有り余るようになったのが原因といわれる。

おかげでガソリン価格も落ち着いてきた。電力会社も助かるだろうし、原油を原料とする産業にも追い風だ。原油のほとんどを輸入に頼っている日本にはいい風が吹いてきた。

この風に乗って日本経済は本格的に復活するのか?
未年。何が日本を待ち受けているのだろう?