2015
01.11

2015年1月11日 ヒト属

らかす日誌

NHKの夜7時のニュースを見ていて、ふと思い出した。

そういえば出てこないね。あの、ダブル不倫のお天気ねえちゃん

何となく世の中のいい加減さを象徴するような不倫事件ではあった。
だってあのねえちゃん、どんな服を着てもちっとも体にフィットしなくて、いつもその場限りの貸し衣装で世の中を渡っているような感じだった。つまり、おしゃれにはまったく関心がなく、ということは男に対して何の欲望も持たず、裸の男を見ても

「どうしてそんなところに棒がついてるの?」

と顔を赤らめもせずに質問するいつもいい子ちゃんであることを信条としているような、そう、一言で言えば、色気というものが全くない、ということは、あのねえちゃんが酒に酔ったのか何か知らないが、思いがけずも私にすり寄ってきて、

「大道さ~ん、今日は帰りたくないの。私を好きにして~」

と、どこから出て来るのかまるで分からない甘え声ですり寄ってきても、私は自信を持って、

「君ねえ、悪酔いしているよ。ほら、タクシーのチケットをあげるから、もう帰ってベッドに入りな。明日もまた元気な顔を見せてな」

と送り出すことができる類の女でしかなかった。
従って、一般的には、妻子ありの男2人を手玉に取った妖女、というイメージが広がっているかに思われるが、私にいわせれば、

「蓼食う虫も1匹だったらいるだろうが、まさか同時に2匹も出て来るなんて。世の中、狂ってるわ」

そう思いません?

ああ、ついでではあるが、今年の大河ドラマ「花燃ゆ」、なんでも群馬県の初代知事の女房が主人公とかで、県庁なんかは大河ドラマバブルを狙ってあの手この手を繰り出しているが、

見た? 今日の2回目。ちっとも盛り上がらず、

「まさか!」

なんて無理無理のエピソード(「お姉ちゃんももらってください」、なんて台詞が典型。それまでは男とまともに話すこともできなかった女が口にする言葉か? しかも、貰っていただきたいお姉ちゃんは、とにかくどっかの男とつがいになることしか考えていないアホ。ま、このシーンが典型でした)がてんこ盛りで、私なんぞ、ちょいと腰が引け始めた。

NHKよ、もう少し何とかしたシナリオライターを使えないかね?!


移行化石の発見」(ブライアン・スウィーテク著、文春文庫)

を読んだ。
生物はどのように進化してきたのかを突き止めるべく、遺跡の発掘と分析に邁進した人々の話である。魚はいかにして陸に上がって両生類、は虫類になったか。馬の顔は何故長くなったのか。鯨の先祖は何か(何と、陸上の生きものが海に戻ってそこを住み家にしたとのことである)。興味深い話が、意外に分かりやすく書かれている。

それはそれとして、極めて興味深い話があったのでご紹介する。

1988年、ミシガン大学の生物学者リチャード・レンスキーがある実験を始めた。
全く同じ大腸菌を12群用意した。そして、それぞれの群を500世代(時間にすると、わずか2ヶ月半だそうだ。人間は一世代をおおむね30年とするから、人間の1万5000年にあたる)ごとに、個々のサンプルの一部を凍らせた。つまり、500世代で、大腸菌がどれだけ進化したかを固定するためだ。

私の理解が正確であれば(このあたり、少しばかり分かり難く書かれている)、リチャードは2008年まで、実に4万4000世代にわたってこの操作を続けた。人間でいえば130万年ほどにあたる計算だ。
で、何が起きたか?

当初からリチャードは、大腸菌に、生きるのに必要最小限のものしか与えなかった。そして、その中にクエン酸塩を混ぜた。クエン酸塩は必要なものではあるのだが、大腸菌は酸素があるとクエン酸塩を取り込めない。だから、生きるのに必要な物を与えられているのに、大腸菌はクエン酸塩を活用できないままだった。

ところが、3万1500世代(人間の約95万年)に達したころ、ある群がクエン酸を活用する能力を身につけた。環境に合わせて進化したのである。

しかし、全く同じ条件に置かれた残りの11群は、とうとうクエン酸塩を活用する能力を身につけなかった。この結果を受けて、リチャードはこう書いた。

「この結果が示しているのは、まったく同じ個体群をまったく同じ環境で世代交代させていくという、最も単純で、それゆえ最も厳密な条件下で、偶然のできごとが甚大かつ長期的な影響を及ぼしうるということである。ごく単純な状況からスタートしても、小さな偶然のできごとがいくつか起きると、個体群は異なる進化の道をたどるようになる。強くなった細胞が、それ以外の細胞とは異なる道を進むようになり、それによってすべてが変わるのだ」

つまり、同じ条件下でも、条件に合わせて進化するのはほとんど偶然に左右される、ありえないような偶然の上にありえないような偶然がいくつも積み重なって進化が起きる、ということである。これを受けて著者は書く。

「人間とヒト属の親戚たちの進化は一度かぎりの出来事であり、それも比較的最近起きた。この事実が物語っているのは、わたしたちヒト属はこうなることを運命づけられていたのではなく、レンスキーの研究室の細菌と同じく、偶発的なプロセスから生まれた珍しい産物であり、進化をもういちどやり直しても、おそらくふたたび生まれることはない、ということだ」

ありゃりゃ。人間なんて、たまたまできちゃったのかよ。
この事実を

「なーんだ、人間って、そんなにつまらないものなのかよ」

と切って捨てるも、

「そうか、私たちは数限りない偶然の積み重ねの上にいる貴重な存在なのか。大切にしなければ」

と受け止めるも、

「だったら、俺も(私も)、少なくともシングル不倫ぐらいしなきゃ」

と元気になるも、

それは個々人の自由である。