2015
01.14

2015年1月14日 煮詰まらぬまま

らかす日誌

妻女殿が昨夜から体調不良を訴え、今日は朝から、緊急に前橋日赤まで行った。もちろん、仕事などそっちのけである。
何でも2日ぐらい前から症状が続いており、3時間に1度ほど気分が極めて悪くなるのに加え、のぼせるというのである。まあ、持病を持たないのなら放っておけばいいようなものだが、名代の病気のデパートである。膠原病という、デパートの基礎にあるものから出ていたら笑いにならん。

というわけで、午前9時半前、自宅を出た。本来の定期検診日は16日金曜日だったから、朝から前橋日赤に電話をし、

「急だが、診てもらえるか」

と確認したのはいうまでもない。

10時半前に妻女殿を前橋日赤で降ろすと、私はいつもの通りけやきウォークに向かった。私は医学には暗い。妻女殿を病院に送り込めば、私のやること、できることはもうない。

で、けやきウォークだ。
駐車場に入ろうとしていた私の前に、日産スカイラインが走っていた。いまの、何だかぽっちゃり、というか贅肉だらけになったスカイラインではない。旧型の、スリムなスカイラインである。
そのスカイライン、一般道路から左折してけやきウォークの駐車スペースに入った。

「ほほう、このスカイラインもけやきウォークに用があるのか」

別に用はなく、時間をつぶすためにけやきウォークに入ろうとしていた私は、何となくそう思った。
その時である。私の前駐車スペースに入ったスカイラインが異様な振る舞いをした。
まず、左にハンドルを切った。

「何だ、俺と同じ方に行くのか」

と思った瞬間である。目一杯アクセルをふかしたのだ。

頭の中でその図を想像していただきたい。
前輪は左を向いている。その状態で、後輪が急速に回転し始める。前輪が前を向いていたら、車は脱兎のごとく走り出すであろう。だが、前輪は左を向いている。左を向いた車輪は、後ろから押されても転がりようがないのだ。
地面と接しているハガキ2枚分ほどのタイヤが地表との摩擦によって踏ん張り、何とか滑らないように頑張る。その時、回転数を最大に上げた後輪はどうするか。前輪の頑張りに負けて滑っちゃうのである。そう、ちゃんと前に進めるように、前輪と同じ方向を向くまで滑る。

これを、多分ドリフトという。高度な運転技術である。私なんぞはそんな技術もないから試みたこともない。第一タイヤがすり減るし、ガソリンの無駄でもある。油の一滴、血の一滴、なのである。

ああ、極めて高度な運転テクニックを魅せていただいたという趣旨で書いているのではない。

「おいおい、ショッピングセンターの駐車スペースで左折するのに、どうしてドリフトまでしなきゃいけないの? あんた、気は確か?

といいたくて書いたのである。

あとで見たら、スカイラインから降りてきたのは、いかにもそれ風の、というのはチンピラ風の兄ちゃんだった。
ねえ、君、こんなところで粋がってみてもしょうがないだろう?

しかし、スカイラインって車のハンドルを握るのは、こんな連中ばかりなのか?

てなことがあって、いつものように本を1万円分ほど購入して、コーヒーを飲みながら本を読んでいると、妻女殿から

「終わった」

と電話があり、私は前橋日赤そばの薬局の前に車を移動して待った。やって来た妻女殿に

「どうだった? 病気が悪くなっていたのか?」

と聞くと、

「それが……」

なんでも、病気そのものに大きな変化はない。では何故に気持ちが悪くなったのか。

「胃が悪いんだろうって、胃薬を増やしてくれた。それから、機会があったら、近いうちに胃カメラを飲んでみたら、って」

ま、これが、緊急に仕事を放棄して病院までお運びした結末である。

病は気から。気は自分でしかコントロールできない。であれば、己がしっかりするしかないのだが……。


またまた、NHKの報道にいちゃもんをつける。
最近、午後7時のニュースのトップは、ほとんどがフランスで起きたテロ事件である。報道の自由を重視する姿勢を鮮明にするためか。
ま、それはいいとして。
欧州各国では、今回のテロに抗議して数百万人の市民がデモンストレーションをした。

フランスでは。ベルギーは。イギリス、ドイツでも。

NHKはそれを大々的に取り上げた。それはいいけどさ。
日本はどうなってるの? 日本で犠牲者を追悼したり、テロに抗議したりする市民の行動は、あったの? なかったの?
あったら、少なくともフランスのついでに日本を取り上げるべきだし、なかったら、何故日本ではなかったのかを報じるべきなんじゃないか? だって、原発事故に抗議する行動があれほど盛り上がった(そういえば、あれ、いまはどうなってる?)のに、フランスでのテロに反応するヤツらはいないのか? そちらの方が、遥かにニュースだと思うけど。

で、こうしたデモや集会を、テロへの戦いっていうけど、戦いであるためには、行動で敵に損失を与えなければならないはずだ。さて、イスラム過激派は、各地で数百万の市民が抗議のデモや集会をしたから、傷ついたか? もうテロはやめようと思うか?
そんなことは絶対にない。テロリストたちは、むしろ戦闘意欲をかき立てられているのではないか。

「あれだけの人数が苛立っている。やっぱりテロには効果がある

って。
だから、市民たちの行動は戦いではない。そこを間違えると、本当にテロを防ごうと神経と肉体をすり減らしている人々に失礼である。

テロにあったシャルリー・エブド社の新聞が今日、テロ後始めて出て飛ぶような売れ行きだったそうだ。そりゃあそうだろう。それまで見たこともなかった人だって、

「いったい、どんなことを書いてる新聞なんだ?」

って気になるもん。それって、テロにあった新聞社を支援する動きでも何でもなくて、しばらく読んでみて

「ちぇっ、こんな新聞か」

って読まなくなる人だって沢山出て来るはずだ。
日本人でシャルリー・エブドなんて新聞を目にした人はほとんどいないはずである。であれば、そこのところをきちんと押さえた上で報道しないと、単に

「事件に関係ある話は、なんでもいいから報道しろ!」

っていうノータリン報道で、興味本位で購買行動に走っている連中の行動を

「犠牲になった新聞社への支援が広がってる」

なんて、になっちゃう。さて、天下のNHKはそんなことを考えたのかどうか。

それに、今回の事件を

報道・表現の自由か、宗教の尊厳か

と捉えるマスメディアにも違和感を持つ。これって、そんな話なのか?
ここ数日考えているが、どうにもまとまらない。まとまったらまたご報告することにして、今日はこのあたりで。