2015
01.22

2015年1月22日 選択

らかす日誌

思うところあって、雑誌「選択」の購読を打ち切った。2月1日に送られて来る次号が最終となる。

月刊。書店では売らず、読者への直送のみで、1年分1万2000円。つまり、110ページ強の雑誌1冊が1000円である。
分厚くはないが、それなりに読みでのある雑誌である。

「なるほど、そういうことであったか」

という記事については、読者数が少ない雑誌であることを考えて、何度か「らかす」でご紹介した。新聞やテレビでは(特にNHK)分からない、国際関係の内側や、政府、企業の実態に踏み込み、コラムでは、本やスポーツ、健康、技術開発の最前線などに鋭い記述が多い、いい雑誌である。

「だったら、何でやめちゃうの?」

とは、当然の疑問であろう。

鋭い記事が多いことは認めるが、最近、その記事内容に「」を感じることが増えたからである。だから、

「もういいだろう」

と考えた。

例えば、中国関連の記事である。ここ数年購読読み続けた記事の印象をいうと、

「中国経済って、ずっと前に破綻していたはずじゃないの?」

というものだ。確かに経済成長率が鈍り、国が掲げた目標に届かなくなっていることは確かだが、中国は相変わらず世界第2位の経済大国である。様々な問題を抱えながらも、中国経済はまだ拡大しているのである。

同じ事は、韓国経済にもいえる。これも、「選択」の記事を読んでいると、すでに破綻していてもおかしくない、との印象がある。

それぞれの経済が逢着している問題を指摘してもらうのはありがたい。しかし、

「あれも問題、これも問題」

とあげつらっているうちに、やがて原稿も終わりに近づき、で全体をまとめなければならなくなる。私見によると、そこまで欠陥をあげつらった関係上、

「間もなく破綻する」

と筆が滑ってまうのではないか。一国経済の先行きを決めるのは、10や15の要因だけでなく、数十、数百の要因が絡み、どれほど取材してもホンとのところまではなかなか行き着けないという謙虚さを忘れたのではないか。

「選択」は、現役のジャーナリストに、自分の媒体ではなかなか書けないことを書いてもらうと聞いたことがある。であれば、第一の責めは、現実に筆を執ったジャーナリストが負うべきだろう。
だが、雑誌を作るとは、単に原稿を集める作業ではない。集まった原稿を推敲し、「てにおは」を直すだけではない。次の号で取り上げるテーマを選び、筆者を決め、送られてきた原稿に書かれているエピソードに間違いはないか、そのエピソードの上に築かれた結論は妥当なのか、をギリギリまで突き詰めることが欠かせない。それを編集作業というが、「選択」で、この編集作業にあたる編集人のレベルが下がっているのではないか。

「えっ、たったこれだけの材料で、何でこんなことがいえるの?」

とびっくりしたことは1度や2度ではない。

中でも、

「意図的に特定企業を叩いているのではないか」

と疑問を感じたのは、トヨタ自動車を取り上げる記事である。どうやら、同じライターが書いていると思われるのだが、とにかく、トヨタが右を向こうと左を向こうと、

「トヨタの凋落が始まった」

ということになる。
昨年12月号は

「インドで沈むトヨタ」

11月号は

「トヨタが危うい『コスト削減』に邁進」

9月号は

「『中国で始まるトヨタの『凋落』」

8月号は

「『エコカー戦争』トヨタに暗雲」

そして4月号は

「トヨタがアップルに跪く『近未来』」

手近にあった「選択」をめくっただけで、これだけの見出しが集まる。さて、新しい時代を切り開くに違いない燃料電池車を、世界に先駆けて手に届く価格で市場に出し始めたトヨタ自動車は、本当にエコカー戦争で負けそうなのか?

いや、私はトヨタ自動車の社員ではない。それどころか、トヨタの車は嫌いで、だからBMWに乗っているのだが、その私が読んでも、一連の記事にはトヨタ自動車への悪意を感じ取ってしまう。

無論、いまや国家さえ左右しかねない巨大企業になったトヨタ自動車を批判的に捉えるのは、ジャーナリストとしてあるべき姿であろう。だが、

「朝から雨が降ってます。僕は傘がありません。会いたい貴女に会いにいけません。それもこれも、みんなトヨタが悪いのよ」

ってなことを書き連ねることにどれだけの意味があるのか?

それが購読をやめる理由である。

やめることを決めて改めてこの雑誌を観察すると、実に下らない読者欄が目にとまった。執筆者は○○株式会社代表取締役社長、だの、△△株式会社元常務取締役だの、ま、いまの社会では「成功者」と黙される人たちばかりである。私のように、定年を迎えて、会社の定年後再雇用で、賃金は現役時代の5分の1になったが、まだ働いています、なんて人はお目にかかったことがない。
そうしたそうそうたる方々が、また「選択」を褒めちぎられるのだ。

「マスメディアには現れない深い記事が多く、経営戦略を立てる際の参考にさせていただいている」

だの、

「テレビや新聞の報道を鵜呑みにしない訓練が若いころにできたのは『選択』のおかげです」

だの、とにかく褒めっぱなしで、批判的な言説など、ほとんど記憶にないのである。
朝日新聞は、自社の論説に沿った投稿しか掲載しない、と批判されたが、「選択」だって、同じ穴の狢じゃないか?

その「選択」が、広告を出す新聞を増やしたのは昨夏だ。それまでは朝日新聞だけだったのが、産経新聞、読売新聞にも出るようになった。

「新たな読者開拓のため」

と編集者は書いていたが、ひょっとしたら私と同じように感じ、購読をやめる人が増えているのではないか? とは、私のげすの勘ぐりである。


すでに私の口座から引き落とされた1年分の購読料が間もなく終わりになる。もし購読をやめるのなら連絡せよ。連絡がない場合は購読継続とみなして次の1年分を引き落とす、というお手紙をいただいたのは、数日前のことである。それに従って、電話で購読をやめると伝えた。

その際、

「購読をおやめになる理由をお聞かせ願えますか?」

といわれれば、上に書き連ねたことを述べるつもりであった。また、その時の受け答え次第では、

「じゃあ、もう1年読んでみるか」

とも考えていた。
だが、電話に出た女性は

「これまでのご購読、ありがとうございました」

というだけだった。
かくして私は、その編集への違和感を伝えることもなく、「選択」の購読者をやめることになった。