2015
02.03

2015年2月3日 ツルツル

らかす日誌

といっても、かつては確かに会ったはずの毛髪がいつの間にか集団で失踪し、すっかり砂漠になってしまったという話しではない。私に関していえば幸いなことに、かつては黒々としていたものが、かなり脱色されたとはいえ、豊かに残っている。
加えて、他人のツルツル頭には、毛の先ほどの関心もない。勝手にツルツルになってれば、という程度である。
では、本日のツルツルとは何か?

何気なく、愛車BMWの前輪を見たのは昨朝のことであった。

「いやあ、ずいぶんすり減っちゃったな」

確か、走行距離6万㎞程度で交換したタイヤである。すでに走行距離は8万9000㎞を越えた。そろそろ交換時期であることは自覚しつつ、

「今年の5月末が車検だな。その前後に交換すればいいや」

と軽く考えていた。
が、昨朝見た前輪は、

「さて、それまで待ってもいいものか?」

と思わせる風情であった。溝が、浅い。

念のため顔を近づけて、スリップサインを点検した。スリップサインとは、最も深い溝に入っている、ちょいと高いところ、である。タイヤがすり減ってくると、このスリップサインがだんだんタイヤの外側の高さに近づいてくる。同じ高さになると、残りの溝の深さは1.6㎜。これが、タイヤの「ツルツル」で、ほとんど溝がない状態になる。そうなると、タイヤが路面をグリップする力が弱まる。
ツルツル頭は光を反射する力が強まり、一方で、毛髪というクッション材がなくなって怪我をしやすくなる状態である。一方タイヤのツルツルは、いつ車がスリップするか分からない危険が高まったことを示す。いずれにしてもやばいことに変わりはない。

それを見て、ちょいとばかりゾッとした。
先週の土曜日、私は歯の治療をする妻女殿をお乗せして午前8時半過ぎから、ひたすら、次女の旦那が開業している相模原に向けて車を走らせた。東関道から関越道、圏央道と続く高速道路は、車の流れが極めて速い。ほぼ一貫して追い越し車線を走る愛車は時速130㎞から160㎞の間を行き来しながらひた走ったと思われる。
それだけではない。前日の30日金曜日、一体は雪に見舞われた。土曜日朝、残雪はほとんどなかったが、まだ濡れている路面が方々にあり、そればかりか、多分融雪剤であろう、道路から巻き上げられる白い粉がフロントガラスや車体にこびりつき、運転しにくい状態だった。

あの道を、このツルツルタイヤで走った。
日曜日は、このタイヤで首都高速、東北自動車道、東関道とたどって、横浜から1時間半で桐生の自宅に戻った。このツルツルタイヤで。

それでも、一度も挙動不審を見せなかった愛車を褒めるべきか。運がよかったと胸をなで下ろすべきなのか。いずれにしても、早急にタイヤを取り替えねばならない。

朝一で、ヒロオートを訪れたのはいうまでもない。桐生が誇るタイヤの安売り屋である。ネットでもタイヤを安く買うことができるので、関心をお持ちの向きはホームページを訪れていただきたい。
ブリジストン(店が、「これが一番いい」と推薦する。ミシュランより回転がなめらかで、ピレリは安いが乗り心地が悪いという)のランフラットタイヤを予約した。4本で10万7400円。普通のラジアルタイヤですめば、この半分ぐらいですむのだが。

夕方、タイヤが入荷したとの電話を受けた。早い! 明朝、タイヤ交換に行く。14日はまたまた妻女殿の歯の治療に行かねばならない。タイヤが新しくなれば、安心してぶっ飛ばせるというものである。


そうそう、先週土曜日に相模原から横浜の自宅(=瑛汰、璃子の住む家)に向かう途中、愛車を買ったBMWディーラーに寄った。最近、警告灯が点いたり消えたり、不審な挙動をする愛車を診断してもらうためである。

その結果、エンジンを制御するコンピューターと、エンジンの吸気バルブを制御する機構に、やや問題が発生してるらしいことが分かった。

「では、どうすれば?」

と問いかける私に、技術担当者は答えた。

「警告灯が出ても、エンジンの調子がおかしくなることはないんですよね?」

「はい、エンジンは快調そのものです」

「だったら、このまま乗っていただいて大丈夫です。ただし」

と話は続いた。

「アイドリング時にエンジンの回転数が不安定になったり、信号待ちでエンジンが止まるようになったら、修理が必要です。その際はこちらで代車を用意しますので、車をお預けください。修理に3、4日かかります」

「費用は?」

と聞くと、

「おおむね、22、3万円だと思います」

これで心が決まった。
私は、もしも修理が必要な不具合が発生しても愛車を乗り継ぐ。とにかく、故障さえなければ交換の必要がない優れた車なのである。

あちこち故障が続出するようになって、3つの選択肢を考えた。しかし、これでもう迷わない!


そういえば、殺されちゃったみたいだね、後藤さん。
私が彼の立場だったらどうしただろう? 従容として死を受け入れたか。己の不注意を悔いたか。残すことになる家族を哀れんだか。最後まで現実が受け入れられずに懊悩したか。
しかし、誰かに命令されたわけでもなく、御願いされたわけでもなく、己の意思だけで危険と分かっているところに入って拉致されたのだから、誰を責めるわけにも行かない。
すべての選択権はイスラム国にあったのだから、政府としても手の下しようはなかったと考えるしかない。
我々も、

「I am Kenji」

といったところで、屁の突っ張りにもならない。
日本国内とはまったく事情が違う紛争地域では

君子危うきに近寄らず

を金科玉条に、ひたすら己の身を守るしかないということか。
冥福を祈る。