2015
03.10

2015年3月10日 雑事

らかす日誌

いやあ、I君が作ってくれたネットワークプレーヤー、いい
メールによると、コストは2万円+α。見た目はそれなりだが、出て来る音は実に瑞々しい。事務所のクリスキット、パナソニックの16㎝スピーカーにつないで聞いているのだが、いつの間にか聞き惚れ、ボリュームを上げている。

我が家のメインである、居間にあるクリスキットのマルチチャンネルシステムにはまだつないでいない。こちらはパワーアンプが2台、30㎝のウーファーにマルチセルラーホーンのついたシステムである。事務室のシステムに比べればずっと豊かな音がでる。
だから、こちらにつなげばどんな音で聞かせてくれるのか、ワクワクするのだが、事務室の16㎝スピーカーで聴いて何だか満足しているのだ。
しばらくすれば、I君手製の、メインシステム用ネットワークプレーヤーも我が家に届くことになっている。それを待てばいいのである。事務室のシステムを取り外して居間に運び、あちこちつなぎ直さなくても、素性の良さはよくわかる。むしろ、もう一台が届いてメインシステムにつないだときに、より大きな感動を得た方がいいのである。

で、いまはMiles Davisを事務室で流しながらの「らかす」執筆である。

さて、本日はとりたてて話題もないので、思いつくこと私事を書いてみよう。
 
まず、ギター。
右肩は、相変わらず痛む。痛むところを左手で圧迫したり、肩の筋肉を引き延ばしたり、様々に治療を試みてはいるのだが、腰はマッケンジー法の導入でずいぶん改善した感じがするにもかかわらず、肩の方はなかなか効果が出ない。
そんなことをいっていると、ギターの練習などできないから、まあ、肩を無視してギターを抱く。肩を痛める前ほど長時間はできないが、1日1時間程度は音を出すようにしている。

いま挑んでいるのはブルースである。
目的の半音下の音をまず出して、指を目的の音まで滑らせるスライド、半音や4分の1音持ち上げるチョーキング、それにハンマリングやプリングオフが加わって、シンコペーションのリズムで進行するのが、何とも格好いい。クラプトンがブルースギターを愛するのはよくわかる。

そういえば、この正月、我が家に来た啓樹が、私が4小節の練習曲を弾いていたら

「えっ、ボス、この曲、何ていうの?」

と聞いてきた。啓樹の耳にもかっこよく聞こえたようだ。啓樹、一緒にギターやるか? お前の方が遥かに早く上達しそうだけどな。

とはいうが、私が弾けるようになったとは一言も言っていない。目下練習中なである。E7-A7-E7の簡単な4小節のパターンが何とか弾けるようになり、いまはライトニン・ホプキンス風と書かれた13小節の課題曲にに取り組んでいる。
それだけでは時間が持たず、Eric ClaptonのHoly Mother(これはほとんどがコード弾きだけである)に挑み、Led Zeppelinの天国の階段にも手を出す。 
まあ、あれやこれややって、つまるところ、なかなか身につかないのである。 

が、まあ、楽しいんだからいいだろう? 

一方読書では昨日、amazonに4冊注文した。 

現代中国の父 鄧小平」の上、下 
 
中古が定価の半分ほどにまで下がっていたので 

「そろそろ買い時」 

と判断した。 

市場と権力 『改革』に憑かれた経済学者の肖像」 

下卑た経済学者、竹中平蔵を取り上げた本。あいつ、何者だ? という疑問にずっととりつかれていたので、これも中古価格が下がったのをみて発注。 

オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史 1 二つの世界大戦と原爆投下」 

これも半額に近くなった。シリーズ物だが、まず第1巻を読んで、面白かったら2巻以降も買おうという買い物である。 

うち、「鄧小平」は早くも今日届いた。近く読み始めるだろう。 

現在読書中は 

私の日本古代史」(上田正昭著、新潮選書) 

売れ行き部数、古代史部門第1位、という帯にひかれたのでもないが、数ヶ月前に購入。 
だけど、売れ行きNo.1ってホントかね? これ、滅茶苦茶専門家向きだぜ。とにかく、古事記や日本書紀がほぼ原文のままドカドカ出て来るし、古代の天皇の名前なんて、あの長ったらしいのが夥しく登場する。漢字のままでは読めないからやむなくルビに頼るのだが、これがまた長い。長いから、一度読んだぐらいでは覚えられない。2度目に出てきたときにはもう読めなくなっているから、仕方なく漢字のまま読む。 

天照大神 

は 

テンテルダイジン 

である。 

雄朝嬬稚子宿禰(おあさづまわくごのすくね)天皇

これ、2度目にでたら絶対に読めない。 

しかも、だ。 
記述がしつこい。 
 
「『古事記』は偽書か」 

という章は43ページもある。私なんぞは、10ページも読めば 

「ああ、そうか。偽書という説もあるのだが、偽書ではないのだな」 

と納得してしまうのだが、そんな私を置き去りにして、記述は微に入り細を穿って、あれにも反論し、これにも反証を挙げ、日本書紀、新日本紀、万葉集などをほぼ原文で引ききながら延々と続くのである。 
我ながら、よく付き合って読み続けているものだと感心する。 

そして最後に。 
それぞれの論点について、結論が明記されない。 
著名な邪馬台国論争についても、何となく 

「著者は近畿説に立つのだな」 

と思わせながら、ということは近畿説につながる証拠をあれこれ学術的に示しながら、でも 

「というわけで、邪馬台国は九州にはなく、近畿にあったのです」 

とはおっしゃらない。 
それは、 

「これまで分かっている資料によれば近畿にあったと考えるのが合理的だが、しかし、これからどのような発見があるか分からない。だから、これまで手に入った証拠だけで近畿と断言するのは学問への冒涜である」 

という学者ならではの真摯な姿勢にも見える。 

ただ単に、自分の考えを表明するのに臆病なだけではないか、という気もする。 

現在、下巻の62ページまで進んだ。のこり240ページほどである。 


明日は、よんどころない事情で朝早い。何しろ、午前7時前に自宅を出ねば間に合わない。仕事だから仕方がないが……。 
今日は早めに寝る!