2015
10.21

2015年10月21日 外れた

らかす日誌

「そうか、そんなに日誌を書かなかったか」

この日誌を書くソフトを立ち上げて、そう思った。
前回の日誌が15日。5日間も空白にしたわけだ。
ま、いつもの通り、言い訳はある。

16日、同業者の送別会。

17日、九州に出かける。先日、脳梗塞で倒れたおふくろを見舞う旅だ。何しろ、患部が患部である。医者に

「ご家族を認識できる時間はそれほどないかも知れない」

と脅されれば、

「俺が俺であることが分かる間に、一度は顔を見せておかねば」

と考え、行動に移すのは、子としての務めである。
朝、車で横浜へ。自宅に車を置いて羽田、そして福岡空港。九州、大牟田の家に着いたのは午後5時半頃であった。すぐに弟夫妻と夕食に出る。ネットで知った大牟田の寿司店

松寿司

ま、価格は高め、味はいまいち。これほどの金を払うのなら、桐生の「さいとう」の方が5、6倍素晴らしい。にもかかわらず、土曜日なのに店は満席。我が故郷も、グルメ度では三流であるか。

翌18日、病院に母を見舞う。顔を見た瞬間、

「これはいかん」

と直感する。
本来なら明瞭であるべき認識に、二重、三重の霞がかかった状態、といえばよかろうか。普通の言葉で言えば、

ボーッとしてる

のである。目が虚ろだ。

「来たばい。俺が分かるかね?」

大きな声で呼びかける。しばらく私の顔を眺めて

「分かるばい。あんた裕宣やろが」

おお分かったか。

「あんた、いくつになったとね?」

66歳。

「ああ、もう66ね。ほんなら、あんたは?」

母の視線は、同行した弟に向かう。

「6つ下やけん、60たい。66引く6は60やろが」

弟が言う。

「へー、あんたの方が年下ね」

いかぬ、いかぬ。いくら私が若く見えようと、いかぬ。認識力が相当に落ちている。それでも

「倒れたときに比ぶっと、ほんなこて回復したとばい」

と弟は表現する。右脳の血管が詰まり、一時は動きにくかった左手も、いまは動く。それだけ回復したのである。ただ、まだ握力はほとんどない。

「医者は、93歳にしては驚異的な快復力、っていいよっと」

ということは、いまの状態からまだ回復する余地があるということか。毎日リハビリを続けているそうだ。
弟が、

「あんた、バリ(インドネシア・バリ島。倒れる直前まで行っていた。絵を描いたり、100段近い階段を上って寺院を訪ねたり、楽しんだらしい)に行くかね?」

と聞いたら 

「行く。はよ行こごたる」 

と答えた。日常生活への復帰願望は強い。それが叶うか否か。 

衰弱した母を見ながら、自然の奥深さを感じた。
そうか、人間とはこのように衰退するのか。歳をとるということは現実認識能力を徐々に失うことなのか。自分が生きているのか生きていないのかがはっきり認識できなくなって、いつとは自分で認識しないまま生を終わるのであるのか。それは、決して悲しくも苦しくもないことなのだろうな。
いまの私のように、現実をきちんと認識できながら死と向かい合わねばならないのは地獄であろう。だが、私の認識能力だって、いつかはいまのおふくろ程度になる。現実感覚をなくして入滅する。
自然とは、よくできたものであるなあ。

私が見舞ったのは午前中だった。午後、親戚の1人が見舞ってくれたらしい。

「朝、裕ちゃんの来なはったやろ?」

と聞いたら、おふくろは

「知らん」

と答えたそうだ。素晴らしき晩年である。


で、19日に戻った。桐生に着いたのは午後5時半を過ぎていた。
母の衰弱ぶりを描写したが、まあ、私だって齢を重ねている。この程度の旅でも、疲れを感じるようになってしまった。
早めに風呂に入り、晩酌、夕食。が、何となく全身倦怠感に包まれ、日誌を書く気力が起きない。早めに映画を見始め、早めに布団に入る。

20日、つまり昨日は、桐生の新進実業家と酒を飲む約束があった。午後7時スタートの飲み会がはねたのは11時過ぎ。30近い歳の差にもかかわらずすっかり気が合って、バイアグラ不要論から桐生の盛り上げ策まで談論風発。
中の1人が、

「俺さ、アオ姦したことがあってさ。それで、そん時使ったコンドームをズボンのポケットに放り込んでいたら、ズボンを洗濯しようとした女房に見つかっちゃって」

漫画のようなシチュエーションをこしらえる男である。で、どうした?

「だって、否定するしかないジャン。で、自分でやったんだって言い通した」

つまり、コンドームをつけてマスターベーションしたと主張した、ってか?!

「そう。だって、そういうしかないジャン」

そんな不自然なマスターベーション、信じてもらえた?

「多分、だめ。だけど、俺としてはそれで押し通すしかなかったわけで。8年ぐらい前だけど」

そうか、お前ら夫婦の不仲の遠因はそのあたりか。
つき通さねばならない嘘があるのなら、つき通せる状況を作らねばならぬ。ポケットに入れた使用済みコンドームは、自宅に帰り着く前にどこかで処分するのが嘘をつかねばならないヤツの責任であり、嘘をつく相手への優しさである、と愚考してしまった私である。
つまり、そんなものを発見されてしまったこの男、生きる資格がないかもね。
しかし、何という飲み会であったことか!


という次第で、昨日まで日誌を書き継げなかった。

今日は、インプラントが完成するはずの日であった。「はず」というのは、不具合が生じたからである。

午後2時、歯科医で診察台に座った。まずレントゲンを撮り、埋め込んだ土台がしっかり骨と一体化しているかどうかを確認する。問題がなければ、土台に柱をねじ込み、そこに人口の歯を接着する。

という施術は順調に進んだ。わずか30分の早業だ。これまで歯がなかったところに、突然、歯のようなものが居座り始めた。違和感はあるが、これはいずれは慣れて感じなくなる違和感である。
と思いつつ、夕食を食べた。久しぶりに左の歯で噛むのは心地よい。噛みながらの違和感も、そのうち消えるはずである。

と信じているが、このインプラント、繊維質の食べ物が挟まりやすいのだ。食後、何かが挟まっている感じが続き、鏡を見ながらピンセットで挟みだしたが、取り切れない。
そこで、例の高圧洗浄器で挟まった物を取り去ろうと試みた。

ポロリ

歯の隙間に勢いよく水を吹き付けていたら、何やらゴロリとした質感のものが口の中を転がった。

「まさか?!」

その「まさか」を取り出した。
昼間、接着剤で柱に接着されたはずの、人口歯が私の手にあった。

「えっ、外れちゃったの!」

これ、高圧水の吹き付けた私のミスだろうか? それとも、歯科医の施術ミスか?
外れた人口歯は、私が柱に差し込んだらすんなりとあるべき場所に落ち着いた。しかし、接着はもう無効である。寝ている間に外れて喉に詰まったりしないか?

明日は歯科医は定休日。明後日金曜日、歯科医に駆け込まねばならぬ。

しかし、と思う。
ちゃんとしたサイボーグになるのは、なかなか難しいものなのだなあ。