2015
11.05

2015年11月5日 南極

らかす日誌

1つのニュースで2度楽しめる、なんてグリコのキャラメルみたいなことはそうそう起きることではない。私は今日、その滅多にない体験をした。

しかし、である。NHKのBS1とは、実に面白い放送局である。世界のスポーツ、ドキュメンタリーを中心に編制され、金をかけずに通を唸らせるにはどうするか、を志向している放送局であると見える。多分、NHKのはじかれ者たちが運営しているのであろう。エリートには、とてもこんな編制はできまい。

で、今日1度目の楽しみは、午後1時前のBS1のニュースであった。

米国のNASA(アメリカ航空宇宙局)の発表によると、何と、南極の氷が増えていた

というのである。瞬時、我が目と耳を疑った。

だって、地球はいま、CO2を代表とする温暖化物質が増えすぎて温暖化が起きている。南極、北極の氷がどんどん融け、シロクマちゃんの住むところがなくなり、海面が上昇して陸地が浸食され、気候変動で温帯が熱帯になり、日本で竜巻が起きたり、想像を絶する豪雨が被害をもたらしたり、摩訶不思議な気候現象が起きている。
だから、CO2を減らせ! フォルクスワーゲンをつぶせ!! 地球環境を守れ!!!

の大合唱である。
それなのに、

南極の氷が増えている?!

なにせ、NASAが誇る衛星を使って写真を撮り続け、それを分析して導き出した結論である。温暖化さえ唱え続ければ豊富な研究費が転がり込み、我が世の春を謳歌するためにも、地球は温暖化していてくれなければ困る、という、学者というか、エセ学者というか、単なる商売人(真面目にご商売をされていらっしゃる方々、この表現をお許しあれ)といってもいいが、とにかく、あのおかしな連中には驚天動地のデータであるはずだ。

ネットを見ると、様々な見解が出されている。南極の陸地の氷は減っており、増えているのは海の氷だという指摘もあり、単純に地球は温暖化などしていない、という結論を出すのは時期尚早かもしれない。

だが、これまでの

「温暖化」

一辺倒の説明では済まされない現象が起きていることは事実である。
もともと、CO2の増加ごときで温暖化を説明するのは不可能だという指摘もある。人間の活動など、地球の歴史の中では微々たる影響しか持たず、むしろ太陽の活動とか、太陽系、銀河系の運動のリズムが温暖化の原因である、という学者もいる。

いずれにしても、CO2で飯を食ってきた学者さんたちは、新たな説明を強いられることになる。ま、強いられた分、研究費も出るから、彼らはハッピーかも知れないけど。

で、だ。
このニュース、十分に楽しませてもらい、実は夕刊を楽しみにしていた。我が家には、朝日、毎日、読売、日経、つまり、桐生で手に入る夕刊がすべて届く。
NHKが短い時間で伝えた重大ニュースを、各紙はどう伝えるのか。時間の制約でNHKのニュースに盛り込まれなかった事実がもっとあるのではないか。各社はどんな解説を加えてくるのか。楽しむポイントはいくらでもあった。

ところが、である。
1紙もなかったのだ、この重大ニュースを報じる新聞が。

朝日新聞なんて、1面のトップ記事が、渋谷区が同性カップルに証明書を発行した、という話であった。それも色々とご託をつけ、証明書が出たことで死亡保険金の受取人になれるとか、挙げ句の果ては携帯電話の家族割引の対象になるとか。

どう考えても、社会の混乱を助長するような制度だとしか私には思えず、

「だったら、この2人が離婚するときはどうするんだ? どちらか1人が男と恋愛して結婚したくなったら、この証明書があっても入籍できるのか? それとも、それは多重婚になるのか? 女同士の関係は結婚ではないから多重紺にはならないのか」

などと考えてしまった。いずれにしても、1面トップで報じるような話ではないだろう。ましてや、世界で「南極の氷は、実は増えていた」という重大事実が明らかになった日なのである。つまらぬ話を、さも重大なことのように報じる。それって、人権感覚に狂いがあるのではないか?
いまや朝日新聞はじり貧らしいが、こんな価値判断をしていたのでは、それも仕方なかろう、と思わせるに十分である。
朝日にとって救いは、他の新聞も「南極」を報じなかったことか。

ひょっとしたら、明日の朝刊で報じてくれる?


懸念していたが、とうとう起きた。自動運転車の事故である。
名古屋大学が開発した自動運転車が事故を起こした。名古屋テレビ(なぜか私は、そのテレビ局が「メーテレ」という、だらしない愛称を自らつけていることを知っている)の取材班が運転席に座っていたら、なぜか縁石に乗り上げ、タイヤがパンクしたのだそうだ。

メディアは、名古屋テレビのレポーターが運転席に座ったことが問題だ、という報じ方だった。この方々、判断力が欠如している。無人運転を売り物にする自動運転車である。誰が運転席に座ろうと関係はないはずである。それとも、自動運転車が実用化された暁には、新に

自動運転車免許

が制度化されるのか?

問題の本質は、自動運転が本当に可能かどうか、である。世界のIT企業、自動車メーカーが開発を競う分野であることは私も知っている。だが、安全は本当に確保されるのか?

自動運転であるかぎり、コンピューターが運転手に取って代わるはずだ。コンピューターは機械である。機械であるかぎり、必ず壊れる。壊れたときに、その自動運転車は安全なのか?

無論、フェールセーフ、つまり機械が壊れたときに安全をどう確保するかは十分に考えられているのだろう。むしろ、どうしても疑念が消せないのは、ハッカー対策である。 
コンピューターは、ハッカーの攻撃対象になる。ホームページが攻撃されたり、ペンタゴンのネットワークにハッカーが侵入したり、その種の話には事欠かない。ハッカーによる敵国のネットワーク攻撃は戦争の手段にもなりうるとの指摘もある。

自動車がコンピューターで運転される。そんな時代が来たら、ハッカーにとっては

もっとも面白い攻撃対象

になるのではないか?
高速道路を走っていた車が突然ジグザグ運転を始めたり、急加速したり、反対車線に飛び出したり。インターネットに接続した自宅のパソコンで自動運転システムに侵入したハッカーが、思うがままに自動車を操り、

「今度は7重事故を起こしてみよう。おお、うまく行ったぜ!」

なんてことが起きはしないか?

車載のコンピューターをインターネットから遮断すればハッカーの侵入は防げるかも知れない。だが、一切の通信なしに自動車は自動運転できるのか? 運転システムはオフラインでできたとしても、例えば車から電源を取りながらナビとして働くスマホから自動車の操縦システムに侵入されることはないのか?

どう考えても、移動体である自動車も、インターネットと一切の交渉を持たずに走ることはできない時代である。とすれば、ハッカーの侵入口はどこかにあることになる。
それでも、自動運転車は安全なのか?

これまで、自動運転車についての記事は、目につくかぎり読んできた。だが、企業間競争の解説はあっても、一番大事な安全確保の面から自動運転車に迫った記事は目にした記憶がない。せいぜい、

「乗ってみました」

の体験記程度だ。名古屋テレビもその1つである。
これは、ジャーナリストの知的退廃というほかない。

せっかく自動運転車が事故を起こしてくれたのだ。だったら、自動運転車は本当に安全なのか? という視点で取材を始めるのがジャーナリストの務めではないか?

当局の発表、解説に依拠し、何らの疑問も持たぬままつまらぬ情報を垂れ流す輩をもジャーナリストと呼ばざるを得ないのが情けない、と思ってしまう私であった。