2015
11.09

2015年11月09日 ミャンマー

らかす日誌

月曜日は嫌な日である。せっかく週末は連休だったのに(連休ではない方は、御免なさい。私の場合は、週末は原則として休みなのです)、また仕事しなければならぬ。こんな憂鬱な日があろうか。マンデー・ブルー、もしくはブルー・マンデーというのもむべなるかな。なんで月曜日なんかあるんだ?

と、ここまで書いてきて、

「ん? 何か違う!」

とそんな感じがしてきた。
そもそも、月曜日がブルーになるほど、私は仕事をしているか? 仕事のストレスであえいでいるか?
週末は、逆にすっかりリラックスして過ごしているか? それゆえに、仕事とストレスが待ち受けている平日が嫌なのか?

多くの方はそうであろう。だが、私に話を限れば、よくよく考えると、どうやら逆なのだ。

何しろ、私の週末は忙しい。録画してディスクにダビングした映画を整理しなければならぬ。ラベル面にタイトル、制作年、制作国、監督、上映時間だけでなく、映画の一場面をネットで探してプリントする。これだけでもかなりの時間が取られる。

最近は、数学の自主学習も週末の定例である。
中学数学から始めて高校数学に進み、

「そうか、俺は順列・組み合わせ・確率が本当のところ、よくわかっていない。であれば、遅ればせながら深掘りしてみようではないか​」

と取り組み始めた

ハッとめざめる確率」(安田亨著、東京出版)

は、無事に、というか、とりあえず、というか、188ページまで進んだ。全体の3分の2を終えた形である。次は「漸化式を作る」というセクションに入る。そうか、確率の計算にも漸化式が必要か。そんなん、高校の時にやったか?

と訝りながら、老化が進みつつある我が脳に重労働を強いる。

妻女殿に

「これ、買ってきて」

と突然のご下命をいただくのも、週末の特徴である。

「アイ・アイ・マム!」

とは答えないが、すっ飛んでいくことに変わりはない。

さて、洗車をするのも週末だし、すっかり取り散らかった事務室を片付けるのも週末である。瑛汰が感心を持った「迷路」パズルも解かねばならぬ。瑛汰がどの程度の知的レベルが必要なパズルに興味を持っているかを知るためである。ギターだってあるのだ。そう、週末とは、結構忙しい日々の代名詞なのだ。

という私は、月曜日になれば、平日に突入すれば、一般とは真逆に、実に暇になる。それなのに、なぜ憂鬱なのか?
恐らく、この日を堺にリズムが狂うからだろう。
有り余る時間をやっと処理した平日が終わり、やることに追われる週末になる。土日、たった2日だが、それでも何かに追われて寝る時間を迎えるリズムは、しっかり体に染みつく。それが月曜日になると

「今日、何かやることあったっけ?」

それでリズムを崩す私は、生来の働き者なのかも知れない。

という暮らしの変化の中で、何となく気になっているのがミャンマーの国政選挙だ。どんな結果が出ようと私の暮らしには何の影響もない。だから放っておけばいいようなものなのだが。

軍事政権が続いてきたミャンマーで総選挙が行われ、あのアウン・サン・スー・チーという女傑が率いる野党国民民主連盟(NLD)が勝って政権を握る可能性が高まった、と報じられている。

「それはよかったね」

と済ませることができれば放っておいてもいいのだが、どうも、

「よかったね」

と言いかねる思いがわき出てくるのである。なぜなのだろう?

私はアウン・サン・スー・チーが嫌いなのか?
確かに、彼女の名前をキーボードで入力するのは大変だ。だが、それだけのことで嫌いになるはずはない。
知名度が高い割にたいした美人ではないからか。だが、それだけで女性を嫌いになっていたら、職場も桐生も日本も世界も、私が嫌いな女だらけになってしまう。
彼女とは一度もお目にかかったことがないのである。だから、嫌うきっかけさえない。彼女が、ネットで私の悪口を流布したという記憶もない。何しろ、私は彼女のことを知っているが、彼女は私を知るはずがない。だから、私が彼女を嫌うはずがないのである。
どう考えても、ミャンマーの選挙が気になる理由が見つからないのだ。

だが、しばらく考えて、

「ああ、これだったか!」

という解答に行き当たった。日本の民主党の体たらくである。

自民党政権に飽き飽きした有権者が

「あんたら、やってみなはれ」

と民主党に政権を委ねたのは、思い返せばわずか6年前のことだ。
増税はなく、財政赤字は解消に向かい、教育行政は一新し、高齢者にも満足のいく暮らしができる。そりゃあそうだろう、だって、これまで自民党が好き勝手におかしなことをやり続けたからいまがある。民主党に代われば、日本がよくならないわけがない。
恐らくそうなるであろうという総選挙が行われ、本当に民主党が政権を取ったとき、日本はある種の高揚感に包まれた。高揚の理由は個々バラバラに違ったであろう。
これで日本は変わるという希望、やっと戦後体制を抜け出せたという安堵、自分たちが自民党を倒して政権交代を成し遂げたという自信。苦しかった暮らしが、これで楽になると夢を見た人もいるだろうし、やっと日本に根付いたかに見えた日本型民主主義に誇りをもった人もあったはずだ。

だが、期待と希望が怒りと失望に変わるのに、それほどの時間は必要なかった。鳩山、菅、ドジョウと3代続いた政権は、その度に失笑するしかない無力感を国民に抱かせた。これが俺たちの政府かよ、という国民の無力感を止める力は民主党にはなかった。

その挙げ句の自民党回帰である。いま安倍政権は高い支持率を続け、閣僚の不祥事も、東京五輪に関わる不祥事も、増え続ける財政赤字も、安保法制も、TPPも、原発の再稼働も、NHKアホ会長の不規則発言も、安倍政権にはかすり傷1つつけられない。

「だって、自民党に代わることができる政党ってある? また民主党? 冗談でしょ!」

という見方が、すっかり国民に定着してしまったのである。民主党の罪は重い。いまの民主党は、果たしてその罪を自覚しているのか?

そしてミャンマーだ。
アウン・サン・スー・チーの国民民主連盟(NLD)が勝って政権政党になったとしよう。ずっと政権の座にいなかった彼らに、政権の運用能力はあるのだろうか? 軍事政権の非をあげつらう報道はあっても、国民民主連盟(NLD)の政権運用能力に焦点を当てた報道は登場してくれない。

「お前ら、日本の民主党の罪悪を忘れたのか?」

取材、分析にあたっている自称ジャーナリストを一喝したいところである。

日本の民主党は、確かに批判には長けていたのかも知れない。だが、

「だったら、お前たちが政権を持って日本を経営してみな」

ということになったら、とたんに無能ぶりをさらけ出した。ずっと政権の座になく、その運営の仕方にまったく素人だったという同情の仕方もないではない。だが、彼らは政権を目指した。であれば、政権の使い方を知らなかった、予習もしなかった、というのでは、阿呆呼ばわりされても仕方がない。
おかげで、政権交代なんてやっちゃいけないんだ、という思いを国民に抱かせたとしたら、その罪は万死に値する。

ということが、ミャンマーでも起きないか?
もし、国民民主連盟(NLD)に政権運営能力がなく、日本のようにまた元の鞘に収まることはないか? 民主的な公正選挙で軍事政権が永続化するようなことにならないか?
あのナチスは、民主的な選挙で生まれたのである。

俺、心配のしすぎ?
そうであることを祈るばかりだ。

にしても、民主党。全員に洗顔用のみそ汁を送りつけたいと思うほど軽蔑している私である。