2015
12.16

2015年12月6日 算数・その後

らかす日誌

この週末は木工を楽しんだ。いや、苦しんだ。
少し前なら、

「日曜大工」

という趣味の実現であった。だが、いまや

「くーっ、腰が痛い!」

「手の筋肉がブルブル震え始めちゃったよ!」

「何でこんなことを始めたんだ?!」

という難行苦行となった。あれもこれも、すべては寄る年波のせいである。ったく、何とならないかねえ。66歳が突然33歳に戻ったりすることはありえないか?

作った、加えて、作りつつあるのは、私用と、瑛汰用の移動式本棚、璃子のリクエストによる「リカちゃんの洋服タンス」である。昨日から始めて、いまだに終結を見ないミッションの詳細は、いずれご報告する。


で、昨夜は桐生西宮神社のえびす講で演じられた、お神楽とフラメンコの共演の打ち上げであった。私、お神楽なんて桐生に来て初めて知った素人である。フラメンコ? 桐生市のO氏からは

「あなたもやりなよ」

と誘われるが、

「あなたが踊る? あなたは恥を知るという言葉を知らないのか?」

と断固たる拒否を貫いておる。つまり、あんなもの、自分で踊る気なんて全くない。

それなのに、なぜか昨年から打ち上げに招かれるようになった。昨年は、理由は忘れたが出ることが叶わなかった。今年は、良い、悪いは別にして、断る理由がなくなった。参加した。

まあ、それはよろしい。打ち上げとは、飲み会の別称である。呑むための理由を探す人々が集まってたらふく酒を胃に流し込む会合である。視線が釘付けになるような美女の参加は期待できないとしても、まあ、断る理由はない。

「大道さん、『らかす』って、ホントに面白いよね」

参加した人の一人が声をかけてきた。そうか、この人には「らかす」を紹介していたんだっけ。

「あれ、最高のブログ!」

いや、らかすはブログではない。ちゃんとしたホームページである。
ブログとホームページの違い。一つはホームページを運営するには金がかかることである。私はサーバーの一定領域を借り、毎月3000円強の金を支払っておる。
ブログにはそのようなコストはかからない。

ではなぜブログにしないのか。表現のテクニックを使う範囲が限られるからである。
まず、ブログは1項目1万字以内である。長い原稿が多い私の場合、時としてこの制約にひっかかる。

まあ、最近はそれほど長行の原稿は書かないし、写真や図もまず掲載しないから、本当はブログでも済む。だが、以前書いた原稿の多くは、ブログには移植不可能なものが多い。

たったそれだけの理由で、私は毎月3000円強の金を支払っておる。アホちゃうか?

まあ、それはいい。

「で、この前、算数の問題を書いてたでしょ。俺、解いてみたのよ。ところが、解けなくてさ。いや、俺、大学行ってないし、親に金がなくて断念したんだけどね」

いやあ、あのように紹介した算数の問題を、実際に自分で解いてみようとする人がいるとは驚いた。その人がすぐ近くにいたとなればなおさらである。

そうか、であれば、答えを書かねばなるまい。
この答え、いずれにしても図で示した方がわかりやすい。だが、図の掲載は面倒なので、必要な図は文章で説明する。必要な方はお手元の紙に図を描いていただきたい。

まず、この問題集が掲載してる解答から。

3つの線図がある。
1番目は、横棒を引き、左の端がP、右の端がR、真ん中にQ、と書いてある。そしてP-Q、Q-Rの長さが同じとしてある。Qの真下に「バス」とあり、そこから右に向かって点線の矢印。反対に、Rの方からは実線の矢印が延びており、バスの矢印と出会っている。これは「電車」とのことだ。「バス」の矢印には3分間で進んだ距離を示す記号(3が丸で囲ってある)があり、「電車」の矢印にはやはり3分間で進んだ距離を示す記号(四角形の中に3と書いてある)がある。

2番目は少し短い線分で、この全体が電車の9分であると記号で書かれ、Qから右にはバスの9分を示す記号。

3番目は2番目と同じ長さの線分で、全体は2番目と同じく電車の9分とあり、Qから左は電車の3分とバスの3分の合計で、Qから右はバスの9分の記号がある。

さて、ここまでの図はきちんと書けましたかな?

その上で、解説は

「バスと電車がそれぞれ1分間に進む道のりをマル1(図の解説で書いたバスの1分間の記号)、四角1(電車の1分の記号)として、(2番目、3番目に使った)図のQの左にマル3、四角3の線分図を書き入れると、マル12=四角6だから、マル2=四角1(電車の速さはバスの速さの2倍)
40×2=80(km/時)」

これだけである。まあ、図がきちんと書いてないと、何の話かわからない説明ではある。理解しようと思われた方は、まず図をお書き願いたい。

だが、私の粗雑な頭では、この図と説明では、ピンと来なかった。それどころか、頭が混乱した。あまりにも素っ気ない答えの示し方である。

私は次のように解いた。

まず、ダイヤグラムを書いた。
ダイヤグラムは、コの字の左右をひっくり返した形だ。上の横棒がA駅、下の横棒がB駅である。
電車はt分ごとにB駅を出て、A駅に向かう。バスはA駅を出て、時速40㎞でB駅を目指す。この動きを斜めの線で書き入れる。そうすると、電車は平行線になり、バスはこの平行線を斜めに横切る線になる。
さて、ここからだ。このあとは図形問題として解く。電車の線をバスの線は連続してよぎる。これで三角形ができる。底辺は電車の運行間隔であるtであることは、電車の線が平行なことからわかる。バスと電車が出会う左側の交点から垂線を降ろすと三角形ができ、底辺は(t-3)になる。

ここで私はこう書いた。
バスは3分で40×3/60=2㎞、電車は(t-3)分で2㎞走る。電車の時速は2×60/(t-3)

もうひとつダイヤグラムを書いた、今度は電車もA駅からB駅に走るから、途中でバスを追い抜く。バスが1台目の電車に追いこされた交点から下に垂線を降ろし、次の電車に追いこされた交点から横に平行な線を引くと、また三角形ができる。底辺は9で、電車の線までの距離は(9-t)になる。

私の解説。
バスは9分で6㎞、電車は(9-t)分で6㎞。電車の時速は6×60/(9-t)

電車の時速は同じだから、120/(t-3)=360/(9-t)
これを解いて、t=9/2
前の式に代入して、電車の時速は80㎞

これが、方程式が使えればすんなり解ける、と書いた解答だ。

さらに、問題集の解答を解説した。

バスが1分間にa、電車はb進むとする。電車は等間隔で走っているから、(問題集の線分図を示しながら)一番下の線でわかるように、
9a+3a+3b=9b
2a=b
つまり、電車の時速はバスの2倍。

と書くと簡単そうだが、こんな解き方を思いつくのは至難の業だ。さて、あなたはこれで理解していただけただろうか?


「俺、解けなかった」

と私に告げたのは機屋の経営者である。当時の家計が苦しく、大学に行きたくても行けなかったことが心の重荷になっていると見受けられた。
だから私はお話しした。

「こんな問題が解けることと、立派な人生を送ることはまったく別の話ではないでしょうか。秀才の誉れたかい人が、それ故の犯罪に手を染めるケースは数え切れないほどあるし、悪事に手を染めないとしても、私みたいなサラリーマンで終わる人間は沢山いる。私の会社なんか、私以上にこの手の問題なら解ける人が沢山いて、そのせいで経営危機を招いている、と私には思える。とにかく、頭のいいヤツというのは自分を守ることに長けていて、私はうちの会社を『頭がよすぎるバカが多すぎる会社』といっているほどです。そんな有象無象に比べたら、あなたは先代から受け継いだ仕事を立派に引き継いでおられる。立派に引き継ぐには、沢山の勉強をされたはずだ。算数が解けるようになるだけが勉強ではないのではありませんか?」

以上は私の本音である。
いま、このような形で啓樹に算数の勉強を強いているのは、啓樹には受け継ぐ家業がないからである。であれば、己の知力を武器として世を渡るしかない。物事を論理的に考える訓練、解決に至る道筋を見いだすための鍛錬、自分の可能性の幅をできるだけ広げる努力。それが勉強だと思っているだけである。
もし啓樹に受け継ぎ発展させるべき家業があったら、恐らく違った勉強を強いていたに違いない。

人は決して平等には生まれない。大金持ちの子に生まれる。私のように貧困極まりない家庭に生を受ける。家業を受け継ぐ使命に縛られて生まれる。自力で暮らしを築き上げるしかない立場で物心つく。運動神経に優れる。美の創造に偉才を見せる。音楽に天賦の才を持つ。
人生のスタート地点は不平等のオンパレードだ。

不平等なスタート地点から、各人は己の人生を築かねばならない。
と考えれば、ある年齢になって、たいした犯罪にも手を染めず、多くの不満、憤懣は持ちながらも家族をきちんと育て上げ、社会の一員として幾ばくかの信頼を得る生き方ができたとすれば、まずは合格点の人生なのではなかろうか?

大学を出たから素晴らしい人なのではない。素晴らしい人がたまたま大学を出たのである。
肩書きがあるから偉いのではない。偉い人がたまたま肩書きを持っただけである。
市議だから、県議だから、市長だから、知事だから、国会議員だかか、仰ぎ見たくなるのではない。仰ぎ見たくなる人が、たまたまそんな職に就いただけである。

が、この反対の現象が横行するのが世の習いだ。アホが大学を出て、人非人が偉そうな肩書きをひけらかし、己を「何者かである」と誤解した人々が市議や県議や市長や知事や国会議員になる。

己を誤解せず、己であり続ける。本当は一番簡単なことなのだが。、現実を見ているとそれが一番難しいことのように思える。

おお、書きながら呑んでいたら、いつの間にか酔ってきたようだ。俺、いったい何が言いたいのか? 
ということで、本日はお開きということに。