2016
01.24

2016年1月24日 野球

らかす日誌

まず持って、謝罪から始めたい。

前回の日誌で、例のスキーバス事故に関し、メディア、中でも朝日新聞とNHKをを罵った。
ところが、翌朝の朝日新聞は、ブレーキの不具合を色濃く臭わせ得る記事を掲載した。私が見たかぎり、ほとんどの新聞が同趣旨の記事を書いていた。踏み込まなかったのは、記憶によると日本経済新聞程度である。

だから、ゴメン。私は、新聞メディアの代表(という自己認識はよくわかるが、さて、世の中もそう思っているかどうかは疑わしい)である朝日新聞に

「スマップ解散を1面で報じた朝日といい」

という表現で罵声を浴びせていた。いや、スマップの報道は罵られても仕方がないと思うが、バス事故に関して

「スマップのつまらぬ記事を書く朝日新聞だから、バス事故に関してもNHKの同列だろう」

といわんばかりの文章は私の誤りである。ここに謝罪する。

で、ついでに、だ。

活字メディアはこぞって、私と同じようにブレーキの不具合、つまり整備が不良であったのではないか、との記事を掲載した。それを読みながら、

「おい、NHKは本当に、あんな阿呆な報道をしたのかよ?」

という疑念が私の中に生まれたのである。だって、メディアで飯を食っている連中がこぞって1つの方向に流れているときに、NHKだけが流れからそれる? みんなで渉れば怖くないが横行するメディア界ではありそうにないことである。
と思いついて、

「俺、ニュースの一部を聞き逃したのか?」

と自分で自分を疑うに至ったのだ。
何しろ、新聞ならあとで読み返すことができる。ところがテレビでは、録画しておかないことにはあとでの再確認は不可能である。私は、NHKのニュースを毎日録画する変わり者ではないのである。

もし、私の不手際で一部を、それもニュースの肝心な一部を聞き逃していたのだとしたら、NHKにも素直に謝罪したいと思う私であるが、さて、あの日の私は、夕食をとりながらニュースを見ていて怒り心頭に発したのであるから、見逃しているはずはないとも思う。
まあ、謝罪は理非曲直がはっきりしてからにしよう。


との謝罪が遅れたのには理由がある。
当日、つまり21日は、桐生の若いにいいちゃんと酒を飲んだ。私と呑みたくて仕方がなかったとのことで、2次会は我が家に繰り込んだりして遅くなり、ために当日は執筆する時間がなかった。
翌22日は、東京で飲み会があった。私の後輩が定年を迎えるとこになり、かつて名古屋で一緒に働いた連中が集まって卒業記念の飲み会をしようということになったのである。名誉なことに、この飲み会には、私の名が冠されていた。とあれば、私が欠席するわけにはいかぬ。というわけで、22日もパソコンの前に座る時間がなかった。

東京での飲み会となれば、夜は横浜の瑛汰の家である。
当日は午後11時半頃たどり着き、そのまま布団に入ってバタンキューであった。翌日からは当然のごとく、瑛汰と璃子の攻撃対象となる。
で、23日土曜日は、朝から瑛汰を予備校に送り、戻って璃子の

「ねえ、ボス、遊ぼ!」

攻撃の対象となる。璃子のお好みは、鉄棒(2人で手を取り合い、そのまま璃子が私の身体を駆け上り、1回転する)、ギッタンバッコン(これ、くすぐったり、高くしたり、速度を速めたりしてはいけないと璃子に注意を受けるが、やるたびにどれかの規則違反を犯してしまう)、飛行機(私の両足を璃子の腹部に当て、持ち上げる。これもくすぐりは厳禁なのだが……)で、私はこき使われる。
私にとっては腹筋の訓練ではある。

昼過ぎに次女、璃子と3人で瑛汰を迎えに行き、予備校隣のインド料理店で昼食。璃子はナンが大変に気に入り、おかわりする。瑛汰はカレーがたいそう舌にあったらしく、

「これ、美味い!」

を繰り返す。日々母親に、どのような食事を給されているのか、やや気になるところである。

4人で満腹になり、ラゾーナ。璃子はリカちゃんのお家で働く労働ロボットをお買い上げになる。瑛汰は書店で私のiPhoneを使って撮影。

「ボス、この本をamazonの中古で買って。一番安いヤツでいいから」

夜は、まず璃子が

「ボスと寝る!」

と宣言。2人で布団に入り、本を読んでやったまではいいが、読み終わると泣き出す。

「璃子、ママと寝たいのか?」

「うん」

というわけで、瑛汰と同衾。

今朝は瑛汰とバッティングセンターに行った。前夕、家の前でキャッチボールをしていて思いついた。
考えてみると、いまの横浜には、バッティングを楽しむ場所がない。学校の校庭は球技禁止だし、公園でもフリーバッティングは無理だろう。となると、思いっきりバットが振れる場所は、バッティングセンターしかないではないか。

今朝。トレッサ近くのパチンコ屋の屋上。汚い。が、来た以上、そんなこともいってはいられない。
まず、球速80kmから始めた。
瑛汰にとって、金属バットを思い切り振り回す体験は初めてのはずである。最初から球速80㎞。

「当たるはずはないわ」

と高をくくっていた。まあ、2ゲームもこなして1球もバットに当たらなければ、

「ボス、帰ろう」

というに決まっている。

なのに。
当たったのである。
もちろん、バットの芯で捉えた球がネットを超える、という当たりではない、チップやせいぜい内野ゴロ、内野フライという当たりである。
だが、バッティングの手ほどきをされたわけでもなく、初めて手にした子供用の金属バットで時速80㎞の球に当てるのは、それほどたやすいことではない。
ひょっとしたら、あてた本人が一番驚いたのではないか?
だが、当初の驚きは、繰り返せば自信に変わる。

「ボス、もっと球、速くならないの?」

2ゲームをこなすと、瑛汰はそういった。急速を90㎞に上げた。これなら空振りが続くはずである。なのに、時折当たるのだ、球とバットが。
次は

「一番速くして」

見ると、最速は110㎞であった。これなら打てまい。
とろが、子供とは恐ろしいものである。これも、4、5球に1球はバットに当たるのだ。

計5ゲームこなした。
瑛汰によると、1ゲームは22球。ということは110球に挑んだことになる。

「でね、ボス、瑛汰、37回当たったんだ! すごいでしょう!!」

うん、初体験としては確かにすごい。

「瑛汰、思ったんだけど、瑛汰はサッカーより野球の方が才能あるんじゃないかな? サッカー選手になるのは難しくても、プロ野球の選手ならなれるかも知れない」

子供の可能性は無限である。無限の可能性の一つ一つを試してつぶし、可能性の幅を切り詰めていく年月を成長と呼ぶ。瑛汰は確実に成長しているのである。

そういえば、璃子は2月からピアノ教室に通うそうだ。ママが子供の頃通ったとの同じ教室の生徒になる。

「璃子ね、ネコ踏んじゃったを弾きたいの」

璃子も己の可能性に挑む年代になったようである。

まあ、私が老けるのもむべなるかな。
と思いつつ、午後3時頃桐生にたどり着いた私であった。