2016
03.13

2016年3月13日 ETC

らかす日誌

所詮は機械なのである。壊れることもあれば誤作動することもある。が、その場に立ち会うと、壊れたのか誤作動なのか、その判別は難しい。そのいずれかによって対処法が違ってくるから困る。

さて、何の話? とキョトンとされた方も多かろう。よろしい。これからゆっくり解説をしてしんぜよう。

この週末、野暮用で横浜に行った。事件は、その途上で起きた。

桐生を出たのは12日土曜日の午前8時頃だった。いつものように国道50号線を走って北関東自動車道の太田・桐生インターチェンジにたどり着き、高速に乗り移った。
当然のことながら、私の車にはETCが備え付けられている。従って、無人のETC専用入り口から高速に乗り込むのだが、この日は何となく感触が違った。

「あれ? ETCは反応したか?」

金を支払わずに高速道路を利用しようという不心得者を取り締まるため、ETCの入り口にはバーが備え付けられているのは皆様御存知のことである。そのバーは、ETCが備えられた車の進入を察知して跳ね上がるのが仕事である。ところが、バーが上がらなかったのだ。

それで初めて知ったのだが、あのバー、跳ね上がらなくても車に触れないように取り付けられている。右と左のバーの間は、車1台がすり抜けられる間隔で取り付けられているのである。これなら無賃乗車もできそうな気がするが……。

ま、それはそれとして、だ。
という具合にバーの間を、車を傷つけることなくすり抜けた私ではあったが、焦ったのはいうまでもない。

「おい、いまバーは上がらなかったよな?!」

まず最初に考えるのは、ETCカードを入れ忘れたのか? である。だって、機械は車に取り付けてあるし、これまでは正常に作動してきた。それが作動しない原因は、カードが欠落していること以外に考えられないではないか。

高速の車の流れに自分の車を乗せながら、ということは時速80㎞から100㎞の速度を出しながら、私は原因の探求に取りかかった。右手でカードホルダーを探った。

「ん? カードがない?!」

え、どうしてカードがないんだよ! 俺、カードを取り外したか? 車検に出して代車に乗ったは10ヶ月ほど前だし、それからあとはカードを外すことはなかったはずだが……。
とは思うものの、右手の先が伝えてくる情報は

「カードがありません」

である。
おい、カードを取りはずしたとしたら、何処に入れておくか? 財布か? 財布を調べなくちゃ。

車はすでに、時速120㎞で高速道路を疾走している。なのに私は右手でズボンの右後ろのポケットから財布を引きだし、カードを調べはじめた(お小さい皆さんは、絶対に真似をしてはいけません!!!)。

ない。財布にないとしたら、何処に置く? ここか? あそこか? 車の中のポケットを次々と探る。車はすでに130㎞に達していたかも知れない(繰り返す。お小さい皆さんは、絶対に、絶対に真似をしてはいけません)。探しても探しても、何処にもない。
探しながら、ふと思い出した。

「そういえば、俺、昨年末に高速で真岡市まで出かけたよな。あのあと、車は故障してないし、カードを取り外すはずがないじゃないか」

であれば、カードは所定の位置にあるはずだ。もういちど右手でカードホルダーを探った。今回は、カードを取り出すためのプッシュボタンが手に触れた。こいつをプッシュすると、なんと、カードがポンと(という音が出たわけではないが)飛び出してきたではないか。

「あれまあ、カードはあるじゃないか。じゃあ、なんで?」

私には、その問いに答えを出す能力はない。が、そんな能力なんてなくてもいいのである。答えはやがてやってくるのだから。

東北道に乗り移り、浦和の料金所でETC専用のゲートを抜けると、というか、降りたまま跳ね上がらないバーの間をくぐり抜けると、停車を命じられた。

「どちらからお乗りになりました?」

ははあ、やっぱり太田・桐生では正常に認識されていないんだ。だから高速に入った記録がない車が料金所を通り抜けようとするからバーが反応しなかったのだろう。それとも、私のETCが故障したのか?

「カードをお借りします」

私に停車を命じたオッサンが、丁寧な口調で私のETCカードを取り上げ、どこかに消えた。しばらく待っていると、

「お待たせして申し訳ありませんでした。ホンの時折ですが、機械が認識しないことがありましてご迷惑をかけました。このカードに、太田・桐生から乗ったという記録を書き込んでおきましたので、これから先は大丈夫です」

といわれても、一度誤作動した機械への信頼は、そう簡単に取り戻せるものではない。いや、そもそも、私のETCは壊れてはいないのか? これから先走っても大丈夫なのか?

「という心配があるんだけど」

まあ、その後の料金所では正常にバーが跳ね上がったから、機械は正常に作動しているようである。

すでに乗り始めて10年近くになった中古車である。すでにナビは壊れ、気が向いたら働かないでもない、という横着なヤツになった。が、車本体が老朽化しているのであり、ナビだけを新しくするのは本末転倒であると考えて、ナビはもっぱらiPhoneに頼っている。
ETCだって、この車の機械を新しくするのは本末転倒である。だから一時は毎回現金払いするかつての習慣に戻ることも覚悟した私であった。
ひとまずよかった、と安堵しながら、それでも車を買い換える必要をほとんど感じない幸せを噛みしめる私である。


というわけで、週末は横浜で、瑛汰、璃子と過ごした。
今朝は3人でラゾーナに出かけたのだが、どうしたわけか、映画を見ることになった。2人のリクエストは

アーロと少年

である。私の好みが入る余地は皆無である。

で、見た。
どういう訳か、知性を持つのは恐竜だけで、人間は言葉を話すこともできず、おおむね四つ足で歩く、犬同様の生きものとして画面に登場する。で、テーマは弱さと強さであり、持つべき勇気であり、恐竜と人間の種を超えた友情であり、そのための自己犠牲であり、家族である。
なかなかよい映画であると思った。やや潤みはじめた目頭を気にしながら、ふと左隣に座る璃子を見た。目をこすっている。そして目があった。

「なんか、璃子、目が痛くなっちゃったの」

涙を流していたらしい。でも、私には泣いたと思われたくなかったらしい。璃子は意地っ張りである。でも、この映画で涙を流すほど感動したか。
うん、よかった、よかった。

夕刻桐生に戻り、妻女殿にこの話をご報告申し上げた。

「璃子らしいわね」

と大笑いしておられた。
でも、璃子らしい?
璃子って、どんな女だ?


何となく、というか、切実に、というか、腰が痛い私である。季節の変わり目のためかなあ……。痛み止めのロキソニンを、いつもより沢山飲んで痛みを抑える私であった。