2016
08.04

2016年8月4日 最終月

らかす日誌

とうとう8月になった。私のサラリーマン人生の最終月である。それも、早くも3日と半分以上過ぎ去った。光陰矢の如し。

さて、ここに来て何が変わったか。

1)会社にもう働かないと通知した。調べてみたら、私の有給休暇が50日も残っていたのである。であれば、もう働くこともなかろう。

2)サラリーマン人生卒業後の生活設計が本格化(?)した。何だか起業家になるのだそうだ。できるか? といいながら、「何か私にできる仕事があったら振ってね」と挨拶を欠かさないようになった。さて、どのような仕事になるのか。それは、会社のくびきがとれて、もっと自由に書けるようになる9月をお待ちいただきたい。

3)引っ越し先が決まった。桐生市内である。4LDKの1戸建て。いまの住まいよりやや狭く床暖房もないが、まあ、仕方あるまい。

4)やっとこさ、平常に近い形で移動できるようになった。といってもまだ、100歩ほど歩くと腰の左後ろから臀部にかけて痛みが出る。身体をなだめなだめしながらの移動である。

5)あの怖い薬、リリカを飲みきった。整形外科医が処方したのはちょうど2週間分である。もう飲まずとも、何とか暮らせる。副作用の恐怖からの解放である。

6)8月は初日から、飲み会が続いた。といっても送別会ではない。1日はほぼ全額私が払い、昨日は割り勘である。まだ送別会の誘いはない。俺、嫌われてる? やっかい払いができると喜ばれてる?

7)これまで使っていたラズパイの1個が壊れ、新しいラズパイと新しいデジタル出力カードを使い始めたことは報告した。それによって、それまで使っていたデジタル出力カードが不要になった。今日、知人にあげたら喜ばれた。

というあたりがとりあえずの変化か。

喜ばしいのは7月までは最優先事項であった「腰」が、9月からの生活設計にトップの座を譲ったことだ。その程度には回復したわけである。
9月からは年金収入しか頼れない暮らしになる。「これで暮らすの?」程度の少額になるし、加えて、これまで会社が負担していた家賃、ほぼ全額負担していた交通費、ガソリン代、電気・水道代など、かなりのものがすべて自己負担になる。
加えて、私を桐生に引き止めた方々が私に期待しておられるのは、桐生を底上げするお手伝いである。とすれば、家賃をはじめとした必ず出ていくお金と、私がその目的のために動き回る経費はこれから始める事業で稼がねばならぬ。ざっと見積もって、年間に300万円ほど必要だろうか。

と書くのは簡単だが、67歳の私にそれができるか。というモヤモヤを抱えるが故に、今月に入ってからは、会う人ごとに

「私にできる仕事があれば何でも」

と前口上を述べるようになった。ありがたいのは私とお付き合いしてくださっている方々で、いくつか具体的な収入や仕事が見えてきた。そうでない方も

「ありますよ、大道さんにできること。はい、考えます。一緒にお仕事できれば嬉しいです」

といってくださる。嬉しい限りである。

で、嬉しくなると舞い上がるのも私である。

「うん、必要経費を引いて残ったお金は私の収入になるんだよね。とりあえず、10年を過ぎた車の買い換え資金は確保してある。ということは、私の働き次第では、買い換える車のグレードが上がるってことだよね」

さて、脳天気な私の話を、その方はどう聞かれたか。
もちろん、稼ぎが悪ければただただ桐生で暮らし、人と会い、駄法螺を吹くことになる。それでは

仕事をしている

とはいえまい。頭と身体を動かさねばならぬ。仕事をしているふりをすれば何とか食いつなげるサラリーマンの安逸な暮らしは終わった。覚悟すべき時である。

でも……、俺にできるか?
何とも情けない私である。


でも、である。
メディアって、オリンピックみたいなビッグイベントには、どうして疑問を持たないんだろう? 翼賛報道ばかりになってしまうのは何故なのだろう?

サーフィン? あんなもの、スポーツか? 百歩譲って競技性があるとしても、だ。では海のない国の連中はどうやって練習したらいい? 高い波が押し寄せない国だって同じ不利な条件に置かれるではないか。
ま、これは冬のオリンピックの競技種目でも同じだが。

野球? メジャーリーグの連中は出てこない。野球なんてやらない国だって多い。それがオリンピック種目?

スケボー? 「Back to the Future」を見てればいいんじゃない?

スポーツクライミング? 先々は、開催国の最高峰にどこの選手が先にのぼるか、なんて競技も生まれるのか? あんなもので競ってどうする?

空手? だったら剣道も採用しようよ。剣道だと日本が有利になりすぎるかも知れないので、それぞれの国特有の刀剣を使う武技を一堂に集め、どこの国の武技が1番になるか、なんてのが面白いと思うが。そうそう、相撲だってやっていいじゃない。

という違和感を、何故メディアは取り上げない?

そんな違和感を持つには、オリンピックって何なんだ? という基本的な認識がいる。そんなことを考えたメディアが1社でもあったか?

と思ってググってみたが、ろくな解説はない。といって、私の読書範囲もそこまでは至っていないので偉そうなことはいえないが。少なくとも最近のオリンピックを見る限り、

「ああ、スポーツとは商品にしか過ぎないのだ」

と言わざるを得ない。自分の身体能力をギリギリまで高める「挑戦」ではなく、高めた結果が金になることを主な目的にしている連中が主体となってお祭り、いや展示会をやっている、としか見えないではないか。

オリンピックの開催が国家目的のハシタメとなったり、金儲けの手段となったり、まあ、純粋なスポーツなんていったいどこに行ったんだろ? あれ、スポーツってそんなに純粋なものなの? と考えさせる事例には事欠かない。
なのに、メディアはこぞってスポーツの祭典を歌い上げる。テレビは視聴率がとれ、スポンサーがとれる。新聞は、やっぱり協賛広告が取れる。そんな思惑ばかりの世界を支えるのは

「いやあ、朝まで応援していて眠いです」

と脳天気に語る方々である。
おかしい。絶対におかしい、とふてくされるのは私だけなのだろうか?

明後日、リオ五輪が始まるらしい。
皆様、ご苦労様です。