2016
08.06

2016年8月6日 引っ越し準備

らかす日誌

そろそろ引っ越し準備をしなければならない時期になってきた。1年中で1番暑い日が続くいま、できれば肉体作業は避けたい。が、これだけはいかんともならぬ。定年後再雇用者の交代時期を、再雇用開始日、つまり定年日の翌日ではなく、一律に8月末と定めた会社の不明を嘆くばかりである。
それとも、こんな時期に設定したのは私のような可愛くない年寄りへの嫌がらせか? ふむ、あいつらだったらやりかねない。

我が家も昨日から準備作業に入った。
まず昨日は、再雇用契約期間満了に伴って提出しなければならない書類を作った。一月近く前に届いていたが放っておいた。それほど愛せなくなった会社とはいえ、やはり去るのは寂しい。できることならいつまでも今のままでいたい。だから封書に手を延ばす気にならなかった。

ところが数日前、

「早く書類を出さんかい!」

というお叱りのメールが会社から来た。

「締め切り尾は7月25日だったんよ」

という解説があった。
はあ、そうだったの。開けてないから締め切りなんてわからんわなあ。8月末までに出せばいいと思ってたんだから。

といういきさつでの書類づくりである。

終えて、市内にある家具のホンダに家具を注文しにいった。
事務所でいま使っているデスクは、会社が設置したものである。スチール製、いかにもの事務机だ。9月からこれは使えない。であれば、私個人の事務机がいる。

あわせて、ダイニングテーブルと椅子も注文した。
現用は180㎝×100㎝の大型である。確か1990年頃買った。当時は育ち盛りの子供が3人おり、全員で食事をすれば5人がけとなる。ために、横浜の自宅のダイニングルームに入る最大のサイズを選んだ。
ところが、だ。今度引っ越す家のダイニングルームは狭い。4畳半程度の広さしかない。いまのテーブルを持ち込んだのでは部屋中がテーブルになりかねない。
それに、妻女殿は現用テーブルがあまりお気に召さないようで、

「大きい、でかい」

と声高に叫び続けておられた。それもあって、この際買い換えることにした。サイズは150㎝×85㎝。いまのに比べて一回り小さい。我々夫婦が使う椅子は座面が回転するタイプにした。

「そこまでしなくても」

と妻女殿はホンダでおっしゃった(数千円高いからである)が、

「バカをいうでない。我々の体力はこれから落ちる一方なのである。体力が落ちれば、椅子の向きを変えるのも面倒になる。だから、この程度の贅沢はするべきだ」

と論理的に一蹴した。何故か、家具屋の若い店員さんが

「ご主人のおっしゃるとおりだと思います」

と言葉を添えてくれた。論理明晰な私の話に感じ入ったか。それとも、単に売上金額が増えるのが嬉しかったのか。

いずれも「カリモク」である。展示品を見て見て気に入ったのだが、何でも高級家具のメーカーで、四日市に住む次女の憧れの家具らしい。価格も決してお安くないが、家具のホンダの経営者の方が私の窮状に同情していただいたのか、結構お安くしていただいた。
それに、である。いま買う家具は、恐らく、我々夫婦が死ぬまで使う家具である。多少の贅沢は許されるであろう。

未定だが、リビング用のソファも、やはりカリモク製を買うことになりそうだ。これは新しい住み家のリビングのサイズを測ってから決める。

「長女がうらやましがってるわ」

と妻女殿がおっしゃった。

「だったら、俺たちが死んだら形見に持っていけばいい」

と私が申し上げた。
長女よ、しばらく待て。いずれはその日が必ず来るのだから。


自宅に戻ってからはソファの解体に取り組んだ。妻女殿が私に相談することもなく通販でお買い上げになったろくでもない代物である。
こいつ、なにしろフカフカであった。座るとお尻がすっぽりと沈み込んでしまう。届いたソファをリビングに置き、腰を下ろした瞬間に

「何故に、このような座り心地の悪いソファをお買い上げになったのか?」

と当然の質問を発したのは私である。
妻女殿は

「いいじゃない、私が選んだんだから。フカフカの方がいいのよ」

と反論された。面倒だから放っておいた。しばらくたつとあまりソファにはお座りにならなくなった。そこで家具のホンダに出かけ、座面が固いソファを買い、妻女殿ソファの代わりにリビングに置いた。妻女殿ソファは妻女殿の寝室に居場所を変えた。

ついでだから書いておくが、この時買ったソファは、確か3万数千円の安物である。いま住んでいる家の間取りから、横幅150㎝以上のものは置けない。そんな小さなソファを自宅である横浜に持って帰っても置き場所がない。だから、桐生限定ソファとして使い捨てにする予定だったのである。
ま、安物は安物だ。人工皮革、というかビニール張りといった方が正確か、とにかくそのような材質であったため、すでに表面が剥がれ始めて惨めったらしいことこの上ない。

話を元に戻す。
昨日解体したのは、妻女殿ソファのの方である。リビングソファは新しいソファが来るまでは、惨めったらしくても新しい住居で使わねばならぬ。

で、ソファ解体作業は昼食後、妻女殿の寝室で始めた。使うのは電動鋸、電動ドリル、カッターナイフ、金槌である。
電動ドリルで木ねじを外し、あとは金槌でぶん殴ればすぐにバラバラになると思っていたのだが、敵は一枚上手だった。とにかく雑なつくりなのであちこちに補強材が打ち付けてあり、その角度が変なので金槌でたたくのが難しい。そこで電動鋸を持ち出してあちこち切るのだが、骨格はバラバラになっても生地が丈夫でなかなか裂けてくれない。やむなくカッターナイフを縦横に使って生地を切り裂いた、という次第である。

おっと、読者の皆様はお忘れになっているかも知れないが、私は腰痛持ち、神経痛患者である。まあ、神経痛の方はほぼ治ったようだが、その痛みが引いたら、今度は腰の痛みが水面上に浮上してきた。やっかいな身体なのである。
だから。肉体作業は腰と相談しながら進めることになる。

「おい、もう少し我慢できる? それとも、もうダメ?」

情事常時会話を交わさねばならぬ。が、だ。

「でも、もう少しなら頑張れるよな」

と己を過信するのも人間の常である。それに、あとこれだけやれば作業が終わる、と先が見えてくれば、どうしても多少の無理ならやってしまう。

解体してバラバラになった木くず、布くず、スポンジくずをゴミ袋に収めた私は、よっこらせ、と腰を上げた。
ん? 腰が伸びぬ! ちーとばかり無理しすぎたか?

「おい、早めに風呂を沸かしてくれ!」

かくして、引っ越し準備の1日目は夕食の時間となった。汗を流したあとのビールを楽しむ私に

「明日は食器棚を解体してもらうのと、ニトリに行くのと、2つあるからね」

と妻女殿が宣言された。

食器棚は、横浜の自宅を建てた時に買ったものである。この食器棚に合わせて家の図面を引き、ずっと使ってきた。7年半前、桐生に引っ越す際に横浜の自宅を改装したため横浜では不要になった代物だ。
が、妻女殿によると10数万円したという。ほとんどたいこ張りの材料を使ったスカスカの代物にしてはよくぞそんな価格をつけたものだ。しかし、捨てるには惜しい。ということで、いま住む家が広いこともあって桐生にまで持ってきたものである。
が、次の家は狭い。置き場所がない。それに、改装した横浜の家は作り付けの収納を増やしたため、この食器棚は行き先がない。
だから解体の対象になった。

そしてニトリ。
新しい家の間取りから、私は事務室を、私の寝室としても使う畳の8畳間にせざるを得なくなった。新しく買う事務机、使い続けるキャスター付きの椅子を置く場所がほかに見つからないのである。
だが、畳だ。そのまま机、椅子を置いては畳が傷む。だからカーペットのようなものを敷かざるを得ない。そのカーペットを見に行こうというのである。
終の棲家ではない。であれば、高級な敷物にする必要はない。機能さえあれば安物で充分。だからニトリ、なのだ。

説明が長くなった。話を戻そう。
妻女殿の宣言に、私はお答え申し上げた。

腰と相談するわ」


一夜明けて今朝。

朝からニトリに行った。適当なものが見あたらなかった。とりあえず、週明けに太田市のジョイフル本田に行ってみることにした。

戻って、食器棚の解体に取り組んだ。今度はドライバーと金槌を主な道具に、午前中だけで半分済んだ。昼食後、食器棚は完全にバラバラになり、存在を消した。いまはいくつかのグルーに分けて縛り上げられ、納屋に放り込まれている。

いや、ここでいいたいのはそんなことではない。

結構粘るジャン、我が腰!

そう、我が腰を褒めてあげたかったのである。


書き漏らしたことをいくつか。
昨日のソファ解体作業中、長く使っていた金槌が昇天した。柄から金属部分が外れ、差し込んで元に戻しても安定しない。
そこでニトリからの戻り、市内の小黒金物店に車を向けて新しい金槌を買った。ここは84歳のおじいちゃんがいまでも毎日、刃物を打つ鍛冶屋さんである。
そこで面白い人にあった。日系3世のブラジル人である。12歳で両親と日本に来て、日本語がわからないため学校に行けず、15歳からアルバイトをしながら全国を渡り歩き、何故か桐生が心底気に入って定住したという好漢だ。トラックの運転手をしながら市内川内町に土地を買った。畑にしようと思うのだが、竹がはびこって開墾がなかなか進まないらしい。そこで、小黒金物店の店頭に並ぶ切れ味鋭そうな農機具を見て、

「何か使える道具を作ってもらえないか」

と立ち寄ったのだという。
冷たい御茶を頂きながら、妻女殿も含めて4人で歓談、すっかり仲良くなった。電話番号も交換、そのうち再会することになるのだろう。

間もなく昼食というころ、あのO氏が突然顔を見せた。

「西瓜、持ってきてあげた」

O氏は毎夏、私の頭よりよほど大きい尾花沢の西瓜をくれる。仕事などでの付き合い先にお中元代わりに配るため、毎年大量に買い付けるのだそうで

「1個ぐらい、毎年余っているから」

とこの習慣がついた。西瓜好きの我が家としては実にありがたい。

といったあたりが、今日の総括である。

と書きながら、この程度のどうでもいい話に、よくお付き合いいただいているものだ、と皆様にには日頃感謝申し上げている私である。

では、また。
夏も本格化した。熱中症にはお気をつけられたい。