2016
10.25

2016年10月25日 初収入

らかす日誌

起業したといいながら、支出ばかりかさんで無収入が続いていた

Labo-d

に、本日初の収入があった。消費税込みで12万9600円。嬉し恥ずかし、独立後の私が初めて手にした事業所得である。

そうか、初めての売上げか。嬉しい。だが、だ。さて、どうやってお金を受け取ったらいいのか。

「あのね、領収書ってのがいるんだけど、どうせ持ってないよね」 

と、支払い主から領収書を1冊頂いた。 

「はい、ここに宛先、つまり私のところを書いて、そうそう、で、ここには今日の日付、金額を書くところは分かるよね。で、ここには本体価格、つまり12万円と書いて、消費税額のところには、いまの消費税率は8%だからそれを記入して、9600円と書くの。うん、で、このあたりにLabo-d、って書いて、そしてハンコね」 

手取り足取りの指導である。 

「ホントは納品・請求書がなくっちゃお金は払えないんだけど、今回はまあいいや」 

お叱りまで受ける。 

「あーっと、収入印紙もいるんだよな」 

話がそこまで来たら、たまたま一緒にいた人が 

「そう、今日が初収入なの。だったら、これ、お祝い」 

と、200円の収入印紙をくれた。皆様に生かされている私である。 

お金を頂いたのである。あだや疎かに扱ってはならない。私はその足で桐生信用金庫本町支店に走った。先日、ここにLabo-dの口座を開いておいたのだ。当初の預入額は1万円。それが初めて増える。

ATMの前に立ち、入金ボタンを押して通帳を差し込む。目の前には左側に硬貨入れ、右側に紙幣入れがある。まず開いたのは紙幣入れだ。そこに12万9000円を一気に入れる。さて、今度は硬貨入れが開く、と待ったが、開かない。開けと命じるボタンもどこにもない。 
おかしいな、どこかで操作を間違ったかな。手元にはATMから戻ってきた通帳、預入総額が13万9000円になった通帳がある。 
仕方ない。もういちどはじめからやるか。600円だけの入金になるがそれをも仕方ない。 

もういちど入金の操作を始め、通帳を差し込んだ。だが、どう見ても硬貨を入金するボタンがない。だから、硬貨入れのふたは閉じたままだ。 

「あのー」 

通帳を持って窓口にいった。 

「あそこにあるATMなんだけど、硬貨が入れられなくて困ってるんだわ。私、操作を間違ったのかな?」 

客として当然の問い合わせである。 
だが、戻ってきた答えは、意外なものだった。 

「はい、ATMでは紙幣だけしか入金できないんです。申し訳ありません」 

紙幣だけ? だって、硬貨を入れるところもあるじゃない。それなのに、どうして? 

「硬貨は、送金の時にしか使えなくなっておりまして」 

この返答、意外と思ったのは私の無知のため? ほかの人には常識なのか? 

まあ、入金できないのなら仕方がない。さて、右手に握りしめた600円はどうしよう? 窓口で入金する? でも、たった600円じゃ、窓口のお姉さんに気の毒だよな。 
というわけで、600円は小銭入れに消えた。 

たかが12万9600円である。だが、12万9600円もの金を、無芸な私が稼ぎ出したのは奇跡ともいえる。何となくお祝いをしたくなった私であった。 

でもねえ、初めて稼いだ金って、結構記憶に残るんだよね。 
思い起こせば60年ほど前、私は故郷大牟田市で新聞配達を始めた。小学校5年生の秋だった。親に甲斐性がなく、であればと始めたアルバイトだった。 

毎朝5時に起き、約90軒に朝日新聞を届ける。当然夕刊も配る。雨の日も風の日も雪の日も配る。いまと違って、その頃は日曜日も夕刊があった。新聞を配らなくてもいいのは、正月1日の夕刊と2日の朝刊、5月5日の夕刊と6日の朝刊、秋分の日の夕刊と翌日の朝刊だけ。 
毎月のように休刊日があるいまと違って、休刊日は1年に3回しかなかった。いまと違って、新聞記者が働き者だったのだろう。
もっとも、新聞記者が働くのは勝手だが、付き合わされる新聞配達はたまったものではない。こちらはまだ小学生である。朝は眠たい。放課後、友だちと遊んでいても、時間が来れば遊びの輪から離れなければならない。いとこのところに泊まりに行けるのは休刊日だけ。いま思えば、過酷な子供時代である。 
が、不思議なことに惨めな思いにはとらわれなかった。むしろ、働いていることを誇りにすら思った記憶がある。なにしろ、当時はみんなが貧しかった。みんなが貧しく、私の家庭がみんなより少し貧しいだけ、といえばよかろうか。 

ついつい昔話になったが、書きたかったのはそんなことではない。その新聞配達で初めて手にした給料の額を、いまだに記憶しているのである。 

1311円

たった1311円である。たかが1311円である。だが、自分で稼ぎ出した1311円がいかに嬉しく、誇らしかったか。夕刊の配達を終えて手にした給料袋を抱きかかえて家に飛んで返った私は、 

「ママ、1311円ももらったよ!」 

と叫びながら家に飛びこんだ。 

サラリーマンは、会社が決めた給料を月々受け取るに過ぎない。毎月、決まり事として一定の金額が私の銀行口座に振り込まれるだけである。自分の働きと振り込まれる給料の間に、本当はあるはずのつながりが感じ取れない。だから、感動もへったくれもない。 

つまり、今日の12万9600円は、私にとってはあの1311円以来のお金なのである。 

と、ここまで、誰に、何故にお金を頂いたかは書かずに来た。いまのところ、それを明らかにする気はない。桐生市内でも、「らかす」を読んでいただいている方も多いためである。 

さて、次はいつ、どこからお金が振り込まれるのか。振り込まれた総額が、いつ1億円を超えるのか。皆さん、頼みまっせー。
67歳にしての起業。楽しくないこともない。 


さて、前回公約したことに従い、昨日、鼻髭(鼻の下の無精髭、といった方が相応しいが)をそり落とした。私を見知った方にとっては、見馴れた私が戻ってきた。ご安心いただきたい。 

 
つい先ほど、デジキャスで同じ釜の飯を食った仲間から電話が来た。当時の仲間で私の卒業祝いをしてくれるという。持つべきものはよき仲間、か。 
前橋で開かれるはずだった会社の送別会はお断りした私だが、これには出る。場所は東京、日程は未定。金曜日にしてくれるよう御願いした。 
あの頃の仲間に会える。楽しみである。