2016
12.28

2016年12月28日 年の瀬

らかす日誌

早いもので、あと4つねるとお正月、になってしまった。子供たちは指折り数えて待つ。こちらは、お年玉を分捕られるのは諦めるにしても、

「また歳をとるのかよ」

と憂鬱になる。
どうしてこんなにきちんきちんと時間がたつのだろう? たまには私の時間だけが、朝から夕まで3年ぐらいかかるようなゆっくりした速度で進んでくれてもいいのではないか、と願いたくなる。指を逆に折ったら若返る? いや、指の骨が折れるだけのことだ。

それはそれとして、だ。前回の日誌で我が家のオーディオシステムに組み込まれた自作DACが、早くもブルペンに下がった。代わって、友人I君が作ってくれたDACが再びマウンドに登っている。
不具合が起きたのである。

気がついたのは昨日であった。
自作のDACで音楽が聴ける。これは至上の楽しみである。楽しみはトコトンしゃぶり尽くさねばならぬ。何しろ2万円弱の資金と貴重な私の労働力を注ぎ込んだ傑作なのだ。
ということで昨日も、音楽を聴き始めたのである。

「何だか変だなあ」

そんな違和感に捕らわれるまでに、さて、聴き始めてからどれぐらいの時間がたっていただろうか。前回、切れ込みが良くなった、などとう自慢していたのに、わずか数日でのこの変身は、私の得意技である。間違いを改めるにはばかる事なかれ。

何となく、モノラル録音の音楽を聴いているような気がしたのである。
ステレオ感というのは、右のスピーカーと左のスピーカーから違った音が出てきて、左右の耳が聞き取る事で生まれる。左右の耳が違った音を聞き取り、それが脳の中で合成されてそれぞれの楽器の位置、歌い手のたつ場所までがわかる。
だが、昨日聞いた音はどうも違った。右からも左からも同じ音が出ているような気がしたのだ。そうなるとステレオ感はなくなり、すべての音が団子状態で私の耳に達していることになる。

私はもう長い間、右耳が難聴状態である。外界の音が余り聞こえず、ために常に耳鳴りがしている。耳鳴りとは、外部の音が聞こえないないために、正常なら外界の音でマスキングされて聞こえない体内の音を聴覚が拾ってしまうことだと何かで読んだ。そのように不自由な耳を持つ私であるのに、ステレオ感の喪失は感じ取ることができるのは不思議なことである。きっと、私の右耳も完全には死んでいないのだろう。

ま、それはそれとして、このような時にはどうするか。プリアンプのバランス調整つまみをどちらかに回しきる。左に回しきれば、本来左から出るべき音が左のスピーカーから流れ、右のスピーカーは沈黙するはずである。私は、つまみを左に回しきった。

「なんじゃ、これ」

つまみを左に回しきったにもかかわらず、右のスピーカーからも音が流れている。念のために右に回しきっても、左のスピーカーが音を出している。

「ありゃ、これはいかんわ」

右の音楽信号が左の音楽情報送信系に洩れており、左も右に洩れている。これをクロストークという。クリスキットのアンプは、このクロストークが限りなくゼロに近い。右から出るべき音は右からしか出ず、左から出るべき音は左からしか出ない。クリスキットの音質を支える大切な要素である。だから、アンプのせいではない。原因は、私が作ったDACの中で、左右の音楽信号が相互に洩れあっていることしか考えられない。

そこまでは理解できる。だが、である。私は初めてDACを作ったのである。しかも、回路理論が分からないから、すべて我が師Mさんの指示に従って作業しただけである。クリスキットなら、それぞれの音楽信号の経路程度は分かるが、ICばかりと言ってもいいDAC基板の上を左右の音楽信号がどう流れているかなど、見当も付かない。
だって、音楽信号はNASに納まっている。その音楽信号がRaspberry Piに流れ、ラズパイがDACに受け渡す。このラズパイからDACへの受け渡しは同軸ケーブル1本で行われる。ということは、右の音楽信号と左の音楽信号はこの段階ではまだ分離されていない。1つにまとまった音楽信号を、右用と左用に分離するのは、DAC基板に私が取り付けたICチップのどれかの役割である。
でも、どのチップがその役割を果たしているわけ? そんなこと、俺にはわからんもんねえ。

とりあえず自作はベンチ入りした。この年の瀬に、人騒がせなヤツである。でも、どこをどうしたら正常に働くようになるのかねえ。
いまのところ、頭を抱えるしかない私である。

で、対策。

1)使われているチップの働きをネットで調べ、原因チップの特定を試みる
2)新しく買い直して作る

この程度しかない。買い直せば、キットの代金は11100円。このキットに含まれていないパーツもあるので、総額では1万5000円というところか。
あるいは、香港のDIYNHKというサイトで売っているヤツは39.5ドルと安い。これも追加のパーツが必要なようだから、6000~7000円というところか。コストは安いのだが、問題はこのサイト、すべてが英語である。私に歯がたつか。それに、写真で見ると、この基板に乗っかっているDACチップは1枚だけ。どうやら、チップ1つに2つ分の仕事をさせているらしい。作ったヤツは2枚使いなので、この安い方は音質的には劣ると思われるのである。

まあ、いずれにしても来年の課題だ。年が明けて初夢でも見ながら考えることにしよう。


昨日、市内の経営者の友人から、経営書を5冊渡された。

「私は年末年始、ゆっくりして本を読み込もうと思っています。あなたもこの本を読んでみて下さい」

それはいい。しばらくはどうせ暇で、読書は好きである。だが、渡された本の価格を見てびっくりした。1冊は1万5000円、3冊がそれぞれ9500円。残り1冊は通常の価格である。経営者とは、こんなに高い本を買う人のことなのか。
ほう、経営書とはそのように高価なものであるか。ということは、経営書を書けば金が儲かるわけか。俺も書いて金持ちになるか。
とは思うのだが、そのような資質が私にないことは万人が認める事実である。それとも、この5冊の本を読めば、そんな本が書けるようになるのか?

年明け。恐らく10日頃までは暇なはずだ。それまでにこの5冊を読みあげ、要約を作ろうと思っている私である。