2017
05.05

2017年5月5日 こどもの日

らかす日誌

である、今日は。
子供の頃、といっても新聞配達をしていた小学5年生から中学3年までの間だが、こどもの日は最も待ち遠しい日のトップ3だった。この日は、1年に3回しかない新聞休刊日だったのである。

当時新聞は、本当に毎朝毎夕出ていた。日曜日にも夕刊はあり、休刊日は年間3回だけ。元日の夕刊と2日の朝刊、こどもの日の夕刊と6日の朝刊、それに秋分の日の夕刊と翌日の朝刊である。ほかの日はすべて、朝刊と夕刊が出て、それを私たちが読者の家まで届けていた。

その頃、新聞配達は子供の仕事であった。子供だから、朝刊を配り終えて朝食を済ませると学校に行く。授業を受け、給食を食べ、昼休みには校庭に出て遊びまくる。
辛い思いをするのは放課後である。いまのように塾に通う子は少なかった。ほとんどの子供たちは授業が終わると、日がかげるまで遊び回った。野球に興じる日もある。近くの笹藪から笹だけを切り出してチャンバラで武士気取りを楽しむ日もある。
だが、新聞配達をする子供の放課後は仕事の時間である。校庭を走り回る友だちの輪から1人抜け、新聞販売所に向かう。夕刊を配る。

優しい読者が沢山いた。

「これ、用意しといたのよ」

と、夕刊を持ってくる私を待ち受けて、新聞市にくるんだ菓子を渡してくれる人がいた。
夏になれば、

「スイカば食べて行かんね」

と縁側から呼びかけてくれるおじさんがいた。
クリスマスになると

「あんたにもケーキば用意しとったけん、持って行かんね」

と渡してくれた人もいる。

嬉しかった。あれも、これも、本当に嬉しかった。新聞配達をしていなければ、人々のそんな暖かさに触れることはなかったに違いない。
でも、私が私が夕刊を配っている間、友人たちは遊んでいた。遊びをせんとや生まれけむ、の子供である。人の暖かさに触れる喜びと、遊びの仲間に入れない寂しさと、さて、どちらが大きかっただろう?

そして、こどもの日が来る。翌6日が日曜日なら、この日だけは、いとこの家に泊まりがけで遊びに行ける。指折り数えて待った。
5日にの朝刊を配り終えると、時間制限はあるものの、もう自由だ。新聞配達で稼いだ小銭を財布に入れ、朝食もそこそこにバス停に走った。いとこは柳川市に住む。柳川に行くには西鉄電車で柳川駅まで行き、再びバスでいとこの家の近くまで行くのである。

「裕ちゃんが待っとる」

特急電車の窓の外を流れる景色を眺めながら、いとことの再会を心待ちにした。

というのが、私の子供の頃の思い出にあるこどもの日である。菖蒲湯も、鯉昇りも、ちまきも、そんなものは出てこない。武者人形なんて見たこともない。でも、心待ちにする日であったことは間違いない。

啓樹、瑛汰、嵩悟、璃子、あかり。今日はこどもの日だ。お前たちが大人になった時、子供時代のこどもの日はどんな思い出として君たちに残るのだろう?

書くのが遅れたが、今年も3日、お祭りでパエリアを作った。といっても、今年は

「後進の育成」

を名目に、手抜きをした。

私も68歳が目前である。

「いつまでも肉体労働はやってられないよ」

と、日頃仲のよい若手の兄ちゃんに

「パエリアの作り方を教えてやるから、今年は君が作れ」

と仕事を押しつけたのである。
前日の2日に買い物を済ませ、3日は10時半に集合。11時から下ごしらえに入った。冷凍のエビを解凍する。鳥肉を一口大に切り分ける。イカ(今年は高いので冷凍もの。それでも1パイ300円!)を短冊に切り、ピーマン、玉ねぎ、トマトを適当な大きさに切る。絞りかけてもらうレモンは1個を8個に切り分ける。

「これ、でかすぎるわ」

「イカの短冊、もう少し細くしようよ」

今回は監督である。動かすのは口だけ。気分は最高!
のはずだったのだが、見ているとやっぱり体が動く。俺はやっぱり貧乏性か?

「んー、向こうからもうひとつまな板を持ってくるわ」

と宣言して、玉ねぎの皮を剥いて細かく切り分け、レモンを8個切りにしている時だった。

「痛てっ!」

あれまあ、また指を切ってしまった。今回は左親指の先っぽ。包丁が余りきれず、力を入れた瞬間にグサリと行った。包丁の下に何故左親指があったのかは不明のままである。
たいして血は出なかったから、絆創膏で血止めをして作業は続けた。
しかし、である。今回若手に仕事を押しつけたのは、私が楽をするためであり、私が傷つかないためであった。何しろ、この祭でパエリアを作ると、必ず血が止まらないほどの深手を負うのが恒例だったからだ。

「今回は大丈夫。絆創膏のお世話になんかならない!」

と大船に乗った気でいたのに、またしても怪我をするとは。私—パエリア—指の傷、は切っても切れない悪縁にあるのか。

今回は過去の失敗に学び、火元からパエリア鍋までの空間を大きくし、風よけのついたてを立てたので、火の加減はうまく行った。水加減も、途中で何度も水をつぎ足した過去の失敗を生かし、うまく調整したはずだったが、水を加えることはなかったものの、仕上がってみると too much アルデンテ。調理とは微妙なものである。
ために、並んでくれたお客さんには

「御免なさい。お米が少し固すぎました。ちょっと歯ごたえがあるけど、お許しを」

とお断りして食べて頂いた。

「顎が痛くなったわよ」

というクレームも予想していたが、寄って来たのは

「おじさん、おかわりしていい?」

というちびっ子。

「おう、米、固くなかったか?」

と聞くと、

美味しかったからもっと食べたくなって」

お一人様1食限り、の建前はあったが、こんな可愛い坊主は心から愛さねばならぬ。

「いいぞ、いっぱい食え!」

と思わず大盛りにしてしまった私であった。

そして今日はこどもの日。
日曜日に歯の修理(我々夫婦の年代になると、すでに「治療」ではない!)で相模原まで行かねばならないので朝から車を洗い、給油に行った。家では録画済みのBD-Rの整理に追われ、ついでに寝室兼事務室である和室を掃除した。そうそう、妻女殿の言いつけで、庭の片隅で生い茂り始めた雑草に除草剤をかけた。

ま、67歳のこどもの日とは、この程度のものか。