2017
07.07

2017年7月7日 自動運転車

らかす日誌

本日、自動運転車に乗ってきた。

自動運転車。人によってはロボット・カーと呼ぶ。また、ドライバーレス・カーという言い方もある。人間なしで、自力で走る車のことである。

群馬大学理工学部に、小木津武樹という先生がいる。自動運転の研究で最先端を行く人である。研究は最終段階を迎えており、国から9億円の補助金が出て、2020年に桐生市内で完全自動運転車を走らせることを目指している。

2020年。わずか3年先である。だから、群馬大学理工学部ではもう自動運転で走る車は一応の完成を見ている。これからの3年は、その車に磨きをかけ、市内ならどこでも、運転手なしで走れる車に仕上げるための期間だ。

桐生が、世界で初めて完全自動運転車が走る町になる。様々な波及効果があるはずだ。これから、桐生がどのように変貌していくのかを考えなくてはならない時期である。

「と思うんだけど、その完成車に試乗させてくれませんか?」

と小木津先生にお願いしたら、二つ返事で

「いいですよ」

と快諾していただいた。この機会を逃す手はない。これから支援体制を組まねばならない桐生市のお役人たち、仲良くしている企業経営者に声をかけ(だって、世界初の自動運転車の走る町で最大の経済効果を引き出すのは彼らの仕事です!)、今日は20人ほどで乗せていただいた。

完成車は、2代目のプリウスである。これにカメラやセンサー、ハンドルやブレーキを奏さすさするコンピューターなどがついている。センサーやカメラを目にし、コンピューターの指令でこの車は走る。

「では、行きましょうか」

試乗は3人ずつ。もとは自動車学校の教官だったという若い女性が運転席に座り、小木津先生が助手席を占める。我々は後部座席の乗客だ。

コースは、群馬大学理工学部一周。といってもキャンパス内ではない。ちゃんと公道を走るのである。

まず、ドライバー女史の運転で、スタート地点に向かった。目印は路側の電柱である。

「では、これから自動運転に入ります」

ドライバー女史の手がハンドルから離れ、すぐにハンドルを握れる位置に移った。これ、やってみてください。肘置きもない運転席で両手を宙に浮かすのです。わたしがやったら、すぐに肩が凝りそうな姿勢です。

スルスルと車が動き出す。女史の両手のすぐそばで、ハンドルが右に回った。なるほど、自動的にハンドルが動いて走行車線の真ん中に出た。

「アクセルを踏んでます?」

 「いえ、踏んでません」

ほう、これが自動運転か。

左カーブにさしかかる。ハンドルがくるくる回る。急カーブだと、ガクン、ガクン、というショックが来る。スムーズなハンドリングではない。
元々、プリウスは乗り心地のいい車ではない。不自然なハンドリングを指摘する専門化は多い。それにしても、これじゃあ……。

「これ、制御系をまだチューニングしていません。制御しやすいのは、まず多めにハンドルを切り、斬りすぎたと思ったら多めに戻し、という操作を繰り替えさせることなんです。これは第1号だから、とりあえず自動運転ができる、というレベルで制御しているのでこうなります。はい、間もなくスムーズにハンドルが切れるように調節しますので、心配ありません」

大きなショックは計算済みなのである。

交差点では、車が信号を見て走るか止まるかを自分で決める。信号のない交差点ではまず止まり、少しだけ前に出て、搭載したカメラで右から車が来ないかどうかを見る。安全なら動き始める。車が来たら、もちろん、通り過ぎるまで待って発進する。ウインカーも、自分で出す。人手いらずである。

試乗は約10分。自動車が、自分で判断して運転する世界を初めて体験した。

小木津さんによると、2020年には路線を動くバスやトラックでの自動運転を実現する。これは走る路線が決まっているので制御が簡単なのだそうだ。
2022年には乗用車やタクシーが、桐生市内なら自由に、目的地まで自動で走るようにする。現在位置と目的地だけを与えられて公道を自動運転するには、その程度の追加研究が必要らしい。

「そうなれば、ハンドルもアクセルもブレーキもなくなりますから、車の形がいまとはまったく違ったものになります。窓も必要なくなるでしょう。それがどんな形になるか、車内はどうなるか。いろんな夢が描けます」

2022年とは、いまから5年後、私は73歳である。たぶん、まだ生きているはずだ。ということは、自分の目で、世界で初めての完全自動運転車を見ることができる。

そうなれば、桐生にはたくさんの人がやってくるだろう。世界中から研究者が来るだろうし、ニュービジネスを立ち上げたいという人たちも来る。いまのビジネスに自動運転車をどう組み込むかを研究する大企業が事務所を構えるかもしれない。
なにしろ、その時点で、市内全域で完全自動運転が走っているのは、世界広しといえども、桐生しかないはずなのだ。

その時、桐生はどう変貌するのだろう?
これ、桐生に住み続けている私の楽しみである。

今日は、Amazonから「シャットアウトSE」という薬剤が届いた。徘徊害虫用殺虫剤、つまり虫殺しである。

「大変!」

と妻女殿がおっしゃったのは、一昨日の朝のことだった。

「私の部屋に出たのよ、ムカデが!」

実は、誰にもいわなかったが、ムカデは1ヶ月ほど前、風呂場でも出た。私の入浴中である。周りにたたきつぶす道具もなかったので、シャワーで水をかけ、その勢いで排水溝に流した。しばらく見ていたが、排水溝から這い出す様子もなかったので、多分、溺れ死んだはずである。

この事実を妻女殿のお伝えすれば大騒ぎされるに決まっている。と思い、私は黙りを決め込んでいた。
それなのに、今度は2階の寝室に、しかも妻女殿の目前で現れた。

「私、寝室変える!」

まあ、寝室を変えるのはよい。使っていない部屋がまだ2つある。だが、いまの寝室に入り込んだムカデには足がある。居間まで侵入したのなら、ほかの部屋に歩いて行くのはいともたやすいことである。
それなのに、寝室を変えることに何か意味がある?

と口頭で申し上げては、夫婦喧嘩の種をまくようなものだ。避けられない喧嘩ならやむを得ないが、避けられる喧嘩まで売っていては、何かと面倒である。

ということで一昨日、私は黙って、Amazonで検索したわけである。ムカデ、対策、を。ムカデさえ取り除けば、少なくとも喧嘩のタネの一つはなくなるのだ。

いくつか出てきた中で、とりあえずこいつにしようと決めた。これ、粉末になった薬剤を家の周りにぐるりと蒔く、とある。山の中で作業所などでも効果があった、と書き込みがあったので決めたのである。

それが今日届いた。夕刻、日差しがかげるのを待ってシャベルを使い、家の周囲に隙間なく蒔いた。これで、ムカデが外から侵入することはないはずである。

蒔き終えたら、3㎏入りの袋の底に、少し残った。

「残ったから、取っておいて」

と妻女殿に渡した。
その1時間後、パソコンに向かって作業をする私の背後に、妻女殿が立たれた。声が聞こえた。

「たったこれだけしか残ってないんだったら、どうしてみんな蒔いてしまわないのよ。ばっかみたい。頭がいいっていうけど、どこまで頭がいいんだか」

何とも、我が妻女殿は夫婦喧嘩がお好きなようである。夫婦喧嘩の面倒くささを避けようとこの薬剤を注文し、私が自分で散布して一件落着を計ったのに、このお言葉。まるで、ムカデをタネに夫婦で一戦交えなかったのがご不満だったのか。

私? 聞こえないことにした。高齢者はかようにして耳が遠くなる、あるいは耳が遠いと装うのである。

柳に雪折れなし。

それが、家庭内における我が信条である。最もこの柳、時々樫の木になりそうになるのが欠点だが。