2017
08.02

#3 : アマデウス - プロモーション映画(2004年9月10日)

シネマらかす

子供のころは歌謡曲を聴いた。中学生になってからはポピュラー音楽にどっぷり浸かった。何故かクラシック音楽は嫌いだった。

(余談)
我が記憶に残る最も古い歌は、「お富さん」である。
♪粋な黒塀 見越しの待つに あだな姿の洗い髪~~
乗り合いバスの中でも、大声を張り上げて歌っていたのだという。そういえば、かすかにそんな記憶がある。当時、3歳? 4歳?

 「はい、今日の授業はシューベルト作曲『鱒』の鑑賞です。シューベルトは18世紀から19世紀にかけての人で、歌曲の王と呼ばれる作曲家です。この『鱒』は……」

という、中学の音楽の授業が原因かも知れない。
30過ぎの、どちらかというと女性的な男性教師だった。髭の剃り跡は青々しているのに下がり気味の眉が薄く、おまけに髪の毛も薄くなりかけていた。ちょっと、可哀想だった。
当時の私は、いたずら盛りの中学生である。九州男児の卵である。
まず、ナヨっとしたスタイルがいけない。生理的に受け付けない。こちとら、男性ホルモンに満ち溢れているのである。

「だいたい男がくさ、クラシック音楽て、何か? あげな音楽ば聴くけん、ナヨナヨするごつなっとばい」

何かにつけてナヨ族を否定する。九州男児は、何よりも男らしさを大事にする。
このナヨ氏が、教師の権威に寄りかかってたくさんの生徒を教室に押し込め、無理矢理クラシック音楽なるものを聴かせて、

「はい、ここは、鱒が背鰭をキラキラさせながら川をさかのぼる様子を音楽にしたものです。目をつぶると、ピチピチした鱒の姿が目の前に浮かびますねえ」

だと!
そげなもんな、浮かばん!
笑わすっとでけんばい!

てな次第になる。権威に、権力に屈しないのも、九州男児が極めて大事にする価値観である。

「おい、先生の何か言いよらすぞ」
 
 「よかよか、どうせ面白もなか音楽ば武者んよかごつ言うとるだけやけん、聞かんちゃよか。クラシック音楽ちゅうとは、金のあって、暇のあるやっどんが、格好つけようち思うて聴くとたい。俺、眠かけん、寝っぞ」

(注)
これだけは解説が必要だろう。
武者んよか=武者ぶりがいい=格好いい
武者=武士。その姿形の良さを、格好良さの代表とするのが九州の価値観である。

 鋭敏にも、クラシック音楽に権力の臭い、の香り、非大衆=エリート階級の臭さまで感じていた。我々は、名もなく、金もなく、地位もない一般大衆の子弟の集まりだった。僻み根性が全身に充満していた。

こうして、クラシック音楽はナヨ教師、権力、金、エリート階級の象徴となる。すっかり嫌いになる。暮らしの中から排除される。

クラシック音楽は退屈である。

歌謡曲なら、いつもテレビに出てくる、同世代のあこがれの的である歌手がいた。加えて、日本語の歌詞がついているから、好きなときに自分で歌える。

「こん歌なら、あん歌手より俺ん方が上手かっちゃなかろか」

と自己満足に浸ることもできる。
クラシック音楽には、これがない。

「だいたいくさ、男が歌とるあん声はなんか? どっから出しよっとか知らんばってん、気取りくさってくさ、よーあげな声ば出すもんたい。女? 鶏の首ば絞められとるごたる声やなかか。どこん面白かつか?!」

ポピュラーなら、The Beatlesである。
マッシュルームカット、細身のパンツ、襟なしのジャケット、ハーフブーツ。彼らのスタイルは、時代を超えていた。自由の香りがあった。我々の未来であった。
明瞭なリズム、唸りまくるエレキギター、体全体から絞り出すシャウト、歌詞に込められたメッセージ。
200年も300年も前にできた楽譜を後生大事に演奏するクラシック音楽とは段違いの魅力が、彼らにはあった。

詰まるところ、クラシック音楽、NO!だったのである。

だから、クラシック音楽への目覚めには、クリスキットとの出会いを待たなければならなかった。その経緯は「とことん合理主義 – 桝谷英哉さんと私 第3回 :虜になった」をご覧いただきたい。
クリスキットと出会って、私はクラシック音楽に急速に接近する。曲がりなりにも名前を知っている作曲家のCDをあれこれと見繕う。ときにはコンサートにも足を運ぶ。

中でも、モーツアルトの音楽に魅せられた。聴いていて気持ちがいいのである。
日曜日の朝。芝生の広い庭が見渡せる我が家のリビングには、レースのカーテン越しに柔らかい初夏の日差しが注ぐ。さて、今日はモーツアルトの「ピアノコンチェルト第20番」にするか、それとも「フルートとハープのための協奏曲」か。いや、「交響曲第36番リンツ」かな。クリスキットの電源を入れて、うん、飲み物は紅茶だな。砂糖? いらないよ。それにしても、爽やかな朝だなあ。
てな感じがするのである。

(注)
ここにでてきた「我が家」は、私が理想とする我が家であって、現実の我が家とは似ても似つかぬものであることをお断りしておく。

 モーツアルトの音楽にのめり込んでいなければ、「アマデウス」との出会いなんてあり得ない話だった。

出会いとは不思議だ。モーツアルトの名前に惹かれてレンタルビデオで借りてきたこの映画に、私はすっかりはまった。私だけでなく、家族全員がはまった。子供たちは、モーツアルト役のトム・ハルスが発する摩訶不思議な笑い声を面白がっただけかも知れない。しかし、はまったのは立派である。
借りてきたビデオテープを返しては借り、返しては借り、の繰り返しが10回以上にも及んだ。この映画は、我が家のレンタル回数最高記録を保持する。
とうとうDVDを買った。2500円だった。2時間40分の長い映画である。いまは主流の1面2層方式ではなく、両面とも記録面として使われているDVDである。片面が終わるとひっくり返さなければならない。面倒なDVDである。

ために、私はこの映画を、3.5層構造物と呼ぶことにした。

1層目。

「アマデウス」の主役は、モーツアルトの音楽である。モーツアルトも、サリエリもコンスタンツェも、この映画では脇役に過ぎない。脇役の好演がモーツアルトの音楽の魅力を、いやが上にも引き立たせる。そう、こいつはモーツアルト音楽のPR映画である。

(注)
サリエリ=1788年から1824年まで、オーストリア帝国の宮廷楽長を努めた音楽家
コンスタンツェ=モーツアルトの妻

 ”Mozart! Mozart! Forgive your assassin! I confess I’m guilty! I killed you! I confess I killed you. Si, I confess! I killed you!”

陰鬱なウィーンの冬。降りしきる雪の中、映画は、叫び声で始まる。年老いた男が、体をふりしぼって出す悲痛な声だ。殺人の告白、声の主はアントニオ・サリエリ。ドアを蹴破って入ると、サリエリは血まみれだった。自ら首筋をカミソリで切ったのだ。サリエリは、あわただしく病院に運ばれる。生と死の間を彷徨うサリエリを乗せた馬車がすっぽりと雪に包まれたウィーンの夜をひた走る……。

この馬車を追い立てるように流れる音楽が、「交響曲第25番(Symphony No.25 in G minor)」である。なるほど、この荘重で、陰気で、不気味で、聴く者を不吉な思いに駆りやるこの曲を17歳で作ったとき、モーツアルトの脳裏にはこんなシーンが浮かんでいたのか。思わず納得してしまう。映像と音楽が見事に一体化しているのである。

サリエリの入院先に牧師が訪ねてくる。神の道に反する自殺を企てたサリエリを神の道の道に戻そうというのである。
サリエリは問いかける。

 ”Do you know who I am?”

牧師はサリエリを知らない。サリエリは次から次へと自作の曲をピアノで弾く。かつてはヨーロッパで最も著名な作曲家であったというサリエリの自負は、だが満足させられない。牧師は知らないのである。じゃあ、これはどうだ? 弾いた曲に、牧師は初めて反応を示す。

 ”Oh, I know that! That’s charming! I’m sorry. I didn’t know you wrote that.”

牧師は、ああ、やっとこの男と通じ合う道が開けたと浮かれたのか、思わずその曲をハミングし始める。
だが、曲はモーツアルトの「Eine Kleine Nachtmusik」だった。サリエリの曲ではない。
音楽家として長年欧州最高の地位にあった男の音楽が、まだ生存中に忘れ去られていた。なのに、30年以上も前に失意のうちに死んだモーツアルトの音楽は、いまでも生き続けている。牧師ですらハミングできるほどに。全編を貫く2人の音楽家の関係が象徴的に描かれるこのシーンにふさわしい曲は、数あるモーツアルトの曲の中でも、最もポピュラーなこの曲しかありえないのである。

まだまだある。

 ”Figaro is a bad play. It stirs up hatred between the classes. In France it has caused nothing but bitterness. My own dear sister Antoinette writes me that she is beginning to be frightened of her own people.”

との理由で「フィガロの結婚」の上演を禁じようとする皇帝ヨゼフ2世を、モーツアルトは何とか説得しようとする。彼が冒頭のシーンを説明し始めると、場面はリハーサル風景に変わる。フィガロが部屋の寸法を測りながら歌っている。軽やかで、結婚の喜びに満ちたフィガロの気持ちが伝わってくる曲だ。やがて上演の許可が出る。愚物として描かれているヨゼフ2世が心変わりしたのはこの音楽があってのことか、と肯きたくなる。

最大のイベントは映画の終わり近くにある。「レクイエム(葬送曲)」の作曲である。
定まった収入がなく、貧困にあえぐモーツアルトは、デスマスクを被った不気味な男からレクイエムの作曲を依頼される。実はサリエリのモーツアルト抹殺計画の一環であるのだが、それはどうでもいい。
レクイエムの全編はモーツアルトの頭の中ですでに完成している。だが、彼は死にかけており、目がかすむ。頭の中にある音楽を譜面に書き取れない。ベッドに横たわるモーツアルトは、サリエリの助けを借りる。
モーツアルトが、パート、パートのフレーズを口ずさんでサリエリに伝える。必死に採譜するサリエリ。

「だめだ、だめだ、早すぎる! 待ってくれ!」

まずはコーラスだ。バスが響いてテノールが重なり、第2バスーンとトロンボーンがヴォーカルと同じ旋律を奏でる。第1バスーンとトロンボーンのパートが乗り、ピアニッシモでソプラノとアルトが入って、ヴァイオリンのアルペジオ、そこにトランペットとティンパニーが加わり……。
モーツアルトがつむぎ出す1つ1つのパート、それらの重なりは、そのたびに音として我々の耳に届けられる。徐々に重厚さを加えていくレクイエム。モーツアルトの作曲の魔法を、我々は目で見、耳で聴く。圧巻である。サリエリとともにその天才にひれ伏すしかない。
こんなもん見せられたら、もう、カール・ベーム指揮の「レクイエム」のCDを買いに走るしかないんじゃないかい?

モーツアルト葬送の日は、冷たい雨だった。粗末な木製の棺に納められた遺体は馬車に乗せられた。伴う人もないまま共同墓地に運ばれ、いくつもの遺体が横たわる深い穴の中に捨てられる。彼を黄泉の国に送るのは、彼が作ったレクイエムだけだ。

どうです? 「モーツアルト音楽のプロモーション映画」って、ぴったりのキャッチだと思いません?

ところが、それだけでじゃあないところが、「アマデウス」の面白さなのだ。

2層目。

「アマデウス」は男の愛と嫉妬の物語である。男の男に対する嫉妬は、とてつもなく恐ろしいという物語である。

サリエリは並優れた音楽家だった。でなければ、35年以上にも渡って宮廷楽長を任されるはずがない。なかでも、音楽を評価する能力に秀でていた。だから、彼はモーツアルトの音楽を聴くと直ちに、その天才を理解してしまった。モーツアルトの音楽に魅せられてしまった。そして恐らく、モーツアルトを愛してしまった。
のちに、それが自分の不幸の元となることを知らずに。そして、彼は地獄を見た。

ヨゼフ2世がモーツアルトを召し、サリエリは歓迎の行進曲を作る。皇帝がその曲を弾いてモーツアルトを迎えるのだが、モーツアルトは一度聴いただけで暗譜してしまう。だけにとどまらず、

「ここはあまり面白くないあ(That really doesn’t work, does it?)」

なんていいながら、勝手に音楽を変え、より魅力的に仕上げてしまう。サリエリのプライドはズタズタである。

 OLD SALIERI: All I ever wanted was to sing to God. He gave me that longing, and then made me mute. Why? Tell me that. If He didn’t want me to praise Him with music, why implant the desire, like a lust in my body? And then deny me the talent? 
(私は神のために歌いたいと願ってきた。ヤツは私をそう願う人間にしたてておきながら、歌を歌えないオシにしちまった。何故だ? 教えてくれ。私が音楽でヤツを称えるのがいやなら、何で私に、まるで肉欲のような音楽への欲望を植え付けたんだ? その上で私の才能を否定したのはどういうことだ?)

モーツアルトの楽譜を見た。1点の書き直しの跡もない。しかもオリジナルだという。俺は、推敲に推敲を重ねて作曲しているのに、お前は何だ?
サリエリは確信した。モーツアルトは天才だ。手の届かないところにいる。神の愛を独占している。こんな奴が? お前は、女の尻を追いかけ回し、俺が惚れた女もやっちゃうし、暇があれば酒場で馬鹿な酒を飲んでるし。下種野郎じゃないか。
神を呪った。

OLD SALIERI: From now on, we are enemies. You and I. Because You choose for Your instrument a boastful, lustful, smutty, infantile boy and give me for reward only the ability to recognize the incarnation. Because You are unjust, unfair, unkind. I will block You. I swear it. I will hinder and harm Your creature on earth as far as I am possible. I will ruin Your incarnation. 
(神よ、いまから、俺たちは敵同士だ。そう、あんたと俺さ。あんたはほら吹きで、みだらで、下品で幼稚なガキを自分の楽器に選んだ。俺にくれたのはあんたの愛があのガキにあることを理解する能力だけじゃないか。あんたは、不正で、不公平で、思いやりのかけらすらない。俺は、あんたの邪魔をする。ああ、やってやるとも。俺の全能力を使って、あんたがこの地上に作り出したあいつを邪魔し、傷つる。俺はあんたの意志の顕現であるモーツアルトを滅ぼしてやる)

サリエリは神と決別した。モーツアルト殺害を決意する。愛と人格と自尊心をずたずたにされ、手の届かぬ才能に嫉妬した男の決断だった。

サリエリが街の酒場に出かけた。モーツアルトがピアノを弾いていた。

「サリエリの曲をやれって? あれは難しいんだよなあ。だって、サリエリの曲は正攻法でやらなくちゃいけないんだよ」

渋面をつくって目をつり上げ、舌を出す。サリエリの形態模写をしながらピアノを弾き始める。単調な低音部を何度も何度も繰り返す、サリエリの曲を徹底してパロディ化したものだ。おまけに、弾き終えたモーツアルトは、一発おならまでしてみせる。観客は大喜びだが、サリエリの怒りの炎はガソリンを浴びせられたように燃え上がった。

なんだってこんなヤツが。俺はこれまで4当5落の努力を積み重ねて、やっと今日の地位を掴んだ。そもそもお前は、努力って言葉を知ってるのか? ん?

モーツアルトは、サリエリの思いには一顧だにしない。そんなもの、モーツアルトにとっては何物でもなかった。何物かを感じるには、モーツアルトは天才でありすぎた。天才は、自分ができることがほかの人間にできないことが理解できない。天才とは冷酷な存在である。
サリエリの傷は皮膚を破り、肉を貫き、心臓に達するまでに深くなった。

なのに、モーツアルトの公演には欠かさず足を運んだ。モーツアルトがつむぎ出す音楽を聴かない自由は、サリエリにはなかった。サリエリはモーツアルトの音楽の囚人だった。

だから、モーツアルト抹殺計画を粛々と進めた。そして、何が残ったか。

OLD SALIERI: Your merciful God. He destroyed his own beloved rather than let a mediocrity share in the smallest part of His glory. He killed Mozart. And kept me alive to torture. 32years of torture, 32years of slowly watching myself become extinct! My music growing fainter. All the time fainter till no one plays it at all. 
(あんたの慈悲深い神さ。ヤツは、凡庸な人間にはヤツの栄光の一かけらを分け与えるよりも、一番愛した人間を滅ぼす方を選んだ。ヤツがモーツアルトを殺したんだ。そして責めさいなむために私を生かし続けた。32年間の拷問だ。私は32年間も、自分が少しずつ消え去るのを見てきたのだ! 私の音楽は影が薄くなった。毎日毎日影が薄くなって、誰も演奏しなくなったんだ)

生き地獄である。煉獄で焼かれながら、狂気に陥りながら、でも、だからサリエリは悟りを開いたのではなかったか。

OLD SALIERI: I will speak for you, Father. I speak for all mediocrities in the world. I am their champion. I am their patron saint.
(牧師さん、私が、あんたに代わって話してやろう。世界中の凡庸な者たちのために話そう。私は凡庸な者たちの頭目だ。凡庸な者たちの守護神だ)

牧師に向かって言い放ったサリエリは、車椅子に乗せられて移動する。周りは気が触れた患者ばかりである。サリエリは、彼らに向かって話しかける。

OLD SALIERI: Mediocritiies everywhere, I absolve you. I absolve you. I absolve you. I absolve you all. 
(凡人たちよ、私はお前たちを赦免しよう。放免しよう。汚名を取り除こう。お前たち全てを許そう)

このシーンで流れるのは、「ピアノ協奏曲第20番第2楽章」である。その優しい調べが、私の耳には、究極の許しの曲に聞こえる。

そして3層目

「アマデウス」は権力に挑んだ天才の物語である。
モーツアルトは怖いもの知らずである。天才とは視野狭窄症の別名であるのかも知れない。
皇帝の目前で、宮廷楽長の音楽をコケにする。
皇帝の目前で、イタリア出身の音楽家を相手に、イタリアのオペラをこきおろす。
モーツアルトのオペラを見て、一言言いたくなった皇帝が、

“Too many notes.”

というと、

「理解できません。Noteは多すぎもせず、少なすぎもせず、必要なだけしか使っていません」

と、憤然として反論する。
「フィガロの結婚」では、上演をやめさせようとする皇帝を説得し、バレー音楽を禁止していた皇帝命令も破棄させる……。
もう、やりたい放題なのだ。
あなたの近くにもいません? 実力とおぼしきものを頼んでやりたい放題の同僚や先輩? そんなヤツって、味方も作るけど、たくさんの敵を作り出しちゃいますよね。
同じことがモーツアルトにも起きた。しかも、敵は皇帝であり、宮廷楽長なのである。どう考えても、こりゃやばい。が、やばさが分からないのも、天才が天才たるゆえんである。天才であったモーツアルトは、人間社会を動かす政治には、赤子同然の能力しか持たなかったのである。
やがて皇帝の寵愛を失い、サリエリの執拗な妨害もあって収入の道も閉ざされていく。サリエリは、モーツアルトを兵糧責めにしたのである。
そして、35歳での夭逝。
天才が、権力に負けた。

でも、でも、モーツアルトは負けたのかな?
いま、ヨゼフ2世を知る人は少ない。この映画がなければ、サリエリも忘れ去られた存在に過ぎなかった。
が、モーツアルトの音楽はあらゆる場所で耳にする。私みたいなファンが、いや私以上のファンが、死後200年以上たつのに、世界中にいる。
モーツアルトは負けたのか?

そして、残りの0.5層

この映画は、のっけから自殺である。殺人の告白である。全編がこの殺人の解明にあてられる。サリエリは、どんな手を使ってモーツアルトを殺したのか? 凶器は? 動機は? ミステリー仕立ては長い映画を、長いと感じずに最後まで見続けさせる巧みな仕掛けである。
でも、ミステリーを見たければ、私なら刑事コロンボを見る。よって、これを0.5層とする。

この3.5層が複雑に絡み合い、えもいわれぬ文様を作り上げているのが、「アマデウス」なのである。

それから。
Webで「アマデウス」を検索していたら、モーツアルトの妻、コンスタンツェの胸の谷間に惹かれた、という書き込みがあった。
この書き込みに、150%の同意を表明することに、私は限りない喜びをおぼえるものである。
ほんと、よだれが出そうな素晴らしさであります。
ひょっとしたら、それがこの映画の最大の魅力だったりして……。

(蛇足)
よく考えてみると、モーツアルトと私、クリスキット以前にも、まんざら縁がなかったわけでもない。
中学校の夏休みの宿題だった。音楽でも自由研究という宿題があった。まさか
「自宅で100回、歌の練習をしました」
とレポート用紙に書いて出すわけにもいかない。
困り果てた私は学校の図書館に行き、モーツアルトの伝記を借り出した。巻末に載っている「作品一覧」を書き写すことで宿題の実行としようと考えたのである。我ながら安易な思いつきであった。
安易でも、ほかにアイデアはない。ケッヘル番号で整理したモーツアルト作品一覧を作成、2学期の冒頭に提出した。担当は中薗先生という女性であった。
義務を果たした。ただそれだけの紙の集まりのはずだった。
ところが。
誉められたのである。誉めちぎられたのである。
「こんな素晴らしいレポートを提出してくれた子は、これまでいなかった」
とまで誉め上げられたのである。
恐縮した。恐縮して、
「あのー、図書館の本ば写しただけですとばってん……」
とおずおずと申し出た。
中薗先生は意に介しなかった。
「それでいいの。書き写すだけと言ったって、あなた、600曲を超えるのよ。大変な努力よ。頭が下がるわ」
ひたすら鉛筆を動かして紙を汚していくことが、なぜこれほどまでに誉められるのか。中学生の私にはどうしても理解できなかった。中薗先生は、ひょっとしたら紙を汚すだけで大学に進める幸せな時代に生きてきた人なのかとも考えた。
それとも中薗先生は、中学生の私に対して道ならぬ恋心を抱いていたのであろうか?

 

【メモ】

アマデウス(AMADEUS)
1985年公開、上映時間160分。
監督:ミロス・フォアマン Milos Forman
出演:F・マーレイ・エイブラハム F Murray Abraham=アントニオ・サリエリ
トム・ハルス Tom Hulce=ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
エリザベス・ベリッジ Elizabeth Berridge=コンスタンツェ・モーツァルト
アイキャッチ画像は「Script」というページからお借りしました。