2017
08.25

#53 : 誓いの休暇 - 戦時下の青春譚(2005年10月14日)

シネマらかす

どんな時代にも、どんなところにも、青春ってあるものだ。豊かでも、貧しくても、平和でも、戦乱のさなかでも。
ソ連の優れた反戦映画である「誓いの休暇」を、ちょいと一皮むいてみた。ナチス・ドイツとの祖国防衛戦争のさなかに最も感じやすい時期を迎えた19歳の少年が、様々な体験をしながらまっすぐに育っていく、眩しいほどの青春譚が姿を現した。

少年はどうやって大人になるのか? 人の温かさ、優しさを知ると同時に、その優しさの陰にある悲しさ、辛さ、畏れ、どうしようもない性(さが)を知って大人になる。そして、キラキラと輝く恋を知って大人になる。
偶然一人旅をした少年が、たった6日間の間に、大人への切符を1枚1枚手に入れていく。それがおおらかなロシアの大地を背景に描かれる。

ペルミ州ソスノフカ村は、地図で見ると、カスピ海から北北東に1200kmほど離れた村である。この村で育った19歳のアリョーシャは、母1人子1人だった。いま彼はナチス・ドイツから母国を守る戦いに駆り出され、故郷から遠く離れた戦場にいる。通信兵である。
ある日、古参兵とともに偵察に出たアリョーシャは、敵戦車4両に遭遇する。古参兵は敵の機銃弾で倒れた。1人逃げまどったアリョーシャは対戦車砲が置かれた塹壕に逃げ込むと、震えながら間近に迫った戦車に砲を向け、見事に2両を破壊する。アリョーシャは英雄となった。

前線の将軍に呼び出された。褒美をくれるという。だがアリョーシャは、褒美はいらない、休暇が欲しいと申し出る。1日でも2日でも母の元に行きたい。屋根が崩れたと母の手紙に書いてあった。屋根を修理してきたい。
将軍もその取り巻きも、子供っぽいアリョーシャの申し出を温かい笑いで迎えてくれた。激戦のさなかにこの決断。おおらかな土地柄である。こうしてアリョーシャは休暇を得た。故郷は遠い。往復にそれぞれ2日、屋根の修理に2日、合計6日間の休暇である。必ず帰隊する。そう誓ったアリョーシャは、故郷に向かって駆けだした。

汽車に乗ろうと旅を急ぐアリョーシャは、前線に向かう兵士の群れに会う。中に、アリョーシャの乗換駅の近くから来たセリョージャがいた。アリョーシャは、彼が故郷に残してきた愛妻への手紙を預かる。このシーンがいい。セリョージャの仲間たちが、まるで自分の妻への愛の宅急便ででもあるかのごとく気を遣うのだ。

手紙だけじゃダメだ。何か土産を。—前線に向かう兵士が、土産になるものを持つはずがない。
いや、石鹸があるじゃないか!—石鹸は8人に1個、部隊に合計2個しかない。
曹長、1個土産にあげちまいなよ!—ダメだ、ダメだ! ま、仕方ないか。
せっかくなら2個ともやっちまいな!—絶対ダメだ! でも、お前たちがそういうのなら仕方がない。全員、石鹸抜きだぞ!

汗と土と血にまみれる前線に向かう兵士たちに、石鹸は必需品のはずだ。が、こうして石鹸なしの部隊が誕生してしまう。浮き浮きするほど温かい心を持った男たちの集団だ。

駅に着いた。アリョーシャは片足を失って除隊になった元兵士ワーシャと知り合う。荷物をアリョーシャに預けたワーシャは、電報を打ちに行く。ところが、列車の発車間際になっても戻ってこない。アリョーシャが電報局のカウンターに駆けつけると、ワーシャは帰らないと言い始めた。

 「元々不仲だった。俺が嫉妬深いから。帰らないと決めたんだ。まだ若くて美人だ。新しい幸福を見つけるさ」

恐らく、戦場では怖いもの知らずだったワーシャの心が、いま恐怖に震えている。長いこと家を空けた。妻は、愛しい妻は俺の帰りを待っていてくれるのか? 待っていてくれたにしろ、片足を失った無様な俺を嫌わないか? もしそんなことになったら、俺はどうしたらいい? いっそこのまま会わないほうが、辛い思いをしなくてすむんじゃないか……。

話を聞いた電報局の女性職員が一喝した。ダメよ、帰ってやんなきゃダメよ! あんた、さっさと帰りなさい! 促されてワーシャも汽車に乗る。すると、同乗していた兵士たちの話が、それでなくても不安に震えているワーシャの胸に突き刺さった。

男A : ある兵士が、ご婦人にこういった。水を分けてくれ。ついでに飯と今夜の寝床も。
男B : お前がいかにも使いそうな手だ。
男A : いい女だった。2度と忘れない。
男B : そうだとも。終戦になったら結婚しろ。
男A : 亭主持ちだ。
男B : そばかす面の?
男A : 間抜け顔の、だ。
男B : 亭主がいるのにお前を泊めただと?
男A :  亭主に欠陥があったのかもな。

通常なら、何のこともない猥談、身勝手な男の自慢話である。周りの人間は声を上げて笑った。だがワーシャには、とても他人事とは思えなかった。亭主持ち、間抜け顔、欠陥……。
アリョーシャは、すぐそばで聞いていた。

そして、ワーシャの目的地、ゴリソフに列車は到着した……。

ゴリソフでワーシャと別れたアリョーシャは、軍用列車に潜り込む。歩哨に賄賂として缶詰を渡して干し草を積んだ車両に揺られていたが、次の停車駅でこの車両にひっそりと乗り込んできた人影があった。若くて美しい娘だった。アリョーシャがいることに気がついた娘は悲鳴をあげ、次の停車場で降りようとする。
それはそうだろう。初めて会った男と密室の中にいるのである。正体不明の男に襲いかかられるのではないかとビクビクするのが普通である。この状態を一刻も早く終わらせたい。だが、その機会がない。
こうして、若くて健康な欲望を押し殺す男アリョーシャと、

「私は婚約者に会いに行くのよ」

といいながら、目前の若い男の獲物には絶対になるまいと警戒する若く美しい娘シューラの、2人っきりの不思議な旅が始まった。

シューラの心を開いたのは、食事だった。

アリョーシャ : 食べるか?
シューラ : お腹空いてないわ。
アリョーシャ : 遠慮するな。豚の脂身だ。
シューラ : 塩漬け?
アリョーシャ : ああ、食うだろ?
シューラ :  そうね、一口だけならいただくわ。

アリョーシャがナイフで切り分けた豚の脂身をパンに挟むと、シューラはかぶりついた。

「一口だけ」

なんてものではない。よほど腹が空いていたいのである。こうして、2人の間の緊張感が、徐々に溶け始める。

(余談)
女性との最初のきっかけは、やっぱり食い物のようですな。
「ね、今度食事しない? ちょっと美味い店を見つけたんだ」
なんてささやきが、本日も世界中で行われているはずであります。食事中の女性は警戒心のレベルがスーッと落ちます。それにアルコールでも入ろうものなら、高揚感まで生まれます。かくして……、なんて、洋の東西、体制の如何を問わず、すべての男が考えることなんですなあ。
にしても、です。ここで食べるのは、なんと「豚の脂身」! 我が国では、
「太っちゃうから」
とおおむねの女性に嫌われているものであります。私にしても、お腹の周りが気になるから、好んで食べようとは思いません。いや、それより何より、脂身だけを食べる食習慣は、我が国には見受けられないようであります。
それでなんですかね。ロシアの女性が美しいのは20歳までだ、と巷間いわれておるのは。

 アリョーシャがシューラの信頼感を獲得するには、1つの事件が必要だった。シューラが歩哨に発見されたのである。
歩哨は貨車からシューラを追い払おうとする。対するアリョーシャは断固として戦う。シューラを守りきる。もともとアリョーシャは、シューラを好ましく思っていた。そして、この事件をきっかけにシューラの気持ちも、急速にアリョーシャに接近した。
古今東西、女は自分を守ってくれる男になびくものである。

シューラ : 友情を信じる?
アリョーシャ : 戦場では友情は不可欠だよ。
シューラ : そうじゃない。若い男女の友情よ。
アリョーシャ : 友達は女の方がいい場合もある。
シューラ : 同感だけど、その友情は恋に発展するかも。
アリョーシャ : どうかな。僕も女友達はいるけど恋心はない。
シューラ : 気づいてないのよ。
アリョーシャ : 僕の気持ちは違うさ。
シューラ : 彼女は?
アリョーシャ :  まだ子供だよ。隣の家のゾイカだ。恋とは別物さ。
 シューラ :  アリョーシャ、生涯つきあえる本当の友達が欲しくない? (アリョーシャ、頷く)私もよ!実は列車に乗ったのは……
 アリョーシャ :  婚約者の見舞いだろ?
 シューラ :  違うの。
 アリョーシャ :  君は立派だ。貞節な女性だよ。
 シューラ :  何も知らないくせに。ねえ、ちょっと。
 アリョーシャ :  何だ?
 シューラ :  のどが渇かない?
 アリョーシャ :  ああ。

あまりに可愛らしい会話なので、ついつい全文書き写してしまった。アリョーシャの自分への気持ちを確かめようと必死のシューラ。シューラには婚約者がいると信じ、本心を隠して無関心を決め込むアリョーシャ。
人生って、こんなすれ違いの積み重ねかも知れない。だけど、だからこそ人生って愛おしい!

(余談)
全く言葉が分からない国の映画は楽であります。字幕を書き写せばいいんだもんなあ。

 アリョーシャが水をくみに貨車を離れている間にシューラを乗せたまま出発する列車。ヒッチハイクをして必死に列車を追いかけるアリョーシャ。次の駅まで駆けつけると、わずかの差で列車は出たあとだった。落胆するアリョーシャを、

「アリョーシャ! こっちよ!」

というシューラの声が迎える。列車を降りてアリョーシャを待っていたのだ。

すっかり溶けあった2人は、アリョーシャがセリョージャから託された手紙と石鹸を届けるため、セリョージャの妻リーザに会いに行く。何とか探し当てたのだが、様子がおかしい。招き入れられた部屋の椅子には男物の上着が掛かり、テーブルには2人分の食器が用意されている。ついには男の声まで聞こえてきた。アリョーシャはリーザから石鹸を取り上げ、セリョージャの父パヴロフを捜し出して石鹸を渡す。

妻と呼ばれる女の裏切り。これも、人の世の一断面だ。

そして、2人が別れるときが来た。シューラは告白する。

 「婚約者なんていない。実は叔母の家へ」

愛の告白だった。だが、もうアリョーシャの乗った列車は動き始めていた。飛び乗ったアリョーシャは、声の限りに叫ぶ。

「住所を聞いてない。手紙をくれ。ソスノフカ村だ!」

様々な体験を積み重ねたため、予定を大幅に遅れてしまったアリョーシャは、このあとも列車が爆撃にあい、遅れに遅れる。故郷に着いたときは、すぐに引き返さなければ部隊に遅参してしまう時刻だった。知らせを聞いて畑から駆けつけた母と、村と外の世界を結ぶ唯一の道でしっかり抱き合っただけで、母の、

「離さないわ、私のアリョーシャ!」

という声を聞く間もなく、再びトラックに飛び乗って駅に向かった。ナチス・ドイツから祖国を、母の国を守らねばならない。前線に戻らねばならない。アリョーシャは真面目な少年兵士なのである。

すくすくと成長する少年。彼を暖かく抱き留めるロシアの心温まる人たち、そして大地。話はこれでおしまいである。1人の少年兵の6日間を追いかけたこのストーリーは、反戦でもなく、戦争賛美でもない。
アリョーシャは6日間で、見違えるほど大人になった。これは、眩しいほどの青春譚なのである。

えっ、だってこれ、反戦映画じゃなかった?
そうお考えになったあなた、ありがとうございます。私の原稿をちゃんと消化していただいております。
グリゴーリ・チュフライ監督は、ほんのちょっとした工夫で、このストーリーを見事な反戦映画に仕立て上げているのである。仕掛けは、冒頭と最後にあるナレーションである。

冒頭のナレーション。

 町に通じるこの道。
 村から出て行く者も村へ帰郷を果たす者も、皆この道を通る。
 どんなに待っても、息子のアリョーシャは戦場から戻らなかった。
 ロシアを離れ、遠い地の墓標の下に葬られたのだ。
 春になると見知らぬ人が墓前に花を供える。
 彼はロシア解放の英雄、勇敢な兵士と呼ばれたが、
 彼女にとってはただの息子。彼女が知っている彼の姿は、誕生の瞬間からこの道を戦場へ去るときまでだった。
 彼は我々の戦友だ。これから私が語るのは、母親さえ知らなかった彼の物語。

そして、最後のナレーション。

 我が戦友のアリョーシャの物語はこれで終わりだ。民間人であっても農民でも、彼は立派な人間になっただろう。しかし彼は、立派なロシア兵士として永遠に我々の心に残るのだ。

 以上である。たったこれだけで、戦争の悲惨さ、残酷さ、無情さが、1人の素直な少年兵の6日間で描き出されるのである。

見事な手法に感心した。胸を打たれた。でも、私はしぶとい。打たれながら、頭のどこかで、ちょっと待てよ、とランプが明滅した。

これって、最初と最後のナレーションを少し変えるだけで、救国の英雄譚映画に、救国戦争に国民を駆り出す映画に変身しないか?
アリョーシャが命を賭して守ろうとしたもの、それはロシアの母である。大地である。大地そのもののように温かいロシアの人々である。たくさんのアリョーシャの血が、ナチス・ドイツの暴虐を打ち破ったのだ! 祖国を救ったのだ!
さあ若者たちよ、アリョーシャに続け! アメリカ帝国主義の暴虐を許すな! 救国の戦いに立ち上がれ! 祖国の未来は君らにかかっているのだ!
ってな映画にならないかなぁ……。

ソ連で圧政をひいたスターリンは1953年に死に、スターリン批判で世界に衝撃を与え、東西の雪解けを図ったフルシチョフが党第一書記と首相を兼ねて全権を握った。この映画が作られた1959年もフルシチョフ時代である。
とはいえ、彼は決して単純な平和主義者ではない。1956年にはハンガリーの民衆暴動を武力で鎮圧、1962年にはアメリカののどもとにあるキューバに核ミサイルを配置しようとした。世界は米ソの核戦争の危機に震えた。歴史上の事実である。
そもそもソ連はプロレタリアート独裁を唱える国家であった。国の力が何ものにも勝る体制を敷き、アメリカを盟主とする西側世界と、肌がちくちくするような緊張関係を続けた。
東西関係が一触即発の状態にあった時代、反戦映画を自由に作れる環境がソ連にあったのだろうか? 映画が、国家の監視のもとにあるのはあたりまえの国だったのだ。

そこで推測する。グリゴーリ・チュフライ監督は、国家権力との距離を慎重に測ったのではないか。
ちょっと、君、これはまずいんでねえの?
なんていわれたら一部だけ撮り直し、いや、場合によってはナレーションだけを変え、まったく違った性格の映画に仕立て上げよう。そんなしたたかな計算があったのではないか?
というのは深読みのしすぎかなあ……。

という具合に、
善良なアリョーシャの成長を見守るもよし、
反戦映画として胸を熱くするのもよし、
美しいロシア娘シューラに陶然とするのもよし、
深読みしてしまうのもよし、
様々な楽しみ方ができるお勧めの映画であります。

そうそう、村と外の世界をつなぐのは、草原を割って走る1本の道だけ、というのは、あの映画を思い出しません?
私は、「初恋のきた道」をダブらせてしまいました。シューラの可愛らしさとチャン・ツィイー(章子怡)の息をのむような美しさが二重写しになりました。
ひょっとして、チャン・イーモウ(張藝謀)監督、この映画を見ていたのかなあ……。

【メモ】
誓いの休暇 (BALLADA O SOLDATE)
1960年11月公開、上映時間88分
監督:グリゴーリ・チュフライ Grigori Chukrai
出演:ウラジミール・イワショフ Vladimir Ivashov = アリョーシャ
ジャンナ・プロホレンコ Shanna Prokhorenko = シューラ
アントニーナ・マクシーモア Antonina Maximova = アリョーシャの母
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