2017
08.28

#60 : クール・ランニング - 負けっぷり爽やか(2005年12月2日)

シネマらかす

名古屋で単身生活をしていたときのことだ。新聞広告で見た瞬間から心が騒いだ。

ボブスレー? ジャマイカ? なんでそんな組み合わせが……?」

雪をカチカチに固めた溝の中を、鋼鉄製のそりに乗って時速130kmにも及ぶスピードで滑り落ちるボブスレーは、当然のことながら大量の雪がなければ実行不可能なスポーツである。斜面さえあればいくらでも楽しめる草スキーとは訳が違う。
一方ジャマイカは、カリブ海に浮かぶ常夏の島である。「グルメに行くばい! 第44回 :番外編10 グランド・ケイマンと亀」でご紹介したケイマン諸島の南東に浮かぶ。足を運んだことはない。が、既知の島のそばである。何となくご町内の気分がする。
いや、それはいいが、そもそもジャマイカに雪が降るか? 地球が寒冷期、氷河期に入れば別だが、今のところ、一部の人が騒いでいるのは地球の温暖化である。残念ながら、ジャマイカに雪が降りそうな兆しは、当分ない。
なのに、ジャマイカ人がボブスレー?

「こいつは見ざるを得まい」

週末、1人映画館まで足を運んだ。日頃の運動不足を解消すべく、往復ともにテクテク歩いたことはいうまでもない。どうでもいいが、私は健康に死にたいのである。

クール・ランニング」は、期待を上回る快作だった。なんと、実話を元にしたスポーツ映画であった。不可能を可能に変えた男たちの物語であった。
私が5人目のThe Beatlesを目指した努力の日々、あるいはチャン・ツィーイー、キャサリン・セタ=ジョーンズをまとめて愛人にしようと手練手管を駆使した日々を映画化した作品に例えたらよかろうか。
私の場合は、不可能が不可能のままであるという違いはあるが。

デリースは、ジャマイカが誇る短距離ランナーである。100mのタイムは10秒を切り、1988年のソウルオリンピック出場の最有力候補だ。父のベンは20年前のオリンピックで、200mの金メダリスト。血は争えないというところか。
最終選考会の日。自信満々でレースに臨んだデリースを、とんだハプニングが見舞う。途中まで先頭グループで走っていたのだが、隣のコースのランナーが転倒、巻き込まれてデリースともう1人がこけてしまったのだ。オリンピック出場の夢が消えた。

デリースは納得できない。再レースをジャマイカオリンピック委員会に掛けあいに行く。だが、そんなことが実現するはずもない。諦めて帰りかけたとき、壁に掛けられた写真が目に入った。父が、見知らぬ男と写っていた。聞くと、その男はアメリカのボブスレー選手で、かつて父をスカウトに来たのだという。

 “He had some theory about using track sprinter to push the bobsled. Ridiculous thing like that. Can you imagine a Jamaican bobsledder?”
(ヤツは1つの理論を持っていた。陸上競技のスプリンターにボブスレーを押させるというんだ。そんなばかばかしいヤツだ。ジャマイカ人のボブスレー選手なんて想像できるか?)

しかも、この男アーヴは、ジャマイカに住み込んでいるというではないか。
オリンピック委員がいったこの一言が、デリースの人生を変えた。俺はカローラではないが、スプリンターだ。よし、冬季オリンピックならまだチャンスがある。俺はボブスレー選手になってオリンピックに出る。だが、

 “Oh, just one more thing. What’s the bobsled?
(ああ、すみません。もう一つだけ聞きたいんだけど、ボブスレーって何ですか?)

カルガリーの冬季オリンピックまであと3ヶ月と迫った1987年11月のことだった。3ヶ月? おいおい、頭は大丈夫か?

デリースは、親友のサンカを誘った。サンカは、ジャマイカの手押し車レース(Annual Pushcart Derby)で6年連続優勝した、ジャマイカが誇る名ドライバーなのだ。ボブスレーには、優秀なドライバーが不可欠だ。

2人はアーヴにコーチ就任を頼みにいく。だが、かつて2度も金メダルに輝いたことがあるアーヴは、いまや廃人同様だった。体は醜く太り、賭の胴元になって暮らしを立てる日々。かつての情熱も失ったのか、にべもない返事しかよこさない。が、アーヴに逃げられたのでは、オリンピックの夢が雲散霧消してしまう。なにしろ、ボブスレーなんて見たこともないのだ。
こんな時は、格好良く決めるに限る。

デリース:  Look, Mr. Blizer. I am your chance. Take it!
(ブリッツァーさん、僕があなたのチャンスですよ。賭けてみませんか)

クーッ、痺れる! アーヴも痺れた。
3人は、残りの2人を募る。4人乗りのボブスレーに出場するのだ。紆余曲折の末、仲間に加わったのは、100m選考会のレースでデリースとともに転倒した2人だった。先にこけたジュニア・ベヴィル、デリースと、同じようにジュニアの隣を走っていたユル・ブレナーである。オリンピック100m失格組が、かくしてボブスレー競技出場を目指す仲間となる。

しかし、彼らは雪など見たことがない。触ったこともない。氷に乗ったことはない。氷の上を歩いたこともない。そもそも、ボブスレーがどんな競技か知らない。ボブスレーのそりに乗ったこともない。しかも、オリンピックまで、あとわずか3ヶ月。4人は、無事にカルガリーの地を踏めるのか……?

そんなもん、無理だって! 4人がオリンピックに出たら、ヘソが茶を沸かすって!!
と考えるのが、常識ってものである。ところが何と、4人は立派にカルガリーの地を踏み、その地で初めて見る雪、氷、ボブスレーのそり、それにマイナス25度の強烈な寒さにもかかわらず、予選を突破、一時は優勝候補にまで擬せられるのである。

ウソー!

と叫びたくなる、でも実話に基づいたストーリーが、観客を抱腹絶倒させながら、レゲエの快調なリズムに乗って進む。ついには、観客の涙まで誘ってしまう。いやあ、とんでもない、面白映画なのだ。

その面白さ具合は、ご自分の目と耳で確かめていただくとして、この映画、スポーツものとしてはずしてはいけないツボもちゃんと押さえている。

ジュニア・ベヴィルは極度のファザコンお兄ちゃんである。もう立派な大人になったというのに、親父 = シニア・ベヴィルに頭が上がらない。100mのオリンピック予選でこけるとすぐ、ジュニアはマイアミにある証券会社への就職を命じられる。いつまで馬鹿なことを続けるつもりだ、とシニアが勝手に決めてきたものだ。ジュニアは親父には逆らえない。
冬季オリンピックへの出場は、だから内緒だった。知られないままオリンピックに出て、素知らぬ顔でシニアの元に戻るつもりだった。ところが、ふとしたことでシニアにばれる。ばれたばかりか、シニアがカルガリーの選手村の部屋まで押しかけてくるのである。

シニア:  Junior. Now you listen to me, boy. You are coming home.
 I’ll wait in the lobby
(ジュニア、私に言うことを聞くんだ。お前はこれから家に戻る。私はロビーで待っているからな)

シニアの命令には逆らったことがないジュニアである。シニアは、それだけいうとエレベーターに乗り込んだ。ロビーに降りるのだ。しばらく待てばジュニアは荷物をまとめてやってくる。その足でジャマイカに帰ろう。何の疑いも持たなかった。
エレベーターのドアが閉じてしまう直前だった。突然腕が差し込まれ、しまりかけたドアを押し戻した。ジュニアである。

ジュニア: Father, when you look at me, what do you see?
(お父さん、僕を見ると何が見える?)
シニア: I don’t have time for games, junior.
(息子よ、私は遊びに付き合う暇はない)
ジュニア: Tell me what you see! Please!!
(何が見えるかいってよ! お願いだから!!)
シニア: All right. I will tell you what I see. I see a lost little boy who is lucky to have a father who knows what’s best for him.
(わかった。じゃあいおう。私には、どうしたらいいのか分からずにうろうろしている小さな子供が見える。幸いにも、その子の父は、何がその子にとって最もいいか分かっているのだ)
ジュニア:  No. You don’t know what’s best for me, father. I am not a lost little boy, father. I am a man and I am an Olympian. I’m staying right here!
(違う。お父さんは、僕にとって何が一番いいかなんて知らない。僕はどうしたらいいのか分からずにうろうろしている小さな子供じゃない。僕は男だ。オリンピック選手だ。僕はここに残る!)

思いの丈をぶちまけて、ジュニアはエレベーターのドアから手を離す。ドアが閉まる。成功者の父にコンプレックスを抱き続けてきた子の、親離れ、自立宣言である。

I am a man and I am an Olympian.

いよっ、兄ちゃん、男の子だねえ。格好いいよ、立派だよ。と思わず観客席から声をかけたくなる決め台詞ではないか。

今ひとつ、是非とも書きとどめておきたいシーンがある。ボブスレー決勝の最終日を前にした夜、デリースとアーヴコーチの間でかわされる会話である。アーヴは16年前、自分のボブスレーに重りを仕込んだために失格になった過去があった。デリースは、薄々ながらその事実に気がついていたのである。

デリース: Hey, coach.
(コーチ)
アーヴ: Yeah
(ん?)
デリース: I’ve got a question
(聞きたいことがある)
アーヴ: Sure
(いいとも)
デリース: But you don’t have to answer if you don’t want to. I mean…, I want you to, but if you can’t, I understand.
(でも、もしいやだったら答えなくてもいい。つまり……、答えて欲しいけど、もし答えられなくてもかまわない)
アーヴ: You wanna know why I cheated, right?
(私が不正をした件だろう?)
デリース: Yes, I do.
(そうです)
アーヴ: That’s a fair question. It’s quite simple, really. I had to win. You see, Derice, I’d made winning my whole life. And if you wanna make winning your whole life, just keep on winning. No matter what. You understand that?
(当然の質問だな。簡単なことだ。勝たねばならなかった。デリース、それまで俺は勝ち続けてきた。ずっと勝ち続けようとすると、勝ち続けるしかなくなる。何としてでも、だ。分かったかな?)
デリース: No, I don’t understand, coach. You had two gold medals. You had it all.
(分かりません。あなたは金メダルを2つもとった。それでいいじゃない)
アーヴ:  Derice, a gold medal is a wonderful thing. But if you’ll have not enough without it, you’ll never be enough with it.
(デリース、金メダルは素晴らしい。でも、金メダルなしでは満足できない人間でいると、金メダルをとっても満足できなくなる)
 デリース:  Hey, coach, how would I know I’m enough?
(コーチ、僕が満足できる人間かどうか、どうやったら分かるんです?)
アーヴ: When you cross the finish line, you’ll know.
(ゴールラインを越えたとき、きっと分かる)

私製の翻訳がやや拙い感じはするが、いやあ、しびれます。全体はコメディタッチなのだが、決めるときは決まる台詞をびしっと挟む。こんな台詞があって見事な伏線をなす。だから最後に、優勝を逃したデリース、サンカ、ユル、ジュニアの4人が、

I am enough!

という、言葉ではない、体全部を使って誇りと喜びを表現するシーンが、涙腺を緩ませるのである。
そう、オリンピックの目的は勝つことではない、参加することだ! というオリンピック精神を高らかに歌い上げる映画なのである。

さて、まっすぐなものをまっすぐに見る能力に欠けている私は、いつものように、ここで考える。
彼らが、カルガリー冬季オリンピックのボブスレー競技で、晴れの優勝台に立っていたら?  映画の中では、アナウンサー、解説者がジャマイカチームを優勝候補の一角に挙げていた。決してあり得なかった過去ではない。
「クール・ランニング」はどんな映画になっていた?

(解答その1)
常夏の島ジャマイカと、冬季オリンピックというミスマッチを利用した単なるコメディ映画となった。

(解答その2)
常夏の島ジャマイカの、ズブの素人4人が、わずか3ヶ月の準備期間で優勝台に立つという、ボブスレー競技の底の浅さを嘲笑う、あるいはこのようなスポーツがオリンピック種目として相応しいのかどうかを問題提起する映画となった。

(解答その3)
スポ根ものと、素人を3ヶ月でオリンピック優勝者にする秘訣 = ノウハウものを組み合わせた映画となり、全世界のアスリートたちのバイブルとなった。

(解答その4)
わずか3ヶ月の準備で世界の頂点に立った4人は、すっかり勘違いして思い上がり、世の中を舐めてしまった。ために、凱旋した故郷において問題行動を繰り返した。2年後、1人は酒場での喧嘩で落命し、2人は強姦、傷害などの罪で服役中。残る1人が、ジャマイカボブスレー連盟の会長となり、ジャマイカ初の優勝チーム作りを目指して奮戦している。

いずれのケースも、たいした感動は帯びそうにない。

誰の目に不可能だと思われたことに挑戦し、優秀なコーチの理論に従って短期集中練習をこなし、世界の水準まで到達した。その上で、爽やかな負けっぷりを見せてくれたから、この映画は記憶に残る1本になったのである。
あわせて、大の男4人がそりを押し、飛び乗り、あとはただそりに乗って猛スピードで滑り降りるだけとも見えるボブスレーという競技が、実は極めて奥が深いスポーツであることも示してくれたのだ。

映画の最後に出てくる字幕は語る。

 The Jamaican bobsled team returned to their country as heroes. Four years later, they returned to the Olympics-as equals.
(ジャマイカのボブスレーチームは、英雄として帰国した。4年後、彼らは再びオリンピックに戻ってきた。堂々と)

ただし、1992年、アルベールビルで開かれた冬季オリンピックでは、パッとしなかったらしい。1998年の長野大会ではジャマイカチームは人気を博したが、21位の成績に終わった。
いつかジャマイカチームが金メダルを獲得する日が来るのだろうか? もし来れば、もともと陽気なジャマイカである。島中がレゲエのリズムと踊りで埋め尽くされるに違いない。

そんなニュース映像を見てみたいものだ。

【メモ】
クール・ランニング (COOL RUNNINGS)
1994年2月公開、上映時間98分
監督:ジョン・タートルトーブ Jon Turteltaub
出演:レオン Leon = デリース・バノック
ダグ・E・ダグ Doug E. Doug = サンカ
ラウル・D・ルイス Rawle D. Lewis = ジュニア・ベヴィル
マリク・ヨバ Malik Yoba = ユル・ブレナー
ジョン・キャンディ John Candy = アーヴ
アイキャッチ画像の版権はブエナ・ビスタにあります。お借りしました。