2017
09.02

#71 素晴らしき哉、人生! ― 私の人生も素晴らしいか?(2006年11月2日)

シネマらかす

「シネマらかす」はかつて、「シネマ・アンドレ」といった。デジタル・キャスト・インターナショナルのホームページ上で2004年10月に掲載を始め、今年(=2006年)3月からは舞台を「らかす」に移してタイトルを変更、書き継いできた。最近は新作発表のペースが落ちてきたが、合計すると、今回が71本目である。これでも、我が家に蓄積されている映画の20分の1にも満たない。当分続く。はずだ。

映画を書くと決めた時、1つだけ戒めを設けた。これまで目にしたことのない、私独自の角度で映画の魅力を読み解く。映画を取り上げた文章は星の数ほどある。その上に、あえて屋上屋を重ねる営みをする。ほかの筆者と同じ目線で映画を紹介しても仕方がない。
そして、貫いてきた。と自分では信じている。

今回は、その戒めを解く。「素晴らしき哉、人生!」という心温まる作品は、どう考えても独自のアプローチを許してくれない。この作品の魅力は、多くの人々が書いているように、主人公のジョージ・ベイリーが、「(世の中)−(自分)」の世界を体験してしまうという奇想天外なアイデアにある。そうではない読み解き方をいろいろ考えた。しかし、やっぱり、この1本道に戻ってしまう。
さて、同じ道を辿りながら、屋上屋にならずに済むのかどうか……。

大学入学を控えたジョージには夢があった。入学前に世界旅行をする。大学では建築学を学び、この小さな田舎町、ベドフォード・フォールズを離れて建築家になる。新しいビルを設計し、空港を作り、近代的な都市を計画する。

計画に従って海外旅行に出発する直前だった。住宅金融組合を経営する父が心臓発作で倒れ、そのまま他界する。突然の不幸で、世界一周の夢は諦めた。それでも、建築家にはなれる。世界旅行はその後でもいい。ジョージはどこまでも楽観的だった。

(注)
住宅金融組合=英語ではBuilding & Loan Association。日本には同種の組織がなさそうでよく分からないが、加入者は一定の金額を積み立て、その見返りとして住宅ローンを借りることができるらしい。

 その希望も、すぐにジョージは捨てなければならなくなる。
銀行や不動産業を営み、町一番の金持ちであるハリー・ポッターは、ジョージの父と住宅金融組合を嫌っていた。貧乏人は敗者だ。ヤツらは金を生まない。情けをかけるのは無駄の極みである。なのに、ジョージの父は住宅金融組合で低利の住宅融資をし、貧乏人が家を持つのを助けている。無駄なばかりではない。貧乏人の支持を集めるヤツは、俺がこの町を支配する妨げだ。 貧乏人に町を乗っ取らせてはならない!
ジョージの父亡き後の組合をどうするかを話し合う役員会で、組合の株主でもあるポッターは、組合の解散を求めた。経営者の死は、この組合をたたきつぶす絶好の好機である。

ヤツは理想とやらを掲げた阿呆だった。ビジネスができる男ではない。だから死んだんだ。
役員会の席上で口を極めて父を罵るポッターに、ジョージの我慢の糸がぷつりと切れる。

“Do you know how long it takes a working man to save five thousand dollars? Just remember this, Mr. Potter, that this rabble you’re talking about. They do most of the working and paying and living and dying in this community. Well, is it too much to have them work and pay and live and die in a couple of decent rooms and a bath? Anyway, my father didn’t think so. People were human beings to him, but to you, a warped frustrated old man, they’re cattle. Well, in my book, he died a much richer man than you’ll never be.”
(労働者が5000ドル貯めるのにどれほど時間がかかるか、あんたは分かるか? ポッターさん、あんたが話題にしている連中のことをちゃんと記憶しておいてくれ。彼らはこの国で働き、金を払い、生活をし、死ぬんだ。まずまずの部屋と風呂がある家に住まわせて働かせ、金を払わせ、生活をさせ、死なせてやるのは欲張りすぎなのか? いずれにしても、私の父はそう考えなかった。父にとって、彼らは人間だった。でも、ひねくれた欲求不満のあんたという老いぼれにとっては、彼らは家畜だ。私にいわせれば、父はあんたの手が届かないほど豊かな人間として死んだんだ)

 胸のすく大演説である。この演説がジョージの運命を決めた。役員会で組合の存続が決まったが、条件があった。ジョージが父の跡を継ぐことである。
やむなく、ジョージは運命を受け入れた。なーに、弟のハリーが大学に進学して戻ってくるまでの辛抱だ。戻ってきたら弟に仕事を任せ、それから僕が大学に進めばいい。

ジョージは父譲りの優しい男だった。貧しい人たちのため、懸命に住宅金融組合を切り盛りする。弟が帰ってくるまでだ。帰ってきたら大学で建築学を勉強できる。

できなかった。
久しぶりに帰省したハリーは、妻を連れていた。彼女の父に見込まれ、ガラス工場を継ぐ意志を固めていた。ジョージはベドフォード・フォールズを離れられなくなった。人生、叶わぬ夢もある。

やがてジョージも、幼なじみのメアリーと結婚する。
結婚式の日だった。町は金融恐慌に伴う取り付け騒ぎに襲われ、住宅金融組合も巻き込まれた。新婚旅行に出ようと車で組合の前を通りかかったジョージは、寄り集まった人々を見て車を飛び降りた。
組合員は貧しい人ばかりである。銀行が預金の引き出しを停止したため、生活資金に困って組合に積み立てた住宅資金を取り崩そうと押しかけていた。が、組合は預かった金は運用に回している。店舗に現金はない。それを見越してポッターは、組合員に預金1ドルを50セントで買い取ろうと提案する。どうしても現金が必要な組合員の弱みにつけ込み、組合を乗っ取る狙いだった。
組合の存続は風前の灯火である。

その時だった。メアリーがハンドバッグから現金を掴みだした。新婚旅行資金の2000ドルである。ほら、お金はあるわ!
皆さん、住宅資金を解約する必要はありません。いま解約すると不利です。その代わりに、この金をお貸しします。お金ができたら返してください。
1人1人が当面必要な額を申し出た。全員が組合を去った。手元に2ドル残った。新婚旅行は消えたが組合は生き残り、ジョージは貧しい人々の救いの神となった。

4人の子供ができた。住宅金融組合の仕事がジョージを豊かにすることはなかったが、順調だった。貧しい人たちが、小さいけれど素敵な家を持つお手伝いをする。いつしかジョージは、仕事に生き甲斐を感じるようになった。

幸福の裏側には不幸というヤツがぴったりと張り付いている。ジョージの運命が反転したのは、幸福の絶頂期だった。
第2次世界大戦に従軍していた弟ハリーが戦功をたて、名誉勲章(Congressional Medal of Honor)を得て中佐に昇進した。そのハリーが、久しぶりに町に戻ってくることになった。1945年のクリスマスイブのことだ。
その日、町の新聞は1面トップで英雄の凱旋を報じた。ジョージも、一緒に組合を経営する伯父のベリーも有頂天だった。浮かれた気分が隙を作った。銀行に組合の資金8000ドルを預けに言ったベリーが、その金をなくしてしまったのである。
いや、たまたま銀行に入ってきたポッターにその新聞を見せびらかし、ジョージが戦争に行っていたら、勲章2個は硬かった、

“After all, Potter, some people like George had to stay at home. Not every heel is in Germany and Japan.”
(つまりだな、ポッター、ジョージのような人間はここに残るしかなかったんだ。下種っってヤツは、ドイツと日本にだけにいるんじゃないからな)

 と啖呵を切り、カッとしたポッターに新聞を奪い取られた。8000ドルを入れた封筒が、その新聞に挟まっていたのである。

8000ドルがなければ、組合は倒産する。ジョージもハリーも必死で探した。だが2人は、8000ドル入りの封筒を見つけたポッターが、組合をたたきつぶすチャンスが飛び込んできたとほくそ笑んでいることには思いも及ばなかった。

絶望したジョージは自殺を思い立つ。1万5000ドルの生命保険に入っていたからだ。俺の人生は1万5000ドルぽっちの価値もない。死んで1万5000ドルに成り代わった方がみんな幸せになる。

(考察)
お金の価値は時代とともに変わるので、ジョージを追いつめた8000ドルがどの程度の金額だったのか、今ひとつピンと来ない。いまの為替で換算すれば100万円足らずにすぎず、そんな金額で自殺をする人は希だろう。
手がかりになるのは、生命保険金の1万5000ドルである。私が加入している生命保険の保険金額は3000万円。その程度の生命保険に入っていたとすると、8000ドルは1600万円に相当する。ジョージは事業の責任者だから、1億円の保険に入っていたとしても5300万円。
ジョージの住宅金融組合は、その程度の金で経営が行き詰まる弱小企業である。

 降りしきる雪の中、橋上から川に身を投げようとしたときだった。何者かが先に川に落ち、

“Help!”

と大声で叫び始めた。ジョージは自分が自殺しようとしていたことも忘れて川に飛び込み、この初老の男を助ける。それが、ジョージ救済のために派遣された、まだ翼を持たない2級天使のクラレンスとの出会いだった。

私は君を救うために遣わされた天使だと名乗るクラレンスは、自殺を思いとどまるようジョージを説得する。だが、自分は天使だ、なんていう老いぼれを信用できるか? それに、ジョージの決意は固いのだ。 ジョージはつぶやく。

“I suppose it’d been better if I’d never been born.”
(きっと、僕なんか生まれてこなけりゃあよかったんだ)

 その瞬間、クラレンスが閃いた。

“You’ve got your wish. You’ve never been born.”
(願いを叶えてやろう。君は生まれてこなかったんだ)

 こうしてジョージは、自分が生まれなかった世界を体験することになる。それは……。

唐突だが、ダシを単体で味わった経験がおありだろうか? 使うのは煮干しでも昆布でも鰹節でも、なんでもかまわない。そいつを小さじですくって嘗めてみる。どんな味がします? 素材の味は感じられるが、まあ、何とも情けない味がしなかっただろうか? ペットボトルに入れて冷蔵庫に保管されているヤツを、ほかの何かと間違えて飲もうとしたら吐き出してしまわないだろうか?

(余談)
私は名古屋での単身赴任時代、毎朝のみそ汁のため、1週間分のダシをペットボトルで冷蔵庫に保管していた。幸い、ほかの何かと間違えて飲むことはなかったが。詳しいことは、「グルメらかす グルメに行くばい! 第21回 :根菜の煮物」をご覧いただきたい。

 ところが、である。ダシを取らずにみそ汁を作ったらどうなるか? 近頃では、そんな作り方をして平然としている若い娘さんがいるらしいが、味噌を湯に溶かしただけの代物である。何とも頼りない味で、こんなもの、2度と飲みたくないというものになる。
ちょいと見ただけでは、全くの役立たずとしか思えなかったダシが、みそ汁の味の決め手なのだ。

人間だって、人生だってそうなんだよ。いまの世の中から、役立たずにしか見えないお前を引き去ってごらん。どんなに味気ない世の中になるか。

その味気ない世の中を、ジョージは自分の目で見る。

愛妻メアリーは、行き遅れの中年女だ。公立図書館に勤め、野暮ったい服装、さえない表情は男から見向きもされない。ジョージとの間にできたはずの、かわいい4人の子供たちも、もちろんいない。

それだけではない。

ジョージがいない町は、ポッターの帝国である。ベドフォード・フォールズといったはずの町名さえ、ポッターズ・ヴィルと変わっている。中心街はバーやホテル、ナイトクラブ、カジノが建ち並ぶ盛り場に変身し、ジョージの住宅金融組合があるはずの場所は、けばけばしいネオンサインに飾られたダンスホールだ。 享楽と退廃と金の町である。

ジョージが子供の頃アルバイトをしていたドラッグストアの経営者、ガウアーさんは落ちぶれ果てていた。子供を毒殺した罪で20年の懲役刑をくらい、出所したばかりなのだ。ジョージがいた世界では、配達しろと言われたジョージが間違いに気づき、おかげでガウアーさんは罪を犯すこともなく、店は繁盛していたのに。

ジョージが、貧しい人たちのために開発した住宅地、ベイリー・パークは墓場だった。あんたのおかげで家が持てたと喜んでいた人たちの姿はもちろんない。
そしてジョージは、一つの墓石に目をとめる。戦争の英雄だったはずの弟、ハリーの墓だ。9歳で死んでいた。確かに9歳のハリーは、そり滑りをしていて氷の割れ目に落ちた。でも、一緒にいた僕が助けたはずなのに……。

呆然とするジョージに、2級天使クラレンスはいう。

“ Strange isn’t it? Each man’s life touches so many other lives.”
(不思議かね? すべての人生がたくさんの人生と触れあってるんだよ)

 いいかね、もし君が生まれてこなかったとしたら、周りの人たちの人生はこんなになっていたんだよ。生まれてこなければよかったと君は言ったけどね。

そのときジョージを襲ったのは絶望だろうか? 後悔だろうか? それとも、世界旅行の夢も、大学を出て建築家になる夢も諦めて田舎町で生きてきた人生への愛おしさだったろうか? あるいは、これ以外は許されなかった自分での生き方への自信と確信か?

川に飛び込もうとした場所まで駆け戻ったジョージは、必死の思いで祈った。

“I wanna live again. Please God, let me live again!”
(もう一度生きたい。神様、もう一度生きさせてください!)

 あとはハッピーエンドを待つだけだが、フランク・キャプラ監督は自分の思いを、使命を終えて天に帰った2級天使クラレンスがジョージに残したメッセージに語らせる。

“Dear George
Remember no man is a failure who has friends.
Thanks for wings!
Love
Clarence”
(親愛なるジョージ
覚えておきなさい。友人がいる人は決して失敗作ではない。
翼をありがとう。
愛を込めて
クラレンス)

 自分が生まれなかった世界を生きる。初めて、自分の人生の重みが見える。そうか、取るに足りないと思っていた俺の人生って、こんなに大切なものだったのか。生きるって素晴らしい! 私も、あなたも、彼も彼女も、生きて行かなきゃ!
フランク・キャプラ監督は、自分が生まれなかった世界を生きるという虚構を映像化して、人間賛歌、人生賛歌を歌い上げた。

というのが、一般的な受け取り方のようである。異議はまったくない。私も虚構ということは十分以上に承知しつつ、目を潤ませた1人である。

だが、というのが私の悪い癖だ。今回も、悪い癖が蠢き始めた。

観客の皆さん、あなたの人生もジョージの人生と同じです。掛け替えがないのです。素晴らしいのです。小さな不幸にくよくよするのはやめようじゃありませんか。前向きに、そう、自信を持って生きようではありませんか。

ん? そうだろうか? 誰の人生も等価なのだろうか? ひょっとしたら、人生っていうヤツにはランキングがありはしないか? ジョージの人生が100点満点なら、零点の人生だってありはしないか?

例えば、

the richest and the meanest man in the country

と映画で表現されるポッターである。ベドフォード・フォールズの帝王である彼にとって、町の人々は搾取の対象でしかない。金にならない貧乏人には鼻も引っかけない。唯一の目の上のたんこぶである貧者の味方、ジョージを何とか屈服させようとする。冷酷無比の悪漢である。
彼が生まれなかったら? 町の人々は、ずっと幸福だったに違いない。
町一番の金持ち、ポッターの人生は、零点どころかマイナスの点数がついているのではないか?
どうにもこの映画、映画の中で論理が破綻している。ジョージの人生を浮き彫りにしたくて、悪役ポッターを設定したのだろうが……。

と考え出したのはほかでもない。この映画を見終わって、なんだか自分の人生が愛おしくなった。そうだよなあ、人生って素晴らしい。もし俺が生まれていなかったら……。そこまで考えて、呆然としてしまったのだ。

私がいなかったら?

我が妻: 私と所帯を持つことはなかった。しかし、1人で生きるタイプではないので、どこかの誰かと結婚していたはずだ。
1, 結婚してウン十年たっても「愛してるよ」なんて恥ずかしいことを堂々という男だったかも知れない。
2, 昼食は吉野家の牛丼で我慢して、妻にダイヤモンドを買い与える男だったかも知れない。
3, 妻以外の女には目もくれない男だったかも知れない。
4, 決して深酒をせず、洗面台をゲロで汚して妻に掃除をさせることがない男だったかも知れない。
5, 「君が食事を作ってくれるんだから、後片づけは僕がするよ」とキッチンに立つ男だったかも知れない。
6, 結婚記念日と誕生日を決して忘れず、毎年花束を贈るとともに、一流レストランで2人だけの時間を持つ男だったかも知れない。
7, 妻がどんなバカなことを言おうとも、「お前、大学は出たのか! 馬鹿たれ!!」などとは決して言わない男であったかも知れない。



 たったこれだけ挙げただけでも、我が妻は私がいない方がはるかにいい暮らしをしそうである。私の人生って……。

子供: 私がいないのだから、3人ともこの世に生を受けたはずがない。未生以前の暗闇にも存在しない。永遠の無である。 
だとすると、2度も失職(「事件らかす #5 年賀の挨拶」を参照してください)する息子もいないわけだから、我が妻は心を痛めることもなかったか。
仲間: 私から恩恵を受けた人っている? 私がいなくても、すべての人が何事もなかったように生き、老い、死ぬはずだ。
仕事:  職場には2・6・2の法則が貫徹する。ばりばり仕事をこなして会社に貢献するのが2割、そこそこしかしか仕事をしないのが6割、職場のお荷物が2割という構成比になるという法則だ。上の2割は高い能力を買われて、転職の誘いがよくかかる。それに応じる人も出てくるが、不思議なことに、残ったメンバーは再び2・6・2の構成比になる。 
多くの人から同じ話を聞いた。だとすると、これは人間集団の法則である。 
であるからして、現実の私が上の2でも、中の6でも、落ちこぼれの2でも、私がい職場は2・6・2の構成になるのだから影響はない。

いずれにしても、ジョージの場合のような大変動は起きそうにない。私のもとに2級天使クラレンスがやってきてくれたとしても、ジョージのように

“I wanna live again. Please God, let me live again!”

と私が叫ぶことはありそうにない。
私の人生って……。

「素晴らしき哉、人生!」は、自分が生まれなかった世界を生きるという虚構で観客の心を温かくする。だが、ホッカホッカの心を楽しめるのは、映画館の暗闇中だけ、テレビ画面を見つめている間だけである。
外に出れば、テレビの前を離れれば、厳しい現実が、数時間前と同じように待っている。

【メモ】
素晴らしき哉、人生!(IT’S A WONDERFUL LIFE)
1954年2月公開、130分

監督:Frank Capra  フランク・キャプラ
出演:ジェームズ・スチュアート James Stewart =ジョージ・ベイリー
ドナ・リード Donna Reed =メアリー
ライオネル・バリモア Lionel Barrymore=ポッター
トーマス・ミッチェル Thomas Mitchell=ビリー伯父さん
ヘンリー・トラヴァース Henry Travers=2級天使クラレンス
アイキャッチ画像の版権はRKOという会社にあったようなのですが、この会社、今はないようです。いずれにしても、お借りしました。