2017
09.02

#73 失われた週末 ― 今日も飲むぞ……?(2007年1月11日)

シネマらかす

「酒は敵(かたき)ぞ!」

同居していた祖母から何度も聞かされた。幼き日の思い出だ。
祖母は、自らは酒を嗜んだ。なのに、私を前にすると、酒は敵であると言い切る。いまの私なら、

「ばあちゃま、あんたもう惚けたんかい?」

と悪態をつく。だが、当時の私は、子供とはかくも愛らしきものか、と万人が認めるよい子であった。
よい子は、年上に反抗しない。ただ、

「自分では飲んでいるのに、何で酒を憎むのだろう?」

と、ニコニコと愛らしく笑いながら不思議に思っただけである。

長じて、なぜ酒が敵なのか、が理解できた。彼女の長男、つまり私の父がアル中だったからだ。

父は中学の社会科の教師だった。悪いことに、我が家と彼の職場である中学校との間に酒屋があり、その一角に立ち飲みコーナーが設けられていた。
母から聞いた話では、職場に到着した父はアルコール臭かった。しらふで家を出たのに? 家から立ち飲みコーナーに直行していたらしい。

夕方。近所のオバサンが我が家に駆け込む。

「あんたんとこの父ちゃんが、溝に落ちて寝とらすばい」

酒の勢いで一日の仕事を終えた父は、直ちに立ち飲みコーナーに直行した。そこで飲む。つまみはなし。浴びるように飲む。店を出る時は千鳥足である。挙げ句、足を踏み外して溝に転落する。自分が転落した事実にも気が付かず、そこで眠り込む。
母はリヤカーを引いて溝に向かった。1時間ほどすると、リヤカーの荷台に父を乗せて帰宅する。父の額からは血が流れ、着衣からはどぶの臭いがした。

仕事をするために飲む。仕事が終わったら飲む。アル中である。家の中では暴力を繰り返した。食事中、何かに怒った父が投げた飯茶碗が私の鼻にあたり、切れて出血したこともある。傷はいまでも鼻の左側に残る。
父に酒をやめさせねばならない。数回入院させた。説得は効かないので、夕食に睡眠薬を混ぜ、寝込んだところを病院から来た職員が運んだ。母に連れられて何度も病院を訪ねた。父のまわりには精神を病んだ人たちがいた。
なぜこれほどまでに酒を飲むようになったのか。なぜ酒を飲まずにはいられなかったのか。分からない。分からないまま、父は30年前に他界した。

失われた週末」を興味深く見たのは、そんな幼児体験のためかもしれない。極度のアルコール依存症、アル中男の話だからである。

主人公、ドン・バーナムは、ひょっとしたら人生の舵取りを間違ったのかもしれない。
早くから文才があった。大学の学内誌は毎号彼の小説を掲載した。雑誌に小説が載ったこともある。舞い上がったドンは大学をやめ、母にプレゼントされた真新しいタイプライターをひっさげてニューヨークへ出た。作家になる。迷いはなかった。
ところが、売れない。自信が少しずつしぼみ、やがて消えた。ぽっかりと空いた穴を酒が埋めた。飲むと小説の構想が次々とわく。いくらでも傑作が書ける。まずいのは、書く前に酒が切れることだ。だから、再び飲む。精神が高揚する。酒が切れる。どこまで行っても終わりのない繰り返しである。
筆で身を立てようとした男が、書けない。定職はない。30歳を過ぎて無収入。やむなく、兄に頼って暮らす。
こんなはずではなかった。ドンは鬱屈した。鬱屈が酒を手放せなくした。

泥沼でもがくドンも、一度だけ立ち直ろうと努力した。恋だった。
ヘレンと知り合ったのはオペラハウスだった。入場券は兄にもらった。酒浸りのドンを気遣ってのことに違いない。だが、酒にがんじがらめにされたドンは、第1幕で酒が振る舞われる場面があると、もうダメだ。幕間を待ちかねてクロークに急いだ。コートのポケットにウイスキーを忍ばせていたのである。
早く僕のコートを出せ。苛立つドンの前に出てきたのは、女性物の毛皮のコートだった。どうやらタグの付け間違いがあったらしい。これじゃない! 思わず大声を出した。クロークの管理人は、貴方が持っている番号札はこのコートの物だ。それ以外のコートは渡せないと譲らない。ドンは仕方なく終演を待った。自分のコートを受け取る女性を待つしかない。
それがヘレンだった。

たちまち恋に落ちた。ピタリと酒をやめた。そして、婚約した。

ヘレンの両親がニューヨークへ出てきた。ドンは待ち合わせ場所のホテルに早めに着き、ヘレンを待った。予期せぬことが起きた。聞いてしまったのだ、両親の会話を。どんな男だ? 33にもなって仕事がない? コーネル大学中退? 気に入らん!

“A writer? What did he write? I never heard his name.”
(作家だって? 何を書いた? 名前も聞いたことないぞ)

 ドンは逃げるようにホテルを出て自宅に戻り、酒を浴びた。
その夜遅く、姿を見せないドンを心配したヘレンがやってきた。耐えきれなくなったドンは、酒の勢いを借りてすべてを打ち明けた。

Helen: After all, you’re not an embezzler or a murderer. You drink too much and that’s not fatal…There must be a reason why you drink, Don. The right doctor could find it.
(あなたは、横領犯でも殺人者でもないわ。 酒を飲み過ぎるだけ。たいしたことじゃない…。ドン、何か訳があるはずよ。 ちゃんとした医者に見てもらったら)
Don: Look, I’m way ahead of the right doctor. I know the reason. The reason is me – what I am, or rather what I’m not. What I wanted to become and didn’t.
(いや、自分のことは自分が一番分かる。理由はある。私だ。いまの私であること、いや、いまの私がそうでないこと、だ。なりたいのになれなかったものさ)
Helen: What is it you want to be so much that you’re not?
(それは何?)
Don: A writer. It’s silly, isn’t it? You know, in college, I passed for a genius. They couldn’t get out the college magazine without one of my stories. Boy, was I hot! Hemingway stuff. I reached my peak when I was nineteen. Sold a piece to The Atlantic Monthly. Reprinted in the Reader’s Digest… Who was to stay in college when he‘s Hemingway. My mother bought me a brand-new typewriter and I moved right in on New York. Well, the first thing I wrote – that didn’t quite come off. And the second I dropped – the public wasn’t ready for that. I started a third and a fourth, only by then, somebody began to look over my shoulder and whisper in a thin, clear voice like the E string on a violin. ‘Don Birnam,’ he whispered, ‘It’s not good enough, not that way. How about a couple of drinks just to set it on its feet, huh?’ So I had a couple. Oh what a great idea that was! That made all the difference. Suddenly, I could see the whole thing. The tragic sweep of the great novel beautifully proportioned. But before I could really grab it and throw it down on paper, the drinks would wear off and everything would be gone like a mirage. Then there was despair, and a drink to counter-balance despair, and then one to counter-balance the counter-balance. I’d sit in front of that typewriter trying to squeeze out one page that was half-way decent and that guy would pop up again…
(作家だ。 バカだろ? そう、私は大学で天才で通っていた。私の小説なしには学内誌は出なかった。 私は輝いていた!  Hemingwayだった。19才がピークだった。 アトランティック・マンスリーに小説が載った。 リーダーズ・ダイジェストに転載された。…母が真新しいタイプライターを買ってくれ、私はニューヨークにやってきた。最初に書いたやつはうまくいかなかった。第2作は、読者には早すぎた。 3作目、4作目を書き始めた。その時だ。バイオリンのE線ような、小さいが、明確な声で私にささやく奴がいた。「ドン・バーナム、ダメだ。方向が違う。こんな時は、一杯やったらどうだ? 」。 だから飲んだ。素晴らしいアイデアだった!  すべてが違ってきた。 突然すべてが見えた。 見事なできの偉大な作品の全容が見えた。 ところが書き留める前に酒は切れ、すべてが蜃気楼のように消える。絶望が来て、絶望を紛らわせるために酒だ。その繰り返しだ。タイプライターの前に座って何とか文章をひねり出そうとして途中までうまく行くと、 また奴が現れるんだ)

それから3年。ドンはまだ酒と縁が切れない。ドンを酒から切り離したい兄のウィックはドンに現金を持たせない。つけの効くバーもなくなった。
酒がいる。ドンは、部屋の清掃人に払うためにウィックが隠しておいた金を見つけ出した。バーで隣に座った女性のバッグから10ドル盗み出した。
最後に手にしたのはタイプライターだった。作家の命である。狂ったドンには、命より酒だった。

(余談)
なにやら、
「私、健康のためなら死んでも構いません」
というのに似ていなくもない。

 タイプライターを持って町にさまよい出たドンは、再び窮する。すべての質屋が休みなのだ。ユダヤ教の祭日で、業界の慣例で質屋は一斉に休むのである。窮し果てたドンは、彼に関心を持つ娼婦、グローリアの部屋を訪ねた。金を借りるためである。ヒモに落ちぶれても、酒が欲しい。うまく10ドル借り出した。うまく行った、酒屋に急がなければ!
その時事故が起きる。グローリアのアパートを出ようとして階段から転げ落ちたドンは頭を打ち、病院に運び込まれた。

目覚めたのはアル中専門病院のベッドの上だった。そこでドンは、看護人のビムに脅される。出された薬を拒否するドンに、ビムが言う。

Bim: Better take it. There’ll happen to be a little floor show later on around here. It might get on your nerves.
(飲んだ方がいいぞ。夜になればフロアショーが始まって、神経が参るぞ)
Don: Floor show?
(フロアショーだって?)
Bim: Ever have the DT’s?  
(幻覚症状は?)
Don: No!
(ない!)
Bim: You will, brother.
(そのうち現れる)
Don: Not me.
(私は大丈夫だ)
Bim:  Like to make a little bet? After all, you’re just a freshman. Wait till you’re a sophomore. That’s when you start seeing the little animals. You know that stuff about pink elephants? That’s the bunk. It’s little animals! Little tiny turkeys in straw hats. Midget monkeys coming through the keyholes. See that guy over there? With him it’s beetles. Come the night, he sees beetles crawling all over him. Has to be dark though. It’s like the doctor was just telling me – delirium is a disease of the night. Good night.
(賭けるか? まだ君は新入生だ。2年生なったら出る。小さな動物が現れる。ピンク色の象、って聞いたことがあるか? あれは嘘っぱちだ。小さな生き物なんだよ。麦わら帽子の中の小さな七面鳥、鍵穴から入り込むちっぽけな猿。ほら、あそこにいる男、あいつの場合はカブトムシだ。夜になると、ヤツの体を這い回る。暗くなったら分かる。医者が言うように、幻覚は夜の病気なのさ。じゃあ、お休み)

病院を脱走したドンは、途中の酒屋でライウイスキーを脅し取り、部屋に戻ると飲み始めた。世の中はまだ朝である。1本飲み終えると寝込んだ。
目覚めた。夜だった。
朦朧とした目で室内を見回したドンの目に引っかかる物があった。壁にできた小さな穴だ。目をこらす。壁の内側からネズミが頭を出し、穴のまわりをかじって穴を大きくしている。
振り返る。カーテンにコウモリ。そいつが部屋を飛び回り始めた。部屋の中にコウモリが舞う? やがてコウモリはネズミに襲いかかった。壁にネズミのものらしい血が滴り始めた。
ドンは悲鳴を上げた。
ドンはいつの間にか、アル中2年生になっていた……。

酒は敵、と洗脳されたにもかかわらず、私は社会に出て以来、毎日酒を飲んできた。平日は仕事の付き合い、職場の付き合い、久しぶりにあった知人との付き合い、たまには○○と差し向かいで、と飲む理由には事欠かない。週末は、やっと一週間終わったから一杯。日曜日は明日からまた仕事が始まるから一杯。
1年365日、酒が切れる日がない暮らしがずいぶん続いた。

「俺、酒が飲めなかったら、今頃ベンツオーナーだよな」

と言いながら飲んだ。

「けがか病気で長期入院したら、2週間ぐらいで指が震え出すんじゃないかね、アル中で」

と言いながら飲んだ。
なのに、未だにγGTPは正常値である。入院したこともないから、アル中も発症していない。
さすがに最近は、深酒が続くと、時折じんま疹が出る。医者に、

「体が、そろそろ酒を控えなさいと親切に教えてるんですよ」

と宣告された。おかげで、ここ1,2ヶ月、土日は飲まないことを原則としている。無論、原則は例外のためにあるという世間の常識ははずさないのだが。

だからだろうか、この映画から目が離せなかった。そうか、アル中になると、こんなにも浅ましく、卑しくなるのか。

監視役の兄の目を何とか盗んで酒を飲もうと四苦八苦する。兄の金をくすねる。一杯だけでいいからとバーテンダーに懇願する。娼婦に金をせびる、酒屋から酒を脅し取る。
どう考えても、まともな大人のすることではない。当然、周りの視線には蔑みがある。人間のくずと罵られる。それは分かりすぎるほど分かっているのに、頭の中にあるのは酒、酒、酒、でしかない。プライドなどは風に吹かれて飛んでいったのに違いない。

くすねた金で立ち寄ったナットのバーで、ショットグラスを重ねながらダンは語る。酒を飲むと

 “Suddenly, I’m above the ordinary. I’m competent, supremely competent. I’m walking a tightrope over Niagara Falls. I’m one of the great ones. I’m Michelangelo, molding the beard of Moses. I’m Van Gogh, painting pure sunlight. I’m Horowitz, playing the Emperor Concerto. I’m John Barrymore before the movies got him by the throat. I’m Jessse James and his two brothers - all three of ‘em. I’m W. Shakespeare.”
(突然、俺は特別な人間になるんだ。俺はやれる。誰よりも有能だ。俺はナイアガラの滝に渡された細いロープの上を歩いている。俺は偉大な人間の仲間入りするんだ。俺はひげ面のモーゼを制作しているミケランジェロだ。透き通った陽光をキャンバスに描き出すヴァン・ゴッホだ。ピアノ協奏曲皇帝を演奏するホロヴィッツだ。映画につかまっちまうまでのジョン・バリモアだ。俺1人で、あの有名な強盗、ジェシー・ジェームズの3兄弟にもなる。俺はシェイクスピアだ)

 なるほど、アル中になるほど飲み続けるとはそういうことか。しらふの自分は、誰の目から見ても、特に自分の目から見て惨めったらしい存在にすぎないのに、飲むと自分が偉大に思える。何でもできると思える。だから飲む。さめると惨めな自分が戻ってくるから、逃げたくて飲む。飲むと、偉大な小説が書ける気になる。
ミュージシャンが、麻薬やドラッグにはなる構造と同じだ。ラリって演奏すれば、本人の耳には、自分の楽器から天にも昇りそうな演奏が聞こえる。

だが、周りの目は冷ややかだ。ナットは冷然と言い放つ。

 「あんたはピストルを請け出すか、エンパイアステートビルのてっぺんから飛び降りるか、地下鉄に飛び込むか、さ」

(余談)
確かに、親父もそうだった。
親父の年代で大学を出た人間はそれほど多くない。特に、九州の田舎町では珍しい存在だった。
私が物心ついたとき、親父は中学の酔いどれ教師だった。酒でやめざるを得なくなると、自宅で養鶏を始めた。この間、強制入院させられている間を除けば、酒が切れたことはない。ついには、酒に飽き足らなくなったのか、睡眠薬に手を染めた。そして、ラリってホンダ・スーパーカブで走っていてトラックに巻き込まれ、左足を複雑骨折し、膝が曲がらなくなった。働くことができなくなって、公認会計士を目指した。長年の酒でぐずぐずになった脳で手にはいるような資格ではない。
親父の人生は、自分のイメージにある自分と、現実の自分の落差が許せない人生だったのだろう。
理解はできる。だが、もっぱら被害者であった私は、未だに親父を許す気にはならない。

 「失われた週末」は、人間の弱さを冷徹に見つめた作品である。自分の中にも潜む弱さを見せつけられる観客を最後まで引っ張っていくのは、ビリー・ワイルダー監督の腕の冴えであろう。

冒頭、アパートの窓から吊り下げられたウイスキーの瓶。身近に酒がない恐怖に戦くドン。飲むほどに自信を回復するドン。だが、タイプライターに向かうと、タイトルと筆者名と献辞しか書けないドン……。決して盛り上がりはないが、印象的なシーンが折り重なる。見えてくるのは、自分のプライド故に絶望して酒におぼれる哀れな男の姿と、酒の恐ろしさだ。

米国のWebサイトを見ていたら、完成したこの映画のネガフィルムを、米国のアルコール飲料メーカーが買い取ろうとしたとあった。酒の恐ろしさが観衆に染み渡り、酒の売り上げが減るのをおそれたのに違いない。それほど観客を惹きつける映画なのである。

ただ、絶望の果てに自殺を決意したダンが、ヘレンの愛に生きる希望を取り戻して酒を捨てるラストシーンには違和感がある。
ヘレンの愛を何度も裏切り、ついには幻覚まで見るに至ったアル中男が、そんなに簡単に酒を断つことができるか? アル中とは、そんなに簡単に克服できるのか? だったら、そんなに怖がることはないじゃん!
事故で寝込むまで酒が手放せなかった親父を見ただけに、あっけない幕切れに肩すかしを食った気分になった。
アルコール飲料メーカーの圧力が生み出したシーンでなければいいのだが……。

さて、アル中の息子として生まれながら、酒を飲み続ける私に戻る。
私にはいくつかの特質がある。その1つが、忘れっぽいことである。いや、物事すべてを忘れるのではない。現に、折に触れて私生活を書く「らかす」の原稿を見て、妻は、

「よく覚えてるわね。私、忘れてた」

と何度も声を出した。私の記憶力は強力だ。
私が忘れるのは、いやなこと、というより、いやな思い、である。

上司とぶつかったことがある。仕事で失敗したこともある。それに気づいて胃が痛くなる思いも何度かした。が、それが持続しない。2、3日もすると、

「ま、できちゃったことは仕方がないや。いくら後悔したって、覆水盆に返らず、だからな。英語に直すと、It is no use crying over spilt milk. さ。ことわざになっているくらいだから、英米にも、ミルクをこぼしちゃったヤツはずいぶんたくさんいたらしいな」

と諦める。それから数日で胃の痛みが治まる。
おかげで、サラリーマンとしては随分損もしたようだ。しかし、酒に逃げる必要はない。失敗をくだくだ思い起こしながら酒を飲むことはないから、おおむね、私の酒は明るい
まあ、年を経るに従って、説教癖は出てきたようだが。

加えて、酒だけを飲むことはまずない。酒は食事とともにいただくのが一番おいしいのである。
確かに、学生時代は、カウンターの向こう側からふるいつきたくなる笑みを送ってくれる女性に会いたくてスナックに通ったこともある。仕事の付き合いで、着飾った女性がそばに座ってサービスしてくれるクラブをのぞいたこともある。悪友に引きずられて、喜んで嫌々、ややいかがわしい店に顔を出したことだってないとは言わない。
だが、もう随分長い間、そういう店には足を運んでいない。運ぶ気もない。誘うヤツがいたら、

「えっ、女がほしい? あのね、金でサービスしてくれる女って、おれ、興味ないの。女と飲みたかったら、いい女を連れて食事に行く。これが一番楽しいんだよ」

と煙に巻く。
こんな酒だから、アル中になることはない。酒は飲むべし、飲まれるべからず、を実践中である。

あ、そうだ、今日も飲み会が入っていたんだ。そろそろ約束の時間だな。では、行って来ま~す。

【メモ】
失われた週末(THE LOST WEEKEND)
1947年12月公開、101分

監督:ビリー・ワイルダー Billy Wilder
出演:レイ・ミランド Ray Milland=ドン・バーナム
ジェーン・ワイマン Jane =ヘレン
フィリップ・テリー  Phillip Terry =ウィック・バーナム
ハワード・ダ・シルヴァ Howard Da Silva=ナット
ドリス・ダウリング Doris Dowling=グローリア
アイキャッチ画像の版権はパラマウント映画にあります。お借りしました。