2017
09.07

#81 フラガール ― 時代は変わる(2008年1月16日)

シネマらかす

男と女が人目も憚らずにしっかり抱き合い、オンオンと声を放って泣いていた。男の顔は煤で真っ黒。女の髪はバサバサだ。彼らの家の庭先である。日はまだ高い。

「あん人たち、何(なん)ばしよっと?」

下校途中だった。見てはならぬものを見た気がした。ドキドキした。追われるように足早で通り過ぎ、自宅に戻った。1963年11月のことである。

1963年11月9日、私の故郷、福岡県大牟田市の三井三池炭鉱三川抗で炭塵爆発事故が起きた。坑内に浮遊する石炭の微粉に火がつき、瞬時に燃え上がった。火災で、爆風で、そして坑内に充満した一酸化炭素による中毒で458人が亡くなり、839人が一酸化炭素中毒の重い後遺症に苦しんだ。
男はその生存者だった、と後日聞いた。顔の煤は、彼に襲いかかろうとした死の刻印だった。

大牟田市と石炭のつながりは15世紀にさかのぼる。1人の農夫が路傍の石に腰を下ろし、タバコを一服した。吸い終えた灰を何気なく石の上に落とすと、石が燃え始めた。燃える石が見つかった。小学校で学んだ郷土の歴史である。
開発が始まり、明治時代には採炭が本格化した。その後三井資本が払い下げを受け、炭都大牟田は民間の力で発展する。石炭を原料とする化学工場群も次々に立地した。大牟田は三井資本の城下町として繁栄した。
有明海に浮かぶ人工島初島。三井三池の坑道は長く延び、海の下にまで達している。出入り口からの送風だけでは換気が不十分で、奥では酸欠が起きる。そのため人口の島を作って上から空気を送り込む。
これも小学校で学んだ。初島は科学の勝利の象徴であり、故郷の誇りだった。

大牟田市の人口は1959年、208,887人でピークを打った。石炭から石油へ。1950年代から60年代にかけて起きたエネルギー革命のためだ。
三井三池炭坑の経営危機は人口減より早かった。1953年、3464人が退職勧告を受け、従わなかった2700人が指名解雇された。113日間の指名解雇反対ストライキで指名解雇は止まった。だが石炭の衰退までが止まったわけではない。
1959年8月、4580人の人員削減案が出て、12月には1492人が退職を勧告された。拒否した1278人が指名解雇となり、三池労組は無期限ストライキで対抗する。資本と労働の総力戦とも呼ばれた三井三池争議がこうして幕を開ける。中央では安保闘争が燃え盛っていた。

争議は会社側の勝利で幕を閉じる。1万5000人いた従業員は1万人に減った。なのに、1日8000 t だった出炭量は倍の1万5000 t に増える。そうしなければ石油との競争に生き残れなかった。保安要員も減らされた。
そして、炭塵爆発事故が起きた。

湿った炭塵は爆発しない。坑内を常に清掃し水を撒けばいい。周知の防止法だった。だから炭塵爆発事故は戦後1度もなかった。だが、三井三池では過酷な合理化が進み、清掃も水蒔きも、ほとんど実施されなくなっていた。
悲劇はこうして生まれた。

1997年3月30日、三井三池炭鉱閉山。
最盛期、国内に800以上の炭鉱があった。いま、坑道堀りを続けているのは太平洋炭礦を引き継いだ釧路コールマインだけとなった。

ヤマは地域を支えてきた産業だ。それぞれの産炭地は必死にヤマなき後の生き残り策を探ったはずである。
三井三池は石炭液化の夢に賭けた。人が地中に潜るから事故が起きる。地中で石炭を液化し、ポンプで吸い上げたら? 友好姉妹都市で中国最大の炭田である大同市の石炭との混炭で価格を引き下げる道も探った。どちらも実現しなかった。故郷の知人に聞いた話である。
いま、大牟田市の人口は13万人。

1976年にヤマの歴史を閉じた常磐炭鉱の生き残り策は奇想天外だった。常磐にハワイを作る。

「あんた、正気?」

と多くの人が思ったらしい。
ハワイの気温は1年を通じておおむね18℃から31℃の範囲にある。常夏の島だ。常磐炭鉱があった福島県いわき市は太平洋側の気候で、平均気温は8月で25℃、1月で4℃と、東北にしては比較的温暖ではある。だが常夏ではない。
ところが、これが産炭地新興の希有な成功例となった。

フラガール」はその成功例を元にした映画である。あえて粗筋を書くまでもない。炭鉱を補完する、あるいは炭鉱に代わる経営の柱として会社が手がけたハワイアンセンターが、様々の障害を乗り越えてオープンするまでの物語だ。そのハワイアンセンターはいまでもある。ハッピーエンドにならざるを得ない。

人生の面白味は、結果が分からないことにある。ある女の子に恋をする。1ヶ月も2ヶ月も思い悩んで、えーい、行動あるのみと決意して告白する。

「ごめんなさい。私、付き合っている人がいて、来年結婚するんです」

落ち込む。だけど、時間がたてば、いい思い出になる。そして成長する。だから人生は面白い。
恋した瞬間からこの結末が分かっていたら?
恋は生まれない。そして、人生はずっと味気ないものになる。
結末が分かっているとは、そういうことだ。

結果が分からず、中途半端な状態に置き続けられるサスペンスが読者や観客の興味を引きつけ続けるのはそのためだ。結末が知れている話を作品にするのは難しい。
なのに、挑む人々はたくさんいる。
織田信長は、天下統一を目前に本能寺で殺される。それは歴史上の事実だ。なのに、信長を取り上げる作家は後を絶たない。
真っ先に犯人を知らせる手法は、「刑事コロンボ」で定着した。
歴史の隙間に想像力を潜り込ませ、超一級のエンターテインメントを仕上げる。フレデリック・フォーサイスの「ジャッカルの日」はシネマらかすでも取り上げた。

結末が知れている話で読者や観客を魅了するには、様々な工夫がいる。
信長ものは、新しい信長像や信長殺しの真犯人が次々と登場する。
コロンボ刑事はのろまなダメ刑事が、地位も名誉も頭脳をある犯人の完全犯罪を暴く。
フォーサイスは魅力的なテロリストを造形し、ある偶然で歴史と物語をつないだ。
我々は、その工夫の部分を楽しむ。

「フラガール」も、結末が分かっているのに出色の作品となった。では、どんな工夫があったのか?

脚本も手がけた李相日監督はまず、くっきりとした対立軸を重層的に積み重ねた。時代の転換点に立たされた人たちが、必死に生きようとするから生まれる対立の積み重なりが、1つの時代を鮮やか切り取った。
だが、それだけでは琴線に響くことはない。李監督は、すべての対立が同じ船に乗っているから生まれたことを見逃さなかった。同じ船に乗って流されているから、正面からぶつかり合ってしまう。だから人間は悲しく、もどかしく、愛おしく、おかしい。その姿を丁寧に描き、1級の娯楽映画に仕立て上げた。

映画は1965年に始まる。三井三池争議から5年。その記憶がすべての炭鉱労働者に生々しく生きていた時代である。常磐炭鉱でも、労使は鋭く対立した。
その日、会社側は中川抗の閉鎖と2000人のクビ切りを組合に通告する。離職者受け入れ策として会社が持ち出したのがハワイアンセンターの建設だ。総工費18億円。500人弱の職場ができる……。
説明会場は怒声と罵声に包まれた。

「こっだ東北の田舎に、なっじょしたらハワイなんかできっかぁ」

主人公谷川紀美子の母、千代のつぶやきが、すべての労働者の思いだった。どうせ目くらましだろ! 労働者は会社を信じない。

ヤマが揺れる。揺すぶられると、親子も角をつき合わせる。
千代は、高3の紀美子がフラガールに応募したのが許せない。ヤマの女はヤマの男と結婚して選炭場で働くもんだ。人前で素肌をさらす? この恥さらし!

紀美子: 俺、母ちゃんみたいな生き方したくねぇ。これからは女も堂々と働ける時代だっぺよ。
千代: 父ちゃんが生きてたらぶっ飛ばされてっぞ!
紀美子: 俺の人生は俺のモンだ。ダンサーになろうがストリッパーになろうが、俺の勝手だべ!
千代:  出てけ! 二度とケーってくんな!

母は、夫をヤマで失った。それでも、ヤマで働く誇りは持ち続ける。娘はヤマに未来はないと思った。だから新しい生き方を求める。
紀美子は家を飛び出し、練習場で寝泊まりし始める。

紀美子の親友、早苗は父親にぶちのめされ、顔が腫れ上がった。フラダンスの衣装が出来上がった日だった。

早苗:  このチャンスつかまながったら、死ぬまでこっから抜げだせねぇ。

と紀美子を誘って練習に通い始めた早苗である。手にした衣装が嬉しく、弟妹にフラダンサーの卵である自分の舞台姿を見せた。そこへクビを通告された父親が帰ってきたのである。

ほかの日だったら手を上げなかっただろう。俺がこんなになったから、娘が裸踊りを始める。娘を殴りながら、一番痛みを感じたのは父ではなかったか。

いま、若い女性たちは自分の肌を誇らしげに露出する。肩を、胸の谷間を、へそを、太股を見せて闊歩する。美しいものをどうして隠すの? まあ、おじさま族には、無料で目の保養ができるいい時代である。
だが1965年、若き女性の肌は隠すべきものだった。
会社が開いたフラダンサー募集の説明会には10数人のヤマの娘たちが集まった。フラダンスの映画を見せた。とたんに会場から声が出た。

「オラ、ケツ振れねえ」

 「へそ丸見えでねえがぁ」

 「オラの裸、見せモンでねぇ」

会場が浮き足立った。先を争うように部屋を飛び出した。いくら暮らしのためとはいえ、そこまで落ちたくない!
価値観、倫理観の対立である。

平山まどかがヤマにやって来た。ツバ広の帽子、派手なコート、革手袋。濃い化粧。どれもヤマにはなかったものだ。もとSKD(松竹歌劇団)のダンサー。フラダンスの指導者として東京から招かれたのである。
ヤマは色めき立った。真っ黒な顔をした抗夫たちが、バスの窓から食い入るように見つめる。平山まどかは、美しさ、華やかさ、豊かさ、時代の先端の息吹、そして何よりも、あこがれの大都会の化身だった。

掃きだめに舞い降りた鶴。男たちは気になって仕方がない。紀美子の兄・洋二朗と友人・狩野光夫がヤマ流の歓迎を試みた。酔った勢いで、まどかが投宿した炭住の前で立ち小便したのである。
飛び出してきたまどかは、さかりの着いた犬を見たかのように、バケツの水をぶっかけた。

洋二朗: おい! 東京だがハワイだがスンねぇけんど、気取ってるんでねぇ!!
まどか:  私は頼まれてきただけなんだから、仕事が終わったらとっとと出て行くわよ、こんな町。当たり前でしょ!

東京者は高飛車である。田舎者には唾も引っかけない。頭の回転が速い。気も強い。おまけに標準語をしゃべる! とても田舎者では相手にならない。
田舎は都会にあこがれ、都会は田舎を馬鹿にする。今もある対立だ。

(余談)
私は元々田舎者。東京出身の連中が都会風を吹かし始めると、
「東京って、薩摩と長州、今でいえば鹿児島と山口の植民地だよねえ。植民地で生まれて育つって、そんなに誇り高いことなの?」
と攻撃します。

 そして、こんな時代には、一枚岩のはずの労働者同士もぶつかる。
狩野光夫もヤマの男だ。だが、光男にはヤマの宿命が見えた。どうにもならん。だからハワイアンセンターに未来を託したら労働者仲間の怒りを招いた。
その日、光男はトラックで椰子の木を運んでいた。ハワイアンセンターに欠かせない装飾品として台湾から輸入したものだ。それを自転車に乗った洋二朗が追ってきた。光男はトラックから引きずり降ろされる。

洋二朗: 光男、おめえは騙されてるぅ。会社の狙いは、俺らクビにすっことだけだぁ。
光男: 炭鉱はもうダメだ。ホントは、洋ちゃんも分かってっぺよ。
洋二朗: わがんねえ。なんのこっだか全然わがんねえ。おめえ、いづから頭でもの考えるようになっだ、おーっ!
光男: おらぁ、洋ちゃんみてえに気楽に生きていけねえべよ。
洋二朗: 気楽ってなんだ、気楽って!
光男: 気楽でねえが! ヤマ潰れるつーのに、先のこと何も考えねえで。
洋二朗:  本気でいってんのか! おめえ、俺のこと、ずっとそっだ風に思ってたのか!なんだ、こっだもん !!

言いながら洋二朗は椰子の木をトラックから引きずり落とそうとする。

光男: やめろ、洋ちゃん! 痛がってるでねえか!
洋二朗: うるせぇ! この椰子の木がおめえ狂わせてっぺや!
光男:  やめれって、洋ちゃん! やめれっていってっぺぇ。

光男が洋二朗を殴り倒した。まさか光男が。呆然とする洋二朗に光男はいう。

光男:  生きてかなきゃなんねえっぺよ。

生きていかなければならない。だから洋二朗は会社には騙されない、労働組合に結集して労働者の暮らしを守る、と考えた。
生きていかなければならない。だから光男はヤマを見切った。仲間の冷たい視線が突き刺さっても、これしかないとハワイアンセンターに賭けた。
悲しい対立である。

(余談)
1960年の三井三池の戦いでも、組合は分裂した。あくまで会社と戦い抜く方針を貫く組合から、会社との協調を掲げる第2組合が分かれた。
我が家はヤマから遠い。学校には炭鉱の関係者は少なかった。それでも、
「あやつの父ちゃんな2組(第2組合のこと)になったげな」
とひそひそと囁きあった。第2組合には裏切り者のイメージがつきまとった。
いずれの立場を選ぼうとヤマも職場も守れなかった訳だが……。

 だが、同じ船に乗っていることに気が付いた時、対立は友愛に変わる。

平山まどか気付いた。ヤマの娘たちがまどかの心を溶かした。
まどかは、ヤマで精一杯都会風を吹かせた。でも、負け犬であることに変わりはない。東京の舞台に立てなくなった。ショウビズの世界で生きていけない。だから、都落ちした。
悔しくて、田舎臭い町を馬鹿にした。鈍くさい娘たちを蔑んだ。もっと下がいる。たとえ落ちぶれても、私はエリートなのよ。
でも、よく考えれば、私はこの娘たちと同じ。どっちも、今の社会の負け犬
進むしかない。ヤマが潰れる。父が、母が、兄が仕事を失う。なのに、明るさを失わずにひたすら未来の可能性に賭けるヤマの娘たちと一緒に進むしかない。もう一度勝ち組になってみせる!

一緒に進む仲間になったから、夕張の炭鉱に再就職した父に連れられて早苗がヤマを去る日、泣けて仕方なかった。

弱さもさらけ出せるようになった。

紀美子: 早苗、元気にしてっかな?
まどか: 頑張ってるよ。
紀美子: んだな。ねえ、先生はなして頑張んだ?
まどか: 行くとこないんだよ。どこにも。
紀美子: んなことないべさ。先生、めんこいのに。
まどか: めんこいのに、追い出されてばっかりだぁ。炭鉱夫と同じだ。
紀美子: したら、ずっとイワキにいたらいいべさ。
まどか:  よそモンにそったらこと言っていいのけぇ?

千代は、ひたすらフラダンスに打ち込む紀美子の姿に打たれた。早苗から届いた小荷物を、紀美子が寝起きするダンス練習場に届けに行ったときだった。
紀美子は何かに憑かれたように踊っていた。そこには、もう千代の娘はいなかった。一羽の白鳥が、打楽器の激しいリズムに身を任せて舞っていた。千代は生唾を飲み込んだ。見とれた。自分と同じように、いや自分以上に、大地に両足をしっかりとつけて立つヤマの女がいた。そして時代は紀美子の側にある。

千代はリヤカーを曳いてストーブを集め始めた。ハワイアンセンターに賭けて「裏切り者」となった狩野光夫の手伝いである。
台湾から運んできた椰子の木が寒さで枯れかかった。ストーブで暖めてやったら元気になるのでは。ストーブを貸してくんしぇ。光男は呼びかけた。地面に頭をすりつけて懇願した。だが耳を貸すヤマの人間はいなかったのだ。

千代の前に、組合の幹部たちが駆けつけた。あんた、今さらハワイにぃ寝返る気か? 婦人会の会長だっぺよ。口々に避難する男たちに千代は訥々と言う。

千代:  うちの父ちゃん、お国のためだぁって寝る間も惜しんで石炭掘って、ヤマん中で死んだぁ。いままで、仕事っつうのは暗い穴ん中で歯ぁ食いしばって死ぬが生きるがでやるモンだと思ってたぁ。んだけど、ああいった風に踊って人様に喜んでもらえる仕事があっでもええんでねえがぁ? オラにはもう無理だけんどぉ、あの娘らなら、みんな笑顔で働ける。そんだ新ったらしい時代作れるかもしんねえって。こっだ木枯らしぐれえであの娘らの夢潰したくねぇえ。すんまっせん、ストーブ貸してやってくんせえ。ストーブ貸してやってくんせえ。

ストーブ貸してやってくんせえ。千代の声に洋二朗の声が重なった。ストーブが続々と集まり始めた。頑なだったヤマの男たちの心も溶け始めたのである。
ヤマがダメなら、せめて娘たちの夢を実現させてやろうではないか。石炭を掘る会社が、ハワイアンセンターの会社になってもいいではないか……。

労使間、親子間、世代間の対立も、都会と田舎の対立も、労働者同士の対立も、皆が乗っていた船が沈みかけたから表面化した。それぞれが勝手に船の救い方を主張し、いがみあった。
それが。
同じ船に乗ってるんだ。若い連中に任せようではないか。皆がそう思えた時、ヤマが再びまとまった。そしてハワイアンセンターがオープンする。

満員の客を前に紀美子たちのフラダンスショーが始まった。会社の連中も組合員も千代も、客席にいた。華やかなショーに熱い拍手が送られ、踊り終えた紀美子が満面の笑みで観客の拍手に応える。こんなにすばらしい笑みで幕を閉じた日本映画がかつてあっただろうか。紀美子役の蒼井優にとってこの映画は、吉永小百合にとっての「キューポラのある町」になった。
よかった、よかった。良く泣いた。みんな良かったねえ。

と涙を拭きながら、でも天の邪鬼の私は考える。ホントか?
ずーっと心に残るせりふがあったのだ。ハワイアンセンターが成功しても、解決できない問いを含んだせりふがあった。
登場人物は、平山まどかと谷川洋二朗である。

前後の事情を無視して、該当箇所だけ示す。

洋二朗: なしてこった田舎町に来た? まあ、聞がなくたって分かっけどな。金だべ。
まどか: 悪い? あんただってお金のために穴掘りしてんでしょ?
洋二朗: 穴掘りじゃねえ。石炭掘りだぁ。死んだ親父も、じっちゃんも石炭掘りだった。大人になったらぁヤマはいるのが当たり前だと思ってだ。親父が掘ってたころはぁ、石炭、黒いダイヤって呼ばれてぇ、掘れば掘るほど金になった。
まどか: もう石炭の時代じゃないでしょう。
洋二朗: 時代が変わったからってぇ、なして俺らまで変わんなきゃなんねえ? 勝手に変わってしまったのは、時代の方だべ。
まどか: そうやって、いつまでも時代のせいにしてれば。
洋二朗:  あんたみてえな女、むかっ腹が立つんだ。自分1人でぇ、生きてきましたって顔してよ。

The Times They Are A-Changin‘」とボブ・ディランに歌ってもらわなくとも、時代は変わる。そして、新しい時代を牽引する人がいる。新しい時代にうまく適応する人がいる。時代に取り残される人がいる。それが現実である。
洋二朗は、自分が取り残される人間であることを自覚している。

「古い奴だとお思いでしょうが」

という思いは、ヤクザ、極道の世界の専売特許ではない。あらゆる世界で同じ思いを抱きながら生きざるを得ない人間がいる。
ヤマの古い奴は洋二朗だけではない。多くの炭鉱夫が同じ思いを抱きながらヤマを去った。1965年、常磐炭鉱で2000人がクビを切られ、ハワイアンセンターで職を得たのは500人でしかなかった。1971年、常磐炭砿磐城砿業所が閉山した時には、最後までヤマと生きてきた古い奴4600人も職場を失った。

自分のあずかり知らぬところで時代の歯車が1つだけ回る。そして古い奴になる。
洋二朗はその後、どう生きたのだろう? 2500人はどうやって生計を立てたのか? 4600人は満足できる人生を送ったか?
ハワイアンセンターの成功はおめでたいことである。だが、私は古い奴らのその後が気になって仕方がない。

恐らく、私と同じ思いで常磐炭鉱を取り上げた記事がある。1975年5月21日から6月3日まで朝日新聞夕刊に連載された「新風土記 常磐炭砿」である。筆者は酒井寛さん。

その酒井さんから、この連載のお話をたまたま伺ったのはもう20年以上前のことである。酒井さんはこんな話をされたと記憶する。

 「8回目の、ハワイアンセンターの踊り子を書いた記事が出た日だった。夕刊を読んだ先輩からお茶に誘われてねえ。2人で喫茶店に入った。コーヒーが出てきて2人で飲むんだが、先輩、何も言わない。何か言いたいことがあるんだろうと思って待っているのに、ポツリポツリとどうでもいい話しかしないんだ。30分もたったろうか。『酒井君、もう一軒行こうか』と先輩が言う。コーヒーのハシゴ? でも断れるはずがない。付き合ったんだよ」

「2軒目でやっと先輩の口がほぐれた。で、言うんだ。『酒井君、今日の記事はいいねえ。踊り子を書いて、追いつめられたヤマの悲しさを描き出した。うん、いい記事だ』。褒めるのにこんなに時間がかかるのか、と思ったよ。でも、先輩が言いたかったことは違ったんだ」

「先輩は言葉を継いだ。『君さあ、ブラジャーがどんな構造になっているか知ってるか?』。えっ、どうして突然ブラジャーの構造が出てくるんだ? 怪訝に思った。『君の記事にね、踊り子たちがあまりに激しく踊るのでブラジャーのホックがはずれ、ハラリと落ちた、というところがあったよねえ。うん、娘たちの悲惨さを際だたせるすばらしい表現なんだが、ブラジャーはハラリとは落ちないんだよ。あれはさあ、肩ひもがついていて、例えフックがはずれても、そのまま落ちることはない。乳房が見えることはあってもね。そこがさあ……』。言われて赤面したんだ」

 「確かに、ブラジャーはハラリとは落ちない。踊り子たちの必死さを筆で描き尽くそうとしたぼくの筆が滑ったんだよね。ほんの一部でも筆が滑ってしまうと、記事全体の信憑性が疑われる。先輩は、それをぼくに教えたかったんだねえ、喫茶店を2軒もはしごしながら」

「フラガール」を書くに当たって、朝日新聞から「新風土記 常磐炭砿」を取り寄せた。だが、該当の箇所は

「ときにはブラジャーがはずれ、腰みのも飛んだ」

とあるだけだった。ハラリと落ちた、という表現はない。全体が私の記憶違いなのか、それとも、記事になる前の原稿の段階で酒井さんは先輩の指導を受けたのか、本にまとまるときに修正されたのか。私には分からない。
だが、酒井さんから私が聞いたはずの話は、文章を書く者が深く心に刻んでおくべきことであると今でも思っている。

それはそれとして、同じ話を伝えても、伝え手の感性で明るい話にもなり、悲惨な話にもなる。 作品とはそのようなものである。
いつの時代でも、どんな状況でも、あらゆる困難を跳ね返して生きていく人たちがいる。「フラガール」は、逆境から羽ばたく逞しい女たちを明るく描いて名画の仲間入りをした。

【メモ】
フラガール
2006年9月公開、120分
監督: 李相日
脚本: 李相日
羽原大介
出演:松雪泰子=平山まどか
豊川悦司=谷川洋二朗
蒼井優=谷川紀美子
山崎静代=熊野小百合
岸部一徳=吉本紀夫
富司純子=谷川千代
アイキャッチ画像の版権はシネカノンにあります。お借りしました。