2017
09.18

2017年9月18日 永井荷風

らかす日誌

いま、永井荷風を読んでいる。

「今時、風変わりな」

そうかもしれない。だが、文学関係の本を読んでいると、しばしば名前が出てくる人である。それに、つい先頃までビッグコミック(だったか、ビッグコミック・オリジナルだったか)で伝記が連載されていた。女あさりに一生を費やした人、というところだった。

「そういえば、永井荷風は読んだことがなかったな」

と、横浜の本棚を探したら、いた。就職したての頃に買い集めた「筑摩現代文学大系」の1冊に「永井荷風集」があった。それを桐生まで持ってきて、数ヶ月してやっとページを開いたわけだ。

3分の2ほど読んだ。タイトルを知っていたのは、せいぜい「つゆのあとさき」ぐらいで、「私家版 腕くらべ」「」「監獄署の裏」など、聞いたことがない作品が並んでいた。最も著名だと思われる「墨東奇譚」は、これから読むところである。

というわけで、まだ中途半端なのだが、この人、文学史に名を残しているとはいえ、私は

「これ、文学?」

と思ってしまった。

どの作品を読んでも、テーマは同じである。夜の巷で身体をはって生きる女たちのしたたかさと、その女を弄ぼうとする男、女のひもになって生きる男たちが織りなすドラマである。純愛なんてどこにもなく、初恋も永久の愛もない。ただただ、男と女が本能に従ってのたうち回るだけだ。日の当たらない夜の世界で生きる彼らの生き様が執拗に描かれ、何の結論もない。ただ彼らがくっついたり離れたり、そんなことが繰り返されるだけである。

読んで、不快になるわけではない。ああ、そんな世界もあるかもね、と思うだけである。その世界がよほど魅力的に描かれていて、そこに入り込んでみたいという誘惑を感じることもない。

「人の世とは、一皮むけばこんなものかもしれないな」

と思いをいたすこともなく、ただ

「ああ、こんな世界とは無縁で良かった」

と感じるだけだ。何が面白いのだろう?

それなのに、一時はずいぶん売れた作家らしい。かなり多くの人が永井荷風が描き出す世界に惹かれ、たくさんの人が読んだということである。読んでも読んでも、同工異曲の男と女しか出てこない小説群が、なぜそんなに売れたのだろう?

という思いを抱きながら、でも読んでいる。読み始めたら最期まで読む。それが私の流儀である。
残り3分の1。次は「墨東奇譚」である。読んで感想が変わったら、また取り上げることにする。

 

それはそうと、選挙らしい。衆議院選。10月下旬の投票という。

いまの国会の構成も楽しくないが、この時期の選挙も楽しくない。自民党意外に、「政党」と呼ぶに値する政党がないからである。とすれば、自民党の一人勝ちに終わるのは火を見るより明らかではないか。
一人勝ちして、この間に表沙汰になった数々の問題を水に流そうというのが安倍政権の狙いであろう。

できれば、そんな狙いには乗りたくないと思う。憲法改正問題があり、森村学園問題があり、加計学園問題がある。

「だから、自民党はいやなんだよな」

とまでは思わないとしても、お灸の一つぐらいすえなければならないと思う。せめて、もう少し拮抗した国会になってほしいと願う。
ではどこに投票したらいい? 最大野党の民進党があの体たらくでは、それが見つからない。であれば、棄権するしかないではないか。

などということを考えるにつけ、小選挙区制度の問題点ばかりが浮かび上がってくる。いまのうちに何とかしなければ、日本の政治は3流にすらとどまることができず、人も制度も劣化して4流に落っこっちゃう、と私は懸念するのだが、国会からもマスメディアからも、ちっともそんな声が出てこない。ああ。

どうなっちゃうのかねえ、日本の政治。