2018
01.08

2018年1月8日 ディーゼルの威力

らかす日誌

昨年末に横浜に行き、この連休も横浜に行った。瑛太の算数の家庭教師である。
と書きながら、今日の話は算数ではない。桐生と横浜を往復する足である320dの話である。

5万1000kmを少し越した4年半の中古車として、188万円を投じて手に入れ、楽しみながら乗っている。乗っていて何よりもありがたいのは、燃費の良さだ。
今回満タンにしたのは、年末に横浜に行く直前だった。それから横浜をとの間を2往復、その間に桐生でも乗っていて、給油してからの走行距離は750kmになった。それでも、まだ燃料が残っている。

「あと150kmは走る」

と表示されるから、一度満タンにすれば900kmは走る。高速を走り続けるのなら、一度の給油で1000kmを越すのではないか。

加えて、軽油だから安い。いまやレギュラーガソリンでも1リットルが130円台の後半の看板を上げているガソリンスタンドが多い。これまで使っていたハイオクなら150円に届こうかという価格である。それに比べて、こちらは110円を切る。給油する時、支払額の少なさに頬が緩む。

もちろん、新車で買っていれば、ガソリンエンジン車とディーゼル車の価格差が20万円(だったと思う)ほどあるから、この燃費の差で車の価格差を埋めるには、少なくとも1年に1万kmは走り、それでも5年ぐらいはかかるだろう。しかし、今回買ったのは中古車である。そこまでの価格差はないはずだ。しかも、業者間のオークションで落としてもらった車だから、価格差はより小さくなっていると思われる。つまり、購入価格の差を気にせず、燃費の良さだけを楽しむことができる。

思えば、ディーゼル車に乗るのは、ゴルフ1のディーゼル車以来である。あれは名古屋から東京に転勤する時だから、買ったのは1979年。それから8年間乗り続けた。
燃費は、いまと同じで財布が助かった。
しかし、が凄まじかった。エンジンをかけると、ガラガラという轟音が鳴り響いた。
当時、海釣りを趣味にしていた私は、月に1度は午前5時前に家を出て海に向かっていた。まだ明け切らぬ早朝、エンジンをかける。住宅街にガラガラという音が響き渡る。

「ごめんなさい。すぐにここから離れますから、しばらく我慢してください」

とご近所の方々に心の中で手を合わせてアクセルを踏んだものだった。
もちろん、私が心の中で手を合わせようが合わせまいが、出る音に変わりはない。心の内で手を合わせるとは、自己満足に過ぎず、何の効果もない。ひょっとしたら、時ならぬ轟音に目覚められた方がいらっしゃったかも知れない。済まぬ。

ところがいまのディーゼルエンジンは、驚くほど静かである。音の質は違うが、騒音という観点から見る限り、ガソリン車とたいして違いはない。車内にいればほとんど気にならない音でしかない。車で落語を聞くのが日常になった私だが、エンジン音が落語鑑賞の障害になったことは一度もない。これなら早朝出立の海釣りにも使えるが、あいにく、その趣味は途絶えている。腰痛持ちで趣味の再開はできるだろうか?

トルクがある。だから、出足も加速も実に気持ちがいい。この車は「エコ」「コンフォート」「スポーツ」の3段階にエンジンを制御でき、私は一番燃費がいいという「エコ」を常用しているのだが、それでも何の不満もない。本日も、首都高から東北自動車道を、パトカーを気にしなければならない速度で、高速運転を楽しんできた。
燃費が悪くなってお金がかかりそうなので「スポーツ」は試したことがないが、スポーツにしたらどんな走りも見せるのだろう。少し貯金をして試してみるか。
そんな気分にさせてくれる。

しかも、中古だというのに、余り古さを感じさせない。悪くすると、この車に10年乗ってしまうかも知れない。

不満はある。
シートの出来が悪い。座面が薄っぺらく、それに体重を座面が分散して受け止めてくれない。主に座面の一番後ろ、お尻の部分で受けるので、長く座っているとケツが痛くなる。前の車のシートは実に良くできていたのに、何でこんな不出来なシートにしてしまったのか。BMWでもコスト削減が始まったか。

もう一つは、中古車だからやむを得ないのだが、シートヒーターがないことである。これ、この季節、私の年代にはどうしても欲しい機能である。なにしろ、この季節に車に乗り込むと、寒い。しばらく走っていないとエンジンが暖まらないから、温風も出てこない。かじかみそうになる手でハンドルを握るのはつらい。後付けのヒートシータがあればいい、と思うし、もし車を買い換えたくなることがあるとすれば、シートヒーター欲しさのためではないか、とも思ってしまう。

色も不満である。グレーというのは、何とも色気がない。横浜の我が家の向かいにお住まいの方は

「これが188万円? 嘘でしょ!」

といいながら、グレーという色を

「やっぱり、この色が一番いいよね」

と褒めてくださった。とてもお世辞とは思えない褒め方で、

「この人、色のセンスが悪いな」

と思ってしまった私である。まあ、その私がグレーの車に乗っているのだが。

というわけで、いまのところ、この中古車に85%満足している私であった。


で、瑛太の算数である。
6日土曜日夜、

「この問題をやってみよ。まだ解けなくてもいいから、どうすれば解けるか考えてみろ」

と課題を出した。しばらく問題をにらんでいた瑛太に

「何を考えているんだ?」

と聞くと、

「こんな問題、おかしいよ」

という。
何故おかしいのかを聞きただしていくと、瑛太の読み方が誤っている。

「瑛太、お前の読み方は変だ」

と教え始めると、瑛太が泣き出したのである。

泣きながら瑛太は、私をにらみつけていた。なんでこんなに難しい問題をやらせるんだよ! と抗議する目であった。
私には私なりの計算があって

「いまはできなくてもいいから、こういう問題の出し方を知り、それを考えながら他の問題を解かねばならない」

と教えたかったのだ。成長を促した、ともいえる。
それが通じないのなら、私に出る幕はない。

まだ9時半頃だったが、私はやむなく、寝室に引き上げて読書を始めた。この状態では教えるなんて無理である。であれば、明日(つまり7日日曜日)に桐生に戻ろうか、と考えながらの読書であった。

瑛太がその私のもとに来たのは、10時半頃だ。

「ボス、明日は頑張るから、教えてください」

では、泣き出したんだ?

「考えても分からないのが悔しかった」

正直、ホッとした。
向学心はあるらしい。問題を克服したいという強い思いはあるらしい。
安心した。

日曜日、改めて同じ問題を読ませた。今度は、問題の構造だけは理解してくれた。もちろん、構造が分かっただけで解けるような柔な問題ではない。細かく場合分けをしていかねば正解に行き着かない難題である。まだ瑛太には無理なのだ。

「だから、こんな場合にはこうなるから、こんな式ができる。次はこうなるから、こういう式をたてる、とわかればいい。春には解けるようになっていような」

と瑛太を解放した私であった。

さて、次はいつ出動要請が来るか。
瑛太と一緒に頑張るボスである。