2018
02.10

2018年2月10日 九州大学

らかす日誌

瑛汰から

「通過算と流水算がよく分からない」

といってきた。瑛汰の進歩を伺わせる話で、少し嬉しくなった。

進歩とは課題を見つけることで始まる。
最初に棒きれを手に持ち、野生動物の捕獲に使ったら便利だろうと思いついた私たちのご先祖は、きっと運動神経が鈍く、不器用で獲物を捕るのが不得意だったのに違いない。だから、いつもお腹をすかしていた。
腹を空かしてピーピー泣く子どもの姿や、

「あんたー、今日も獲物は何もなしかい」

という妻女の鬼のような顔つきからも逃げ出したくて知恵を絞った。
だが、いくら考えても、自分のようなふぬけの男に、立派な身体と俊敏に動く手足を持つご近所の方々と同じほどの獲物を捕れるとは思えない。鬱々と考えながら歩いていて、道に落ちていた棒きれにけつまずいてしまった。

「痛てっ!」

と足を抱え込もうとした時、ふと思いついた。

「けつまずいただけであれほど痛いのだから、これで殴られたら死ぬほど痛いだろうな。気を失うかも知れないぞ。ということは、これでウサギや鹿を殴ったら?」

手で殴りつけるよりはるかにダメージを与えられるはずである。それに、こいつを手に持てば、いわば手の長さが長くなるわけで、少し離れたところから殴りかかることができる。

「使える!」

ということが道具の始まりであったのかどうか、私は知らない
しかし、似たようなことがなければ、突然、ただの棒きれを道具として使うことを思いつくはずはない。

そう、課題を見つけたから彼は進歩できたのである。

勉強も同じことだ。自分が何を理解していないかを発見することから進歩が生まれる。
だが、自分が分かっていないことを知るためには、相当の勉強を積み重ねなければならない。まるで物事を知らないのでは、あるいは勉強もせずに物事を分かっている気になっていては、自分に何が足りないかを見つけることもできない。

そんな大人がたくさんいるような気がする。私だけの思い込みであればいいが。

瑛汰は自分の課題を見つけ出した。ならば、次はそれを解決すればよい。
瑛汰、次にボスが横浜にいた時、みっちり「流水算」と「通過算」をやるぞ!


それはそれとして、私と群馬に不思議な繋がりがあったことを、最近読んだ本で知った。何となく気になっている。

読んだのは、山本義隆著の岩波新書

近代日本一五〇年—科学技術総力戦体制の破綻

である。
山本義隆さんとは、我が世代のヒーローである。私が大学生の頃、東大全共闘議長として、彼の名を知らぬ大学生はもぐりに違いないというほどの著名人であった。近代の知に疑問符を突きつけて反権力闘争の最前面に立つだけでなく、九州大学文学部教授だった滝沢克己さんと往復書簡を交わし、朝日ジャーナルで公開していた。毎週店頭に並ぶのを待ち受け、むさぼるように読んだものである。
その割に、何が書かれていたのかはすっかり忘却の彼方ではあるのだが……。

ま、それは横に置くとして、山本義隆さんは素粒子論を専攻され、将来はノーベル賞を受賞するのではないかといわれる俊才であったらしい。だが、大学闘争を終えると大学を去り、予備校の先生になってしまった。その後は動静がメディアで取り上げられることもなく、

「ああ、研究生活はやめちゃったけど、勉強は続けていたんだな」

と喜んだのは、全3巻の

磁力と重力の発見

が書店に並んだ時である。嬉しさ半分、科学への興味半分ですぐに購入した。最後まで読み通したが、半分も理解できたかどうかは自信がない。

「あんた、理科系だろう。読んだ方がいいよ」

と、かつてデジキャスで机を並べたH氏に貸したまま戻ってこない。あの本はどこに行ったのだ?

それはそれとして、この近代技術史も新聞広告で見てすぐに入手した。富国強兵が国是となった明治時代。欧米列強に追いつくには近代科学・技術を学び、血肉とし、発展させなければならないと、国が主導して進めてきた歴史を、山本さんの視点から読み解いた本である。
余りにも国家権力への反感が強く、部分的には

「そうかなあ」

と首をひねることもあったが、なるほど、科学者とは、技術者とはそのような人種であるかと蒙を啓かれる本でもあった。
その中にあったのである、渡した群馬県、特に桐生を含む東毛地方との縁が。

桐生市を流れる渡良瀬川が、上流の足尾銅山から出る鉱毒を運ぶ川となった「足尾鉱毒事件」をご存じの方も多いだろう。日本で初めての公害事件で、鉱毒を垂れ流したのは足尾銅山である。江戸時代から銅鉱石が採掘され、1877年に古河市兵衛が明治政府から払い下げを受けた。銅は明治時代の日本の戦略輸出品となって生産量が増え、精製、精錬の歳に出るガス、排水に混じる鉱毒が自然だけでなく、人間にも襲いかかった。栃木県の政治家、田中正造が中心になって反公害の動きが広がったが、解決するまでには長い時間がかかった。

その程度の知識はあった。しかし、これは知らなかった。

「九州帝大と東北帝大は、古河市兵衛の寄付によって生まれた。古河市兵衛は、足尾鉱毒問題での世間の非難を緩和するために寄付をしたと伝えられる」(105ページ)

あれまあ。
これまでご報告したことはなかったが、私、九州大学ア・ホウ学部(普通は法学部、と書くのだが)の卒業者である。といっても、九州大学に誇りを持つわけでもなく、九州大学卒の自分を卑下しているわけでもない。母校という思いは強くなく、学友会(確か、そんな名前だった)に入ることもなく、当時の学友とは付き合いもない。単に、

「ああ、あの大学に優秀な成績で入学し、哀れな成績で卒業したなあ」

という程度の意味しか、私の中にはない大学である。それでも、私が卒業生であることに変わりはない。

その九州大学が、古河市兵衛の寄付でできた? こ東毛の地を汚しまくった足尾銅山の利益でできた? 
その大学の不良学生がその後、群馬県桐生市に住むようになった縁の不思議さに驚いたのである。

ちなみに、同じページには京都帝国大学は日清戦争の賠償金でできたとあった。
ま、九州大学といい京都大学といい、こんなことを知っても何の役にもたたないどうでもいい知識である。だが、何かを語りかけてくるどうでもいい知識もあるのである。

ために、今日は駄文を書いてしまった。お許しを。