2018
02.28

2018年2月28日 お薦め

らかす日誌

先日ご紹介した

天人 深代惇郎と新聞の時代」(後藤正治著、講談社文庫)

を読了した。

一言で言えば、甘口の評伝である。個人的感想を記せば、深代さんが持ち上げられすぎている。このままでは、深代さんは愁いを含んだ神様でしかない。

とにかく、深代さんを悪くいう人が一人も登場しない。誰しも、どんなにまっとうに生きようと思っても敵の一人や二人は造ってしまう。それなのに、深代さんにはどういう敵が一人もいないようなのだ。
有名な(と私は思う)秘密テープ天声人語(とは私の命名であるが)で、時の内閣が激怒、官房長官が朝日新聞に厳重な抗議を申し込んだとあるから、敵がいなかったわけではないであろう。しかしこれも、朝日新聞の幹部連中がおたおたしたとはあるが、それでもペンを曲げなかった硬骨のコラムニスト、としのて深代さんを描くための材料にすぎない。

そうそう、この天声人語、お読みになっていない方のために全文を引用しよう。

大きな声ではいえないが、ふとしたことで盗聴テープが筆者の手に入った。驚いたことに、先日の閣議の様子がそっくり録音されているではないか。そのサワリを、こっそりご紹介しよう▼テープを信用できるなら、この日の閣議の話題はやはり田中内閣の人気についてであった。内閣支持率は20%台を低迷し、神戸市長選も敗れた。「“世界の田中”になり、大減税、新幹線計画も打ち出したのに——」という嘆息が、まずきこえた。「やはりインフレが痛い」「評論でなく、案を出して欲しい」。首相の声も心なしかさえない▼そのとき、「ゴルフ庁はどうか」という声があった。「ゴルフ人口は一説に一千万人、低く見ても六百万人。参院選前に放っておくテはない」と、熱弁を振るっている。「『赤旗』もゴルフ記事を出しているね」という声は、官房長官らしい▼「尾崎将司の立候補打診をすべきだ」という人もいた。ゴルフ減税、総理大臣杯などの案が出た。「長官をだれにするかね」「やはりホールインワンの総理兼務でしょう」「いや、本場イギリスでのスコアがお恥ずかしい」と、首相はめずらしく反省の様子だ▼「石原慎太郎君はどうだ」「彼は飛ばしすぎだ」。話はきまらずに、つぎにゴルフ庁の構成に移った。たちまち役所の陣取り競争だ。「バンカーがある」といっているのは建設相らしい。芝生を力説しているのは環境庁長官。農地転用を指摘するのは農相。娯楽遊興税について、蔵相が弁じている▼キャデーの労基法を労相が一席。官庁ゴルフを行政管理庁長官。レクリエーションの元締めだ、とがんばっているのは文相。結局「ゴルフ庁設置に関する審議会」を設けるところで、テープは終わっている。あのテープ、どこにしまったのか、その後いくら捜しても見つからない。
(1973年10月31日)

いやあ、私なんぞは逆立ちしてもかけない名文だ。知性とユーモア、諧謔精神、そのような優れた資質がたった一人の中にこれだけ豊富に詰め込まれていたかと思うと、何だか悔しくなる。こんな人がペンを握った時代を私たちは持っていたのだと考えると、いい時代に生まれたなあ、と嬉しくなる。

それはそれとして、やはり人を描くのなら、全体像を描いて欲しいと思う。
人は石部金吉ではない。仰ぎ見たくなる優れた資質と、笑いたくなる凡庸さ、蹴飛ばしたくなるくだらなさが同居して、初めて人間になる。
非の打ち所がない人なんて、よくできたAI(人工知能)を積んだロボットみたいで親しみが湧かないのである。

「え? あの深代さんにそんな一面があったの?」

と笑い飛ばして初めて、私は深代さんに深い尊敬の思いを抱ける、と思うのである。

などとケチを付けながら、この本を読んで、

「そうか、深代さんの天声人語、エッセイ集をもう一度読んでみるか。紹介されている本で手元にないのもあるから、amazonで古本を捜してみるか」

と思ってしまった私である。著者の狙いは正確に私に届いている。
ということは、この本、やっぱりいい本だ。皆様にも是非ご一読いただきたい。

で、この本にあったもう一つのコラムをご紹介したい。

文科省の英語教育改革の懇談会で、映画字幕翻訳家の戸田奈津子さんが「まず日本語力を磨くべきだ」と強調したという記事を読んで、ウムとひざをたたいた。「外国語を学ぶ前にやることがあるのではないか」、全く同感である▼戸田さんはソルトレークシティ五輪の記者会見で、うまくものがいえない日本選手たちの姿を見て痛感したのだそうだ。「通訳がいても自分が考えていることを表現できないこと。もっと恐ろしいのは、言うべきことがないこと」だといっている▼ソルトレークシティーの場合ではないが、メダルを取った日本選手にインタビューのマイクを向けると「うれしいです」の一言。重ねて何度たずねても「うれしいです」とだけ繰り返すメダリストがいた。「かんべんして下さい」と逃げまわった選手もいる▼……▼なぜ言うべきことがないか、それは頭の中がからっぽだからであり、言葉のたくわえがないからである。たくわえがないから表現する力がなく、表現する方法も知らない。どうしてそうなったのか、答は簡単だ。本を読まないから、読もうとしないからである▼……英語公用語化など先の先の問題である。                                         (2002年2月22日)


深代さんの天声人語ではない。この時、深代さんはすでに亡くなっていた。筆者は産経抄の石井秀夫さんである。この本の411ページから412ページに書けて書かれている。

石井さんは戸田奈津子さんの発言でウムとひざをたたかれたそうだが、私はこの文章でウムとひざをたたいた。
先日、見るともなくテレビで見てしまった、ピョンチャン五輪のメダリストたちの記者会見で、実は同じ思いを持ったからである。それぞれの競技では世界のトップにいるのに、言葉に深みがない。
コラムにあるソルトレークシティー五輪の会見時に比べれば、言葉数は増えているのだと思う。だが一部を除けば、詰まらぬマスメディアの世界に頻出する手垢のついた、意味空疎な言葉が多かった。

「応援、メッセージが力になったし、強く背中を押してくれたかなと感じている」

「メダル獲得はコーチ、スタッフ、所属先の皆様、勝つことを信じ続けてくれたファンの方がいたからこそ」

そんなことはない。競技結果に影響を与えられるのは、本人を除けばコーチ程度である。あとは、勝てば自分が勝ったかのように数日間喜び、負ければあっさりと見捨てる無責任な取り巻きにすぎない。
人様に嫌われまいとしてたてまえの言葉ばかり連ねられると、私はしらけてしまう。

「ホントは違ったことを考えてるだろ? チラリとでもいいから本音、自分の言葉を聞かせてよ」

勝ったのは選手個々人が持って生まれた才能を、信じられないほどの練習で磨き上げ、大舞台でもたたける精神力を身につけたからである。
無論、それをあからさまに自慢する必要はなかろう。だが、そのような選手人生を送ってきたからこその感慨は、一人一人の胸にあるはずである。もし私たちがメダリストの言葉を聞きたいと思うとすれば、世界の頂点に立った者にしか紡げない、そのような言葉を待っているのではないか。
唐突だが、私たちがイチローの言葉に心を動かされるのは、イチローの口からしか出てくるはずのない言葉を彼が発するからである。

取り巻く記者の質問にも唖然とした。スケートの羽生弓弦選手へのものである。

「次のオリンピックで、日本選手団の旗手(主将だったか?)に選ばれたらどうしますか?」

おいおい、そんな質問でどんな答を引き出そうというのか? 羽生選手の言葉なら、何を語らせてもニュースになるってか?

NHKの午後7時のニュースで見た一幕である。こんな質問と羽生選手の答をオンエアするのだから、質問したのはNHKの記者か?
確かに、こんなインタビューアーしかいなければ、選手たちは自分の言葉を持つ努力も必要だとは感じないだろう。
産経抄に学べば、頭の中が空っぽで言葉の蓄えを持たず、早急に本を読まねばならないのは、ジャーナリズムに巣くう人々であるとはいえないか?