2018
05.30

2018年5月30日 事故

らかす日誌

思わぬ事故が起きた。昨夕のことである。ために、新しい拙文をお読みいただく日が1日延びた。そう、事故が起きたのは我がパソコン上である。

このところ、「らかす」へのアクセス数が上向きで、

「であれば、もっと数多く書かねば」

という、義務感と呼べばいいのか、人様により認めていただきたいという自己顕示欲といったほうが正確なのか、まあ、そのようなものに駆られたわけである。
誤解なきように付け加えておけば、このような高揚感は時たま表れるが、長続きしないのが私の特性である。したがって、この高揚感、もっと原稿を書かねばという意識がいつまで継続するかは保証の限りではない。

それはそれとして、だ。
昨夕、私は原稿のほぼ9割を書き終えていた。時計を見ると、もう午後6時を過ぎている。入浴の時間である。

「よし、これから先は夜になって書こう」

と思った私は、「らかす」へのアクセス数などを表示するgoogleの「アナリティクス」というページに移動した。一つのブラウザ(この場合はsafari)を使って作業する私は、ブラウザの上に表示されているタグから、「アナリティクス」を選択してマウスをクリックした。いや、そのつもりだった。

マウスをクリックした。画面に

「このページから離れますか?」

という警告が出た。なぜこんな警告が? と瞬時思ったが、迷わずreturnキーを押した。押したあとで気がついた。ウォーニングが出たのは、それまで開いていたWordPressの編集画面のまま、「「アナリティクス」のタグではなく、その上にある「アナリティクス」のブックマークをクリックしていたのである。つまり、別のタグに移動するのではなく、このページのまま、「アナリティクス」に移動せよ、という命令を下してしまっていたのである。だから、

「まだこのページは編集の途中だが、本当に次のページに移っていいの? これまであんたが書いてきたものは破棄されるけど、それでいいのかい?」

というのが警告の内容だったのである。私は、それに対して

「いいよ」

といってしまったのだ。

「アナリティクス」のページが表示された瞬間、私は自分のミスに気がついた。あれー、やっちゃったよ、とは思ったが、WordPressの編集画面は、なかなかうまく作ってある。編集内容を自動保存する機能があるのだ。

「あ、やっちゃったけど、自動保存されているはずだから、失われた原稿は最後の方だけだよな。そこさえ新しく書けば使える」

そう思ったが、念のためにWordPressの編集画面を開いてみた。そこから「投稿一覧」を開く。ここに、書いた原稿の大半が「下書き」として保存されているはずなのだ。が、愕然とした。
ないのである、原稿が。残っていたのは

「2018年5月29日 ○○」

というタイトルだけ。時間をかけ、頭をフル回転させて書いた原稿は1文字も残っていない!

意欲を失った私は、昨日中の作業を断念した。くそ! という思いのまま風呂に浸かり、晩酌を済ませて夕食を食べ、

「『らかす』は明日!」

と心に決めていつも通り映画鑑賞の時間を持ったのであった。
見たのは

北国の帝王

 鉄道のただ乗りを楽しむ「ホーボー」と呼ばれる失業者と、何故かただ乗りを阻止することに命を賭ける車掌の熾烈な闘いを描く。リー・マーヴィン、アーネスト・ボーグナインという中年のおっさん俳優がいい味を出している。

きみに読む物語

現実にはあり得ないラブストーリー。若者はこんな映画に影響されて

「永久(とこしえ)の愛

などという絶滅危惧種に憧れるんだろうな、という映画で、半分ほど過ぎたところでネタバレしてしまうのが情けない。

であった。


という事故から一夜。昨日書いていた原稿をこれから書き直す。我が家のエアコンである。

私が外出中に、シャープの修理屋さんが再び訪れ、エアコンの修理に取り組んでいた。知ったのは午後4時少し前に帰宅してからである。

「ご苦労様。直った?」

奮闘している修理屋さんに声をかけた。はい、もうすぐです、という返事を期待してのことである。ところが、想定外の返事が戻ってきた。

「これ、エアコンは壊れていません。コンセントがおかしいのです」

そういって彼は、エアコン用のコンセントに持参のドライヤーを繋いだ。

「ほら、動かないでしょう」

確かに動かない。スイッチをオンにしてもウンともスンとも言わない。なるほど、コンセントの不良であったか。

と思いながら見回すと、先週末、まず我が家に来てくれた街の電気屋さんもいる。何で彼が? といぶかっる私に、街の電気綾さんが言った。

「コンセントが問題だといわれてきたんですけど、これ、怪奇現象ですよ」

ん? 我が家で怪奇現象? そんな映画もあったな。ポルターガイスト? エクソシスト?

「ほら、これを見て下さい」

彼はコンセントにテスターを突っ込んだ。

「100Vの電圧が出ていますよね。つまり、このコンセントには電気が来ている。ところが器具を繋ぐと動かない」

そういって今度は気掃除機のプラグを突っ込んだ。スイッチを押しても、確かに掃除機は動かない。

「電気が来ているのに電気器具が動かない。長年電気屋をやってますが、こんなの初めてです。あり得ないでしょ、こんなこと?」

確かにあり得ない。ここは呪われた家か?

シャープの修理屋さんが口を挟んだ。

「電圧が来ていても電流が来ていないんです。だから動かないんです」

電圧があっても電流がない? そんな馬鹿なことがあるか! あんたは物理学のイロハのイが分かっていないんじゃないか!?
と怒りがこみ上げたが、待て待てしばし我が心。我にはそこまで正しい物理の知識はないはずである。ここで怒声を発し、あとで間違いが判明すれば我が知性の評価は地に落ちる。これは確かめてからでなくては怒声を発する場面ではない。

私は直ちにネットで

「電流 電圧 関係式」

でググった。直ちに出てきた。

(電圧)=(電流)×(抵抗)

である。やっぱりそうだ。これが物理の常識である。この式に寄れば、電流がゼロであれば、ゼロに何をかけてもゼロという数学の常識の間違いが証明されない限り、電圧はゼロになる。おいおいシャープの修理屋さんよ、シャープの家電品はこの物理学,数学の常識を否定することで生まれたものなのか?

とは思ったが、怒りは時間がたつと治まる。真実を知った私は冷静に戻っており、冷静に話すことが出来た。

「とすると、シャープさんにはもうやってもらうことはないわけですね。わざわざ前橋からご苦労さまでした」

かくして役にたたない人物を送り出したあとは,街の電気屋さんとの対話になる。

「やっぱり、お祓いでもやった方がいいのかね。神主さんに知り合いがいないわけでもないし」

などと雑談をかわしながら、彼はコンセントを分解し、一口だったのを二口のコンセントに取り替えた。2つの口の一方にテスターを差し込む。100Vが出る。もう一方に、掃除機を差し込む。動かない。動かないばかりか、テスターの数値がスウーッと下がった。

「あれあれ、怪奇現象の第2弾ですかね」

しかし、この世に怪奇現象などないというのが現代人の常識である。もし多数の怪奇現象がのっこっていたら、ニュートン以降の物理学者はすべてアホだったということになる。

「配線ですよね、疑わしいのは」

壁の内側に納められている配線コードがどこかで切れかかっているか、接続が外れかかっている。それが彼の見立てであった。

「でも、だったら電圧は出ないはずだよね。それに、器具を挿すと電圧が下がることも説明できない」

「だけど、他に思いつかないんですよ、原因を。こんなこと、長年電気屋をやってますが初めてなんで」

こうして彼は、配線のやり直しを検討し始めた。が、壁の中を通っているケーブルをそっくり取り替えるのは至難の業である。壁を剥がせばいいのだろうが、それでは大工事になってしまう。

「しょうがないね。部屋の中に新しいコードを這わせていいよ。みっともないけど、どうせここ、俺の家じゃないし。見た目より実質本意、一刻も早くエアコンが動くようにしてもらわないと困るから」

彼はすでに取り外してあったエアコン用のコンセントからケーブルを外し、引っ張り始めた。プロとして、壁の中にある古いコードをそのまま新しいケーブルに取り替えられないかの検討作業だと推察される。このケーブルを引っ張ってズルズルと引き出せるようなら、このコードの反対側に新しいケーブルを繋いで一緒に引っ張ればそっくり取り替えることが出来る。

「あれ?」

そんな言葉とともに、彼はそのコンセントのすぐそばにあったパネルを取り外し始めた。何かコードの引き出し口のようなものが見えるが、コードは出ておらず、何のためにあるのか分からなかったパネルである。

「これですよ。うわー、これはひどいな!」

姿を現したのは、一部焼け焦げたケーブルと接続器具であった。

「これが原因に違いありません!」

街の電気屋さんによると、外したばかりのパネルの下から出てきたのは屋内配線ケーブルである。とすると、もとはここにコンセントが取り付けられていたに違いない。ところがエアコンを取り替えた時にこのコンセントが使えないことが分かった。シャープのエアコンはプラグの足の1本が「」型になっており、普通のコンセントには差し込めない。そこでエアコンの設置業者が新しいコンセントを取り付けた。
もとからあったコンセントとそっくり取り替えておけば何の問題もなかった。ところが、この業者が持っていたコンセントはサイズが小さく、もとからあったコンセントと取り替えると壁に隙間が出来る。そこで業者は考えた。

「新しいコンセントは違う場所に取り付け、ケーブルを繋ごう」

こうして新しいコンセントの場所に穴が開けられ、壁の中に短いケーブルが配されてもとのコンセントの場所まで延ばされた。そこで壁の中にあるもともとのコードと結線されて、もとのコンセントの穴はパネルで塞がれた。
これが、エアコン取り付け業者がやった工事の全貌であると見られる。

「ところが、です。相当にいい加減な業者のようで、結線がちゃんとやられておらず、一方が外れかけていたんですね、ほら」

見せられたコードは一部が焼け焦げていた。

「ここの接続がおかしくて熱を持って燃えたんでしょう。このままだったら、火事になってもおかしくなかった。早めに見つかってよかったですね」

そうえいば、である。数ヶ月前、このエアコンの電源を入れた我が妻女殿が

「なんか臭いんだけど」

とおっしゃっていた。そうか、エアコンの内部にカビが生えたのかな。夏になる前に掃除をしなきゃ、と思っていたが、あれはカビではなかったらしい。壁の中でケーブルの被覆が燃えていたのである。たしかに、それなら有毒ガスが発生して臭いはずである。

「いやあ、ということは命拾いをしたわけだ。見つけてくれてありがとう」

素直に感謝する私に、電気屋さんはいった。

「いや、私もいい経験が出来ました。エアコンが動かない時にはコンセントや配線も疑わなきゃいけないんですね。これからの仕事の役にたちます。こちらこそありがとうございます」

そうか、電気屋さんが私に感謝するか。
それなら

「それほど貴重な体験なら、授業料を置いていってよ」

かくして、我が家のエアコンは正常に動き始めた。昨夜はエアコンの冷気を楽しみながら映画鑑賞に浸った私であった。

という原稿のほとんどが(表現の仕方は全く変わってしまいましたが)、昨夕、瞬時に消え去ったのである。これを事故と呼ばずして、何を事故と呼べばいい?

以上、朝からのレポートであった。