2018
06.08

2018年6月9日 町おこし

らかす日誌

突然だが、町おこしについて書きたい。
読者の皆様にとっては突然だが、私にとってはそうではない。昨夜の飲み会で何故か桐生の町おこしが話題になった。まあ、私もその町おこしとやらをなんとかしようと思っている一員と見なされていることもあって、その席でふと口にしたことを記憶にとどめるため、いわば備忘録としてここに記録しようというのである。

話は飛ぶが、1990年前後、私は経済企画庁の担当だった。政府にあってマクロ経済を所管するこの役所は、毎年年末になると経済見通し、つまり次年度の経済成長率を見積もる。といっても、正確に先を見通せる能力を備えて人間がいるはずもなく、鉛筆をなめる作業になるのが通例だと思うが、しかし、この経済成長率の見積もりは次年度の税収を予測する基礎となる。経済企画庁の成長率予測をもとに当時の大蔵省が次年度の税収を予測し、それをもとに予算を編成する。必要な額から税収を引いた金額は国債を発行することでまかなうのだから、経済成長率が高ければより多くの税収を見込むことになり、国債発行額が減る。だから、その見積もり数字を巡って省庁間の綱引きがあるのは毎年のことである。

それはそれとして、私がそのポストにあった時期は日本経済の曲がり角であった。80年代、空前のバブルに踊り、Japan as No.1などといわれて舞い上がっていた日本経済は、大蔵省の金融引き締めを堺に急速に陰り、失われた10年、20年といわれる時代に突入する。

といっても、バブルに慣れ親しんでいた人々が、即座に曲がり角を感じ取っていて訳でもない。なーに、日本経済はちょっとけつまずいた程度で、時ならずしてもとの姿に戻るさ、程度の認識が一般的であった。そして、私もその一員であったことは間違いない。

しかし、バブルはまだまだ続く、日本経済はもっと大きくなる、とは思っていたが、では、日本経済はどこまで大きくなるのか? 特にきっかけはなかったが、ふとそんな疑問が私のうちでわき起こった。

当時、日本のGDP約500兆円であった。日本は1年間で、500兆円もの新しい価値を生み出している。国内だけでは溢れてしまうような金額で、そのジャパンマネーがアメリカでも欧州でも大暴れしていた。
経済の成長はGDPで測る。日本経済がさらに成長するとは、500兆円が550兆円になり、600兆円、700兆円……、と膨らんでいくことだ。700兆円になるのなら、当時からすれば4割の経済成長である。そこまではひょっとしたら可能かも知れない。でも、800兆円になるか? 日本のGDPが1000兆円の大台に乗る日が来るのか? そんなことが頭に浮かんだのである。
そこまで考えると、別に根拠もないのだが

「こんだけお金が飛び回っている今の日本経済が、いまの2倍の規模になる? そんなことはあり得るのか? いや、あり得ないと考えた方が正解に近いのではないか?」

という気がした。
気がしただけで、前にも書いたが別に根拠はない。経済学を学んだわけでもない私は、経済成長を予測する計算式も知らなければ、その計算式にどのような数値を入れて計算するのかも知らない。ましてや、その計算式の有効性なんてことになると、もう五里霧中である。
つまり、単なるに過ぎなかった。

素人の「勘」ほど当てにならないものはない。と思った私は、専門家の見解を聞いてみることにした。自分が分からないことは専門家に遠慮なく聞く。それが私の処世訓である。そして、経済の専門家なら、当時の私の周りには掃いて捨てるほどいた。なにしろ、経済企画庁の記者クラブに毎日通うのが私の仕事だったのである。

「と思うんだけど、あなたは日本経済が1000兆円になると思いますか?」

誰に訊いたのか、今となっては記憶にが薄い。だが、聞いたことは事実である。そして、私に問いかけられた経済企画庁の専門家が、

「えっ」

と言ったなり、絶句したのも事実である。
その絶句を見ながら、私は次の問いを発した。

「あり得そうにないよね、1000兆円。だとすると、日本経済はっどこかで曲がり角を迎え、ある時点からはGDPが縮む、と考えなくちゃいけないんじゃないの? いまの国の政策は、日本経済がどこまでも伸びることを前提に組み立てられている。でも、そろそろ日本経済が縮むことを前提とした政策のあり方、GDPが小さくなる中で国民が豊かになるにはどうするかを考え始める時期なんじゃないかな」

そんな問答をかわしてから、日本のバブルが潰れたことを思い知らされる日まで、それほど時間はかからなかった。

いや、自分の先見の明を誇るためにこんな分を書き手いるのではない。単なる「勘」を、たまたま当たったからといって

「先見の明あり」

と誇るズーズーしさを私は持ち合わせるものではない。もっと奥ゆかしい人物である。

では、なぜこんな昔話を書いているのか。
世の中の流れは必ず変わる、ということを強調したいためである。そして、世の中はいつか変わるからこそ、地方都市を再生しなければならないと考えるからである。


と、ここまで書いて今日の飲み会に出かける時間になった。申し訳ない。もう迎えが来た。出る。
ということで、この続きは次回までお待ち願う。明日から横浜に行くので、次回は早くて月曜日11日になる。
乞うご期待……?