2018
06.13

2018年6月13日の2 いまだに

らかす日誌

動揺が続いていたらしい。
ひょっとしたらお気づきかも知れないが、昨日書いた日誌の日付が、なんと13日になっていた!

今日気がついた。知らぬ顔をして直そうかとも思ったが、いや、この動揺振りは記録に残しておいていた方がいいと判断、今日の日付を「13日の2」とした。
重ね重ねの失態続き。皆様、お笑い下され。

今日は所用で市役所まで足を運んだ。
所用とは、国民健康保険である。

私はいまだに、朝日新聞健康保険組合の組合員である。この組合は、離職しても2年間は組合員でいることが出来る。だから独立してもいまだに組合員のままなのだが、私が

「もうお前なんていらないからね」

と会社から冷たい一言を浴びせられたのは2016年8月。それから2年、つまり、今年の8月で健保組合からも

「もうお前なんていらないからね」

といわれてしまうのである。
医療保険なくしては暮らしの安全は保てない。特に我が家は妻殿が難病の保持者である。かなりお金のかかる治療を受け、薬を処方されているので、払っていた保険料以上の金が保険から出ていることは疑いない。無保険になれば、毎月の医療費、薬剤費は、ひょっとしたら10万円を超すだろう。妻女殿と2人、一家心中に追い込まれる金額である。

ひょっとしたら

「そうか、お前たち、心中するか。それは目出度い!」

とおっしゃる方もあるかもしれぬが、そのような人非人はこの際無視する。

で、組合健保を離れると、選択肢は2つになる。
国民健康保険に入るか。
いま自営業としてやっているLabo-dを会社組織にし、社会保険として支払うか、である。詳しいことは知らないが、会社組織にすると年間10万円を超す費用がかかるらしい。その費用を支払った上で、健康保険の負担をしなければならぬ。

つまり、どちらにした方が健康保険に関する支出がより少なくて済むか、が判断の分かれ目になる。その判断をするには国民健康保険に加入した時の負担額を知らねばならぬ。それが、市役所に出向いた用件であった。

「あ、そうですか。何か本人確認が出来るようなものをお持ちですか?」

窓口の兄ちゃんに促され、私は運転免許証を差し出した。そして待つ。

プリンターから出てきた紙によると、前年度の私の所得をもとにはじき出した今年度の国民健康保険税の額は、年間で29万5700円とあった。月額2万4642円である。

「高い!」

これまでの組合健保では、毎月の負担額は確か1万5000円程度である。ということは、職を失い、所得が下がったにもかかわらず、健康保険の負担額は2倍近くに跳ね上がる。

「おかしな制度だねえ」

とは、独り言である。

そもそも、である。国民健康保険の加入者は自営業者、農家や主婦、未成年の学生、会社を退職した人、などである。まとめていえば所得が少ない社会的弱者であり、サラリーマンとしての現役生活を終えた高齢者である。所得が少なくても、病気をする確率が下がるはずはない。そこに、私のような、現役を終えた高齢者が加入して病気をしまくる。いってみれば、どうしても支出が多くなる(高齢者の比率が高いから)という構造的な問題を、国民健康保険は抱えているのである。
現役サラリーマンはまだ相対的に若いから、病気をする確率も低い。だから健保からの支出も少なくて済むわけで、社会保険は保険料が低くてもやっていけるわけだ。

本当におかしな制度である。不公平な制度である。とは思うが、我が国にはそれしか備えがない。いっそのこと、医療費に関わるすべての保険を一本化すれば社会的公平が保たれていいと思うのだが、今よりも保険料負担が上がる側から反対ののろしが上がって、多分出来ないのだろうなあ。

というわけで、私の負担はどちらが安くなるのか。それを今日、Labo-dの税務をお願いしている税理士さんに判断を委ねた。彼が計算して、私の負担が少なくなる方を選んでくれるはずである。

という一日であった。さて、このような動きを始めた私の快復率はどの程度に達したのだろうか?