2018
07.28

2018年7月28日 何とか……

らかす日誌

桐生では先ほど(午後4時頃)から風が強まってきた。台風が近づいているらしい。皆様のお住まいになっているところはいかがでしょうか?

さて、ご心配をかけた(?)問題の体調である。完璧とはいかないが回復途上にはあるようで、一息ついている。

昨日は、産官学が集う定例の飲み会であった。予定は20日ほど前から分かっていたが、その飲み会が近づいて突如私を襲ったのが体調不良である。3月以来久々だから心待ちにしていた飲み会だが、さて、参加して大丈夫だろうか? まず、それが問題であった。

そもそも、今回の体調不良の始まりは、わずかのビールで酔ってしまい、醜態を演じることはなかったが強烈な眠気に襲われたことであった。以来、酒との付き合い方をあれこれ考えてきた私である。

つまり昨日は、飲み会に参加するか否か、参加しても酒を口にするかどうか、2つの課題を突きつけられていたのである。

いや、一つ目の課題は、考え込むこともなかった。今回の飲み会にはニュー・カマーを一人誘ってあった。であれば、私のいない席に彼だけを追いやるわけにはいかない。やはり私が付き添って、出来る限り多くの人に紹介しなければならぬ。つまり、飲み会に参加しないという選択肢は、私の体調とは関係なく存在しなかった。

参加する。では、酒をどうするか?
優れぬ体調のためか、それほど酒を飲みたいという気は起きない。であれば、飲み会は酒抜きで参加するか? それも一案である。
そう思った私はニューカマーを含めた2人に電話をかけ、私の車で拾って飲み会場に行った。酒を飲まないのであれば、帰りも自分で運転できる。

飲み会が始まったのは午後6時半。目の前には冷や奴と生ビールが置いてある。

「どうする?」

目を前に向ける。私が誘ったニュー・カマーが美味そうにビールを飲んでいる。そうか、生ビールって美味いんだったな!
そう思った瞬間に、私の手も生ビールに伸びていた。えーい、何倍飲めるか分からないが、飲めるだけ飲めばいいじゃないか。途中で眠くなったら別室に引きこもって寝よう。帰り? 運転代行を頼めばいいさ。

決死の覚悟で飲み始めたビールであったが、1杯目を飲み干すとすぐに2杯目がやってきた。3杯目も向こうから来た。

「ん? 何だ、飲めるじゃないか!」

4杯目からは自分で取りに行った。そばに置かれていた日本酒には手を伸ばさなかったが、さて、ビールを何杯飲んだだろう? 8杯? それとも9杯か10杯!
何のことはなく、5杯目ぐらいからはすっかり陽気になって周りの人と談論風発の私であった。
ふむ、だいぶ回復したらしい。

10時頃家に戻り、映画を1本鑑賞して就寝。暮らしのリズムだけは元通りである。
だが、体調はまだ完璧ではない。何となく気力が続かない。もちろん本は読むが、途中で何となく億劫になる。瑛汰を指導するため中学入試の算数問題に取り組むが、1時間も考え続けると休みたくなる。では休んで何をするかと行っても、したいことがない。パソコンゲームも何だかかったるい。加えて、まだたばこが美味くない

というのがいま現在の体調である。回復率は80%程度、というところだろうか。
 

飲み会で体調の話をしていて、聞いてくれた人の全員が

「それ、冷房病ですよ」

といった。冷房病。冷気に長時間身体をさらした結果、自律神経が狂ってしまって体温調節などがうまく行かなくなったというのである。
そうかも知れない。だって数日前までは、冷房で冷やさなければ眠るに眠られぬ熱気が続いていたから、私は25℃、26℃に設定したエアコンを朝までかけっぱなしで寝た。タイマーを使ってエアコンを消すと、きっと暑さで目が醒めてしまう、と危惧したからである。その結果、自律神経が狂ってしまった……。

だけどなあ、眠るためにはそれ以外の選択肢はなかったし、ということは避けられぬ病であったということか。
昨夏までだったら、それでもなんとか乗り越えることが出来ていたと思うが、69歳とはそのような年齢であるか。

8月3日から5日までの桐生祇園祭で、昨年に続いてカメラマンを頼まれた。昨夏のようにすべての行事に付き合うのは体力的に無理だとお断りしたが、

「記録に残しておきたいシーンだけでいいから」

と押し切られた。
さて、何事もなくても夏の暑さに弱くなった我が身体である。いまの症状が冷房病だとして、その後遺症が祇園祭までになくなるかどうか。

ほんと、何事も自分の身体と相談しなければならなくなった、情けない思いを抱えつつ暮らすいまの私である。