2018
08.10

2018年8月10日 備えあれば

らかす日誌

台風のその後をご報告していなかった。

私が万全を期して台風13号の襲来に備えたことは前回お伝えした。備えあれば憂いなし。余裕を持って台風本番といわれた9日の朝を迎えた私であった。
目覚めたのは7時過ぎである。予報通りなら激しい雨と風が吹き荒れているはずだった。寝ぼけ眼で耳を澄ます。といっても、右耳は難聴でいつも耳鳴りがしているから、左耳に頼るしかない。来たか、台風13号? 何か聞こえるか?

何の音も聞こえない。布団から起き出して駐車場に面した窓の障子を開けた。何と、雨の「あ」の字もない。空は曇っているようだが、風もそよ風程度である。どうした、台風13号?

朝のNHKニュースにチャンネルを合わせた。何ということだ。台風は本州をかすめて再び太平洋に抜けているではないか。テレビは関東上陸の恐れ、なんてほざいていたが、またまたオオカミ少年を演じただけに終わった。こんなことが続くと、本当にオオカミが来た時に少年の

「オオカミが来た!」

を誰も信じなかったように、台風予報は誰も当てにしなくなるぞ。

とテレビを罵りつつ、でもあれだけの台風準備をした私は、何だか残念なような、本当は台風が来た方が嬉しかったような、不思議な気分を味わったのであった。
まあ、各地にたいした被害が出なかったことを持ってよしとしておこう。

体調がだいぶ戻ってきた。身体を出来るだけ休めたことと、酷暑が一段落したことのダブル効果であると思う。
しかし、である。体調不良とはこのようなことか、という体験をした。体調が良くないと、何事にも意欲が湧かないのである。

横浜の瑛汰と一緒に算数の勉強の取り組んでいることは何度もご報告した。算数の問題を解き、瑛汰に解かせた方がいいと思える問題を選び出すためである。それに頭の老化防止の効果もあるだろうし、解いていると楽しくないこともない。
問題集はいろいろ使うが、一貫して取り組んでいるのは月刊の「中学への数学」だ。高校時代、「大学への数学」に挑んでみたが、入り口で挫折してしまったコンプレックスが、同じ出版社によるこの雑誌を手に取らせているのではないか、というのが私の解釈である。

で、いまは9月号が手元にある。時間がある時、一大ずつ解き進むのが今年度の私の日常となっている。
夏祭りが終わったあと、

「土日も働いたんだから、しばらく自主休日としよう」

と心に決めた。休日となると、仕事に絡むもことは一切しない。となると膨大な時間を好き勝手に使えるわけで、算数に取り組まねばならない。
そう思って、「中学への算数」9月号を取り出し、レポート用紙を開いて問題を読み始めた。不思議なことが起きた。問題を読むのが億劫なのである。
例えば

「池の周りにある1周420mの道をA、B、Cの3人がそれぞれ一定の速さで歩いて回ります。この道のある地点を3人が同時に同じ向きに出発しました。出発してから4分40秒後にはじめてAがCを追い越し、出発してから8分24秒後にはじめてAがCを追い越しました。
 (1)はじめてBがCを追い越すのは出発して何分何秒後ですか。
 (2)Bがこの道を歩いてちょうど6周回る間に、Aに3回追い越され、Cを2回追い越しました。Bの歩く速さは毎分何mと何mの間ですか。ただし、Bが6周回った時、AとCは出発地点にいません」

この問題文を読むのが、限りなく面倒に感じられるのである。それでも読み始めると、目は確かに活字を追っているのだが、中身がちっとも頭に入らない。3人がどの位置関係、速さの関係にあるのか、イメージが浮かばない。さて、どこから手をつけたらこの問題が解けるのか、手がかりが見つからない。しばらく問題文を眺めていると何となく頭が疲れてくる。

ふっ、これが体調が悪いということか。

頭がほぼ正常に動き始めたのは昨日からである。動き始めれば先の問題は、追いつくとは同じ時間で420m余分に進むことであり、そこから3人の速さの関係を導き出せばよいことがすんなり分かる。Bがちょうど6周した時、他のふたりがゴールにいないということは、ゴールの手前かゴールの先にいるということで、Bとどれだけの差がついたかを考えれば、Bの分速の範囲が導き出せる。

戻って良かった、体調! 悪いままだったら、瑛汰からの算数の相談にも応じられないところであった。

明日から数日、横浜に行く。横浜では瑛汰の模擬試験の付添を務め、あわせて立体の切断問題に2人で取り組む予定である。表向きは私が瑛汰に教えることになっているが、瑛汰は最近、

「絶好調!」

なのだそうだ。ひょっとしたら私の方が、

「ボス、こんなことも分からないの?!」

と追及されるかも知れない。男子一日会わざれば刮目して見るべし、というが、瑛汰の年頃の子どもの成長は早い。私、瑛汰に叱咤されるのかな?
それがが楽しみでもある私である。