2018
10.04

2018年10月4日 調査

らかす日誌

昨日、旧ソ連の映画監督、エイゼンシュテインのことを書いた。そして予定通り、夕食を終えると「イワン雷帝」を見た。
見ながら、不思議な気分になった。昨日書いた日誌の一部を思い出したからだ。

メキシコ万歳」(1979年)

そう書いた。えっ、1979年って、エイゼンシュテインってそんなに長生きしたんだっけ? 「戦艦ポチョムキン」が1925年、「イワン雷帝」は1944年。
1979−1925=54
25歳でポチョムキンを撮ったとして、「メキシコ万歳」は80歳に近いときの作品か?

見終えて、エイゼンシュテインをググってみた。1898年—1948年。50歳で没するとはやけに早死にだが、やっぱり1979年までは生きていない。とすると、データベースに制作年を記入したとき、私が間違ったか?

今度は「メキシコ万歳」をググった。なるほど、1930年にハリウッドが資本を出して撮り始めたが、途中で双方が対立して中断、死後に残されたフィルムを、撮影時に助監督だったグリゴリー・アレクサンドロフが再編集して公開したのだとあった。これで計算が合った。

にしても、1930年といえばソビエト革命から12年。アメリカなど西側の国はソ連を潜在敵国として憎悪をたぎらせていたはずである。それなのに、ハリウッドが金を出して、エイゼンシュテインに映画を撮らせた? 1929年までの作品は「十月」(1928年)を除いてすべて見たが、どれもこれも共産主義革命賛歌の映画ではないか。それなのに、リウッドが金を出した……。

1929年のアカデミー賞作品賞は「つばさ」である。それほど優れた作品だとは思わないが、空中戦の特撮はそれなりに見応えがあった。また、人物造形も、少なくともエイゼンシュテインの作品よりも多面性があると思う。
そんな映画が国内で出来ているのに、潜在敵国で、共産主義万歳を描き続けているソ連の監督に映画を撮らせる。ハリウッドに共産主義者がいたということなのか?

誰が、なぜそのような企画を立てたのか。ソ連は何故にそれを認めたのか。そのあたりの知識は皆無だが、歴史とは面白いものである。

昨夜見た「イワン雷帝」。やっぱり予想に違わず、善玉、悪玉がはっきりした深みのない映画で、しかも、やたらと目玉をむき出し、大げさな身振りを繰り返す舞台演劇をそのまま撮影したような演技が延々と続く。正直、見ているのがつらかった。

テーマはロシアの統一である。貴族たちが己の都合でロシアの国土を外国に売却したり、外国と手を結んだりしている状況にしびれを切らしたイワン4世が強権を振るい、国益に反する貴族を弾圧して「統一ロシア」を作り上げる物語だ。第1部は、スターリンが高く評価したのでソ連国内で公開されたという。ということは、スターリンの政治とは専制君主の真似であったか。
そういえば、イワン4世は

「すべての権力は人民に発する」

などと何度も口走った。まさかイワン4世の時代にそんな意識が生まれているはずもない。あらゆる映画は、制作されたときの時代、国を反映せざるを得ないということか。

第2部では、イワン4世が、従わぬ貴族たちの粛正に乗り出す。自ら手を下すわけでなく、側近を自認する部下が裁判抜きで殺すのだが、これがスターリンの激怒を誘ったらしい。全く同じ政治手法を使っていたから、

「この映画は俺に対する批判か!」

とでも思ったか。
映画では、粛正した結果、国はうまく動くのだから問題ないと思うが……。

いずれにしても、ソ連の歴史を知りたいと思わなければ、見る必要はない映画であると私は思う。

今日の予定はチェーホフの短編を下敷きにした1976年の

機械じかけのピアノのための未完成の戯曲

と、1959年にショーロフの短編を元につくられた

人間の運命

の2本を見る予定である。制作年からみて、エイゼンシュテインの映画とは違うだろうと期待しているが、2本ともソ連時代の映画だから、どこまで期待していいものかどうか。
エイゼンシュテインの映画はそれでも、歴史資料としてフォルダに残したが、これからはつまらなければフォルダから外すことにしている。