2018
10.11

2018年10月11日 ご無沙汰

らかす日誌

しばらく日誌をサボった。
5日から9日まで横浜に出かけていて、加えて少し仕事がたて込んだためである。許されたい。

さて、横浜行きはもっぱら留守番役とアッシー君役を頼まれてのことであった。なんでも次女が土曜朝から出かける用事があり、ついては瑛汰の塾の送り迎え、璃子との留守番を頼むということで、途中7日の日曜日はリコールになった愛車を横浜のディーラまで持ち込み、その足で長男の嫁とその長女あかり、それに次女と璃子との4人で昼飯を食べた。川崎のラゾーナである。

あかり1歳半。つい先日、10日ほど入院した。親の付き添いは認められず、可愛そうなことに毎日の大半は親と離れ、病院暮らしをした。が、久しぶりに会ったあかりはそんな様子はみじんも見せず、長男の嫁が持参した昼食を完食し、そのあとはラゾーナの広場で汗をかきながら走り回った。付き添いはママと璃子。私にはそんなエネルギーはなく、腰を下ろして見守った。入院で心配していたが、元気な様子にホッとした。

そのあかりが今週土曜日、我が家に来る。えっ、あの元気さが来る!? 振り回されるのは今から目に見えている。あかりについて行けるかどうか、今から心配している老夫婦である。

さて、前回の日誌で旧ソ連の映画監督、エイゼンシュテインのことを書いた。横浜から桐生に戻り、我が家にあった残りの2本、「十月」と「メキシコ万歳」を見た。見たが、この監督が映画史に残る名監督であるという世評がどうにも飲み込めない。

十月」は、ロシア革命を描いた映画である。かつてはあるあこがれを持って見たたこともあるロシア革命である。ほんの少しは期待を持って見た私だが、30分もしないうちに、

「なんだ、これは!」

と唖然とした。これ、映画というのかな?

1917年、ロシアは2度の革命を体験する。2月革命と10月革命である。この映画はその歴史を追うが、これ、ある程度ロシア革命の知識がないと、見ても理解できないのではないか。なにしろ、映像に一貫した流れがなく、瞬間、瞬間の映像しかない。いわば、カットの寄せ集めである。飛び離れたシーン同士を繋ぐのは字幕である。
確かフィンランドの首都ヘルシンキでのレーニンの演説など貴重なシーンが多数あることは認めるが、幸い撮影できていた映像をつなぎ合わせ、それを字幕で繋いだだけの拙い映画、といってもいい。
加えて、ストーリーと関係がないシーンが思い入れたっぷりに流される。2月革命で臨時政府が出来ると、閣議に出る連中が階段を上る姿が何度も繰り返される。登っていく閣僚はそれぞれ違うにしても、人が階段を上るシーンを一人一人見せるのにどれだけの意味があるのか。
彫刻が思い入れたっぷりに10秒近く画面に出続けたり、跳ね橋の手前で射殺された馬車馬が跳ね橋に持ち上げられ、やがて身体の重みで馬車から離れて落ちるシーンも、多分、この馬に象徴させたいものがあるのだろうが、くどい。

私が入手した海賊版の映画「LET IT BE」には、映画に使われなかったカットが合計5時間分ほど収録されている。「十月」はまるでそのカット集のような映画である。これが巨匠の手になる映画なのか? 単なる記録カットの寄せ集め以上のものに仕上がっているのか?

メキシコ万歳」を、彼の最高傑作という評も見たことがある。だが、これが最高傑作ならたいした監督ではない。
メキシコの人たちが踊ったりボートに乗ったり、暮らしを楽しんでいる様子が次々と映し出される。がらりと変わるのは20世紀初頭のメキシコに画面が移り変わってからである。当時のメキシコは支配階級と被支配階級が対立しており、その象徴としてある一家が描かれる。
使用人が結婚した。それからしばらくして、その一家で祝い事があった。客が大勢集まり酒を飲んでいるうちに、酒に酔った客の一人がその使用人の新妻をレイプする。怒った使用人たちは主人の銃を盗み出し、銃撃戦で反抗するのだが、やがて鎮圧される。
映画はここで終わる。ハリウッド資本に招かれてこの映画を取り始めたが、意見の対立で中断され、ここまでしかフィルムが残っていないらしい。そして、残されたフィルムを編集した男が画面に現れ、エイゼンシュテインが描きたかったことを説明するのだが、それによると、支配階級に弾圧され続けたメキシコの民衆が立ち上がって革命を起こしたため、映画の冒頭で描かれた「楽しいメキシコ」になったのだというストーリーだったようだ。

それぞれのシーンの描き方も拙いの一言ですむ。それより何より、私は1987年にメキシコシティーに行ったが、あれが民衆が幸せを謳歌する国なのか。車の乗っていると、信号待ちするたびに子どもがワラワラと寄ってきて硝子を拭く、ものを売りつける。そうしなければ、彼らはその日の食事にもありつけないのだろう。エイゼンシュテインはそんな社会を理想として描きたかったのか。

単なる

「革命万歳!」

の映画である。

造反有理 革命無罪

とは、大学生時代に納得したスローガンである。だが革命が無罪であっても、革命後の社会が無罪であることを保証しはしない。旧ソ連は言うに及ばず、今の中国、北朝鮮を見れば、実は革命を起こすことより、革命後の社会を建設することの方がはるかに難しいことであることが分かるではないか。

エイゼンシュテインはロシア革命の成功に躍り上がっていたのだろう。だから、メキシコまで出かけて革命万歳の映画を撮りかけた。だが、その後ソ連社会がどうなったかはみなの知る通りである。彼に足りなかったのは、自分が生きるソ連という社会の先行きを見通す目であった。

そんな曇った目しか持たない映画監督を、映画史に残る巨匠、と呼ぶ映画の専門家を自認する人たちがいる。世の中とはおかしなものである。