2018
11.16

2018年11月16日 読書その2

らかす日誌

日本を決定した百年」(吉田茂著、中公文庫)

を読んだ。これも「天皇と東大」で紹介されていた本である。最近の私の読書は「天皇と東大」の支配下にある。まあ、それほど影響を受けたのだから、凄い本であるということなのだろう。

で、「日本を決定した百年」は、第45代から51代までの内閣総理大臣を務めた吉田茂の著である。

「へーっ、元総理の本ね」

という物珍しさもあり、とりあえず読んでみたわけだ。
なんでも、エンサイクロペディア・ブリタニカの付録として出されている補追年鑑の巻頭論文なのだそうだ。あのエンサイクロペディアが日本の元総理大臣に巻頭論文を依頼する。イギリスの元首相、チャーチルの文才は有名だが、吉田茂にも文章の能力があったのか。そんな驚きがあったためである。

後書きで、実はこの文章を書いたのは吉田茂ではなく、高坂正堯氏が代筆したのだと知った。高坂氏はもと京都大学教授。「文明が衰亡するとき」などの著作でも知られる保守派の文筆家でもある。私も何冊か読んだ記憶がある。
そうか、うまく明治以降の近代史がまとめてあると思ったが、著者は違ったのか、とやや拍子抜けしたが、高坂氏の手になる近代史ではなく、後半に納めてある「思い出す侭」(まま)」というエッセイがすこぶる面白い。昭和30年(1955年)に「時事新報」に連載されたものとあるが、書いたのはインタビューした記者であったとしても、語ったのは吉田茂である。そこには、戦後の激動期に日本を率いた男の、体験から学んだ政治哲学がちりばめられていて、いまの下らない政治家どもに読んで聞かせたくなるのである。

そうそう、いま財務大臣の麻生太郎さんは、吉田茂の孫に当たるのであった。この方、いま少し、祖父に学ばれてはいかが?

例えば、日米開戦のきっかけになったハルノートについて、吉田茂はこんな見解を示している。

「11月26日付のこの通牒は,最も激しい調子で日本を非難したもの、到底受諾し難い条件を強要したものとして当時伝えられ、事実上の最後通牒であるとして取り扱われたことは多くの人の記憶するところであろう。(中略)内容は日本の主張言分と、それに対するアメリカの主張言分とを詳しく書き(このアメリカ側の主張だけが当時公表された)特に左の上の方にテンタティヴ(試案)と明記し、また『ベイシス・オブ・ネゴシエーション(交渉の基礎)であり、ディフィニティヴ(決定的)なものでない」と記されていた。実際の腹の中はともかく外交文書の上では決して最後通牒ではなかったはずである」

これまで読んできた歴史では,日本はハルノートを突きつけられて日米開戦やむなしと思い定めたことになっていた。この記述の通りなら、まだ日米間には交渉の余地があり、ひょっとしたら戦端を開かずとも済んでいた可能性もあったわけだ。

こんな一節もある。

「それにつけても考えさせられることは,外交はどこまでも慎重なるを要し,慎重を欠けば多年蓄積した国力も一朝にして壊滅せしめらるということである。これは甚だ明白なるが如くではあるが、天恵に浴し過ぎた日本国民は,無謀なる大東亜戦争に突入して悲惨なる敗戦に遭遇したのである」

吉田茂は外交官として、最期まで開戦を避けようと努力した人であった。

次の一節はいまでも通用する。

「府県などに置いても今日地方債もしくは銀行借り入れのない県は2、3にとどまる。これは一つには選挙制度の結果、知事、市町村長などが選挙目当ての事業費の乱費ということもある。中央においても同様、とかく選挙目当てのちっぽう、財政支出等に対して注意の充分ならざることは事実で,嘆かわしきことである」

「要するに政治の運用は人にある。政治を統率する政治家が常に国家の重きに任じ公平に処理することが政治の要諦であると考える。指導者が私心をさしはさみ,政権にのみ執着し,強固な意思方針なく朝夕政策動揺して国民の信頼感を失わしめつつある如き場合は円満なる民主政治の運用は期しがたいのである」

さて、この格調高い政治論に比べて、今の安倍政権はいかがであろうか?

今回も抜き書きを多用した。手抜きのようではあるが、これはこれで結構手間がかかる。読んでいるときにポストイットでも貼っておけばいいのだが、読むときはついつい熱中して読んでしまうのでそんな目印はどこにもない。

「確か、いいことが書いてあったはず」

という漠然とした記憶を頼りに、最初から最後まで目を通すことになってしまう。

「手抜き!」

というご批判は、できれば避けていただければありがたい。
 

しかし、外交とは虚々実々の駆け引きが行われるものだなあ、とプーチン・ロシア大統領の発言を聞いて感じた。

「歯舞、色丹の2島を日本に引き渡しても、主権については交渉による」

という趣旨のことを語ったという。これ、普通では理解出来ない。2島が日本に返還されるのなら、主権だって日本に戻ってくるはずだ。主権のない国土ってあるのか?
1956年の日ソ共同宣言に、引き渡し後の主権については明記されていない、というのが根拠らしいが、主権がロシアに残ったまま日本の国土になる2つの島っていわれてもねえ。頭の中が混乱した。
日ソ共同宣言は無視するわけにはいかず、2島は返さざるを得ない。でも、領土を失うだけではロシアに何のメリットもないではないか。そうか、返還後の主権については共同宣言は触れていない。これを使って日本からプレゼントがもらえるぞ。

「主権まで欲しいのなら、○○をよこせ」

というわけか。

言葉の持つ意味を超越して投げ込まれたボール。日本はどう裁くのか。

外交とは訳の分からない世界であるようだ。